生きる

思い出を抱えて生きる

ドライアイ

2011-09-15 13:26:51 | Weblog
この数ヶ月 目が痛い。
もしや白内障か はたまた たんなる老眼かとずぅ~と考えていましたが一向になおる気配がない。
しかたがないので重い腰をあげて病院へ行ってきました。
眼科は、いろんな検査が全て分散されていて始めに受付でどこをみてほしいのか聞かれた。
「どうなさいましたか?くわしくおっしゃってください」
「目が痛いのと 後は6の数字が0とか8に見えるときがあるのです」
「痛いのはどちらの目ですか?」
「はっきりしないのです」
「では両目ですね?」
「そうしてください」
次に血圧を測り 眼圧
その次に医師の前
「はい あごをのせて」
「うぅむ これはドライアイの検査!」
検査室には、ほわっとした優しい看護士さんがいらっしゃた。
「こわくないですよ目にヒモをちょっとつけるだけですからね」 
目にヒモをくっつけたり(涙量をはかる)赤い液をたらしたり
男の人より 女の人のほうがいい感じで落ち着きますね。
ずっと そばにいたくなります。
最後に
「お肌のように目も乾くんですよ」とおっしゃった。
夢がやぶられた。
「・・・・・」
もしや加齢?
いやいやコンピューターだよね!
めまぐるしく頭は回転する。
また医師の前
「ドライアイだね。目薬をだします」
それで終わり
けっきょく 目が乾燥しているということらしい。

もしかしたら死ぬまで目薬をさすのだろうか?
4種類も・・
2種類にしようかしら?

聞いてくれる? 歯がダメになったと思ったら 今度は目 


まあ 体の部品がよくもったほうかもしれないね!



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立礼(御園棚)

2011-09-14 13:34:02 | Weblog

10月に秋のお茶会があります。
このたびは、私どもの社中に当番がまわってきて(釜を掛ける) お点前をしたり三番目以降のお客様には、裏からお茶をたてたものを(かげ点前)運んだりします。
お茶の世界も高齢化がすすんで 立ったり座ったりがよろけるようになってきた昨今 どうするんだろうってひそかに思っていたところ
お稽古場にジャーーン!と登場したものがあった。
先生は、立礼を考えられたようでした。


正座がいらないため とても楽です。
それにお点前が簡単です。
お茶をいただく方も椅子なので 膝がおれなくて・・・といういいわけをしなくてもすみます。

これからの時代のお茶会には、かかせないものになるかもしれません。

しかし お茶の稽古なんて一番不似合いなものが25年以上も続いているなんて すごいなぁ~って時々 自分で自分を思う。
まあ いいかげんでずぼらな弟子なのだろう。

「もうすこし 所作をていねいにできないの!!」
「ん!?」
「まったく いらいらするわ!」
なぁんてなことを言われて ニヤニヤしているのだから
もしや先生の寿命を縮めているのかもしれません。


「立礼は、足のあたりが目立ちますからね。開いちゃいけませんよ!」
「はい 頑張ります!」



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十五夜

2011-09-13 11:15:22 | Weblog

久しぶりの名月でした。(6年ぶりだそうです)
実家にいるときは、近所の野原からからススキを切ってダンゴのおそなえをして 家族で月をぼうっとみていました。
しかし 私の心の中は、おダンゴの獲得だけ
位置について
よぅ~い!
ドン!
いつでも食べられるように準備をしていました。

月を愛でる気分になったのは、なにをかくそう最近かもしれません。
色気も食い気もなくなってきたからでしょう。
雨が降れば〔雨降りお月さん〕をうたい 
お月さんが見れた年は、やはり・・

〔十五夜お月さん〕

十五夜 お月さん
御機嫌さん
婆やは お暇(いとま)
とりました

十五夜 お月さん
妹は
田舎へ貰られて (もられて)
ゆきました


十五夜 お月さん
母さんに
も一度 わたしは
逢いたいな

 

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禁煙→一年目

2011-09-12 13:44:15 | Weblog
禁煙をしてから まる一年たった今週末
きっかけをつくってくれた方にお祝いで焼肉をごちそうになりました。
おめにかかるのも、一年ぶり
ホントは、私がごちそうしなくてはいけないのですが・・

「何人でもつれておいでよ!」などといわれてずうずうしく家族でおしかけた。

出かける直前

お見送りつきだった。
新顔です。
(ヤモリかイモリか迷った)


「おかげさまでありがとうございます」
パクパクむしゃむしゃゴクゴク
こんな幸せでいいのだろうかって思ってしまう。

体重は、順調に増加中



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朝日新聞/天声人語から

2011-09-09 11:24:01 | Weblog
一番先に読む箇所です。
やりきれないなぁ~って朝からうなっていました。

『国民に復興増税を求めておいて、公僕の、公僕による公僕のための低家賃住宅(国家公務員宿舎の建設計画)では、示しがつくまい』


〔以下抜粋〕
約4万の仮設住宅に、明日を描けぬ人々が暮らす。2万人は親類縁者に身を寄せ、1万人が旅館やホテル、数千人がなお避難所にいる。震災から半年後の「住まい」は、砕かれた将来設計の象徴だ▼被災者ならずとも、多くの人生観が揺らぎ、企業は経営の見直しを迫られた。ところが、平成を災前と災後に分かつこの「断層」を楽々またぎ、素知らぬ顔で続くものもある。たとえば、埼玉県朝霞市で進む国家公務員宿舎の建設計画だ▼さいたま新都心で働く職員のため、米軍キャンプ跡地に13階建て2棟(計850戸)を造る。総事業費は百億円強。2年前の事業仕分けで凍結となりながら、今年度予算で「解凍」され、このほど着工した。未曽有の災害を経ても再考せぬ感覚が解せない▼昨年末に建設を認めた財務大臣は、どじょう首相その人である。財政危機の下、国民に復興増税を求めておいて、公僕の、公僕による公僕のための低家賃住宅では、示しがつくまい▼公共事業の暴走を止めるかと期待された政権交代なのに、鳴り物入りの仕分けもこれしきのものらしい。朝霞の場合、事業費は古い宿舎の売却で埋め合わすというが、大企業が社宅を手放すご時世に、そもそも官舎なるものが必要だろうか▼住み心地の良い家が、良い公務につながることもあろう。ただし平時の話である。国の正念場にも微動だにしない最強の「耐震住宅」は、増税論議をBGMに鉄骨を組み、2年後に完成する。住み心地がよかろうはずもない。


今の日本だ!



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