2018年7月8
八田ダムのある嘉義市から台湾鉄道で高雄市に移動した。
4月の自転車旅では道に迷った"愛河の夜景"を観るためだった。
高雄市は台北に次ぐ人口約190万人の港湾都市。愛河で街が東西に別れている。
さて、今回は迷わないよう、Tax.に乗った。運転手に"愛河の夜景"の写真を見せると、「ビューポイント」がやはり分からず、車内電話で通訳サービスセンターに繋いでくれた。
案内の女性と話をして、結局、「夜景が綺麗でビールの飲める場所」に向かうことで運転手に伝えてもらった。
このような通訳サービスは韓国の釜山の地下鉄でもボランティアの人を見かけて助かったが、観光地などでは有効な方法だと思う。
スタートすると、運転手は「青春時代」を台湾語で歌い始めた。上手なので私、拍手。運転手はノリに乗って終わらない。車はどんどんビルの谷間へ・・・。
通訳センターから正しく伝わっているのだろうか。不安になり一度止めてもらい再確認すると間違いなさそうだ。
海の近くとばかり先入観を持っていたが、愛河は街中を通っているのだ!4月の失敗は思い込みによるものだった。運転手と「Bar東京」とかいう店の前で固い握手をして別れた。
川面に映る光が何とも綺麗だった。
愛河から歩いてMRTの美麗駅に寄った。
台湾鉄道とMRTのレッドライン、オレンジラインが交叉する高雄の交通の要となっている駅で、「光のアーチ天井」と名付けられたガラス天井はイタリアの芸術家が描いた絵を4,500枚のガラス版で再現している。
列車の乗り換えで行き交う人が色鮮やかな天井に足を止めていた。
美麗駅からMRTで高雄市内に入り、ビジネスホテルの部屋で気が付いた。旅行のガドブックが無い。MRTの中で見ていて座席に忘れたらしい。
ホテルフロントに尋ねると忘れ物は美麗駅の忘れ物センターに届くという。翌日、台北と北投温泉へ向かう時に台鉄に乗るので寄ってみることにした。
(つづく)
下水菅が細いそうです。
やはり言葉の問題があって、生活しなければ分からないですね。
ただ、戦争前後の年配者は中国を嫌っていることは感じました。蒋介石とその息子らの一派の高圧的な政治をそれまで統治していた日本と比較しているのかもしれません。霧社事件のような少数先住民族の日本人に対する蜂起もありましたが。
屋台での食事文化は明らかに違いますね。夕食を家で食べる世帯は4割くらいとか。タイ、カンボジアは朝からそうでした。東南アジア共通かもしれませんね。
居酒屋、寿司屋、温泉もありましたが、日本の影響でしょう。
どこでも皆さん本当に親切で優しいですね。
そして先住民の就労などの福祉対策に力を入れていたように感じました。
私の自転車旅は自然景観、裏道派で都市部や観光地は殆ど寄りませんので、道すがら出会った人の印象でしかそこの土地のことは良く分からず、shimaさんのご質問に答えられずすみません。
台湾を旅行されて感じたことはたくさんあると思いますが、やはり日本の影響を受けたと思われるものも結構あるのですか?
また台湾独自の文化や考え、行動などにも特徴のようなものなどがそれとなく、或いははっきりと表れているのでしょうか?・・・