1949年、紀伊半島では奈良県下北山村での確認が最後だそうです。
吉野郡川上村中奥川で見たと言う話があるそうです。
四国で1979年に最終目撃があったそうです。
最終目撃から50年経たないと絶滅にはならないそうです。
「写真;池原ダムで見かけたポスター」
吉野郡川上村中奥川で見たと言う話があるそうです。
四国で1979年に最終目撃があったそうです。
最終目撃から50年経たないと絶滅にはならないそうです。
「写真;池原ダムで見かけたポスター」
伯母峰峠は、奈良県吉野郡上北山村と川上村との境にある峠で,吉野川と北山川の分水嶺となっている。
国道169号線を北へ,新伯母峰トンネルを抜けると,これまで南へ流れていた川の流れが逆になる。
分水嶺から北へ流れる吉野川(和歌山県では紀ノ川)の最上流部に築かれたのが大迫ダム。
型式はアーチ式コンクリートダム、高さは70.5m。
洪水調節、即ち治水目的を有していない多目的ダムであり『十津川・紀の川総合開発事業』の中核的施設である。
目的は奈良盆地・紀伊平野への灌漑、奈良県北部地域11市14町1村への上水道供給、そして関西電力による認可出力7,400kWの水力発電である。

あの日,ダムの堰堤から下を覗くと,2艘のボートに制服姿の男女が???
もしかして,あの制服・・・警察???
と言うことは,事件のにおいが・・・
@1982年(昭和57年)7月31日~8月1日にかけ、流域を台風10号が襲った。大台ヶ原では31日午後11時からの2時間に153mmという猛烈な雨が降り注ぎ、大迫貯水池は急激に増水しダム天端より越流寸前の危機的状況となった。この為ダムは緊急放流を行うが、事前にサイレンによる警戒を実施したものの増水が急激で対応が結果的に遅れ、紀の川河川敷でキャンプや釣りをしていた28人が孤立、内7人が死亡した。
国道169号線を北へ,新伯母峰トンネルを抜けると,これまで南へ流れていた川の流れが逆になる。
分水嶺から北へ流れる吉野川(和歌山県では紀ノ川)の最上流部に築かれたのが大迫ダム。
型式はアーチ式コンクリートダム、高さは70.5m。
洪水調節、即ち治水目的を有していない多目的ダムであり『十津川・紀の川総合開発事業』の中核的施設である。
目的は奈良盆地・紀伊平野への灌漑、奈良県北部地域11市14町1村への上水道供給、そして関西電力による認可出力7,400kWの水力発電である。

あの日,ダムの堰堤から下を覗くと,2艘のボートに制服姿の男女が???
もしかして,あの制服・・・警察???
と言うことは,事件のにおいが・・・
@1982年(昭和57年)7月31日~8月1日にかけ、流域を台風10号が襲った。大台ヶ原では31日午後11時からの2時間に153mmという猛烈な雨が降り注ぎ、大迫貯水池は急激に増水しダム天端より越流寸前の危機的状況となった。この為ダムは緊急放流を行うが、事前にサイレンによる警戒を実施したものの増水が急激で対応が結果的に遅れ、紀の川河川敷でキャンプや釣りをしていた28人が孤立、内7人が死亡した。
やっとのおもいで玉置神社から下界(瀞峡付近)へと下りてきた。
10km以上続いた狭い山道から国道169号線に出たようで,道幅も広くなった。
しばらく走ると道端に,道路から瀞峡へと下りる表示が現れた。
昔から見たかった瀞峡やけど・・・時間が・・・
後ろ髪を引かれるおもいで運転を続けた。

きっとこの道路橋の下に,瀞峡があるはずなんやけどなぁ・・・

@瀞峡
吉野熊野国立公園内の奈良県・三重県・和歌山県にまたがる国特別名勝の大峡谷。
その幽水美は古くから世に知られ、太古の自然のままの大峡谷に圧倒されてしまいます。
瀞峡は北山川の上流から奥瀞・下瀞に分かれます。特に下瀞は巨岩・奇石が並び荘厳で美しく、親しみをこめて「瀞八丁(どろはっちょう)」と呼ばれています。
10km以上続いた狭い山道から国道169号線に出たようで,道幅も広くなった。
しばらく走ると道端に,道路から瀞峡へと下りる表示が現れた。
昔から見たかった瀞峡やけど・・・時間が・・・
後ろ髪を引かれるおもいで運転を続けた。

きっとこの道路橋の下に,瀞峡があるはずなんやけどなぁ・・・

@瀞峡
吉野熊野国立公園内の奈良県・三重県・和歌山県にまたがる国特別名勝の大峡谷。
その幽水美は古くから世に知られ、太古の自然のままの大峡谷に圧倒されてしまいます。
瀞峡は北山川の上流から奥瀞・下瀞に分かれます。特に下瀞は巨岩・奇石が並び荘厳で美しく、親しみをこめて「瀞八丁(どろはっちょう)」と呼ばれています。
雷(いかづち)の滝は、北山村の中心部に向かう手前の国道沿いから見ることができます。
小森ダム付近の側壁を流れ落ちる落差20mの美しい滝です。
案内板が国道沿いにあるのですぐに分かります。
また、この滝の上流に「行者屋敷跡」があって、
滝壺の下に石を敷き詰め修行を行っていたといわれています。
小森ダム付近の側壁を流れ落ちる落差20mの美しい滝です。
案内板が国道沿いにあるのですぐに分かります。
また、この滝の上流に「行者屋敷跡」があって、
滝壺の下に石を敷き詰め修行を行っていたといわれています。
熊野川は、奈良県南部の大峰山脈の山上ヶ岳に源を発し、紀伊半島中央部を南流し、大台ケ原を水源とする北山川と合流して熊野灘に注ぐ一級河川です。
流域の面積は2,360km2,近畿で3番目に広く、河川の延長は183km,近畿で一番の長さです。
山地が多く勾配が急で雨も多い熊野川には、水力発電の適地としてダムが多数建設されています。
豊かな自然環境が残っており、このような場所は吉野熊野国立公園に指定されています。
北山川では瀞峡を巡る観光船や観光筏下り、熊野川では川舟下り等が行われており、多くの人々に美しい川の景観が楽しまれています。
また、流域にある熊野本宮大社や熊野速玉大社、これらの神社と巡る熊野川を含む参詣道は、平成17年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されています。

かつての熊野川流域では、切り出された木材は筏に組まれ、また山地で焼かれた木炭などは、三反帆と呼ばれる団平船に積まれ、河口に位置する新宮まで運ばれました。
こうして新宮に集められた木材や木炭は別の船に積まれ全国に売られていきました。
このような集積地としてのにぎわいを見せた当時の新宮の川原には、川原町と呼ばれる町が発達し、最盛期(1910年頃)には200軒を超える家屋が軒を並べ多くの人で賑わいました。
大正時代になると、水深の浅い熊野川においても舟航可能な全国でも珍しいプロペラ船が開発され、新宮~十津川間や新宮~瀞峡間で利用されました。
しかしこれらの舟運は、昭和30年代以降のダムの建設に伴う道路の整備により次第に衰退し、現在ではプロペラ船がウォータージェット船に変わり、唯一瀞峡をめぐる観光船となってその姿を留めています。
流域の面積は2,360km2,近畿で3番目に広く、河川の延長は183km,近畿で一番の長さです。
山地が多く勾配が急で雨も多い熊野川には、水力発電の適地としてダムが多数建設されています。
豊かな自然環境が残っており、このような場所は吉野熊野国立公園に指定されています。
北山川では瀞峡を巡る観光船や観光筏下り、熊野川では川舟下り等が行われており、多くの人々に美しい川の景観が楽しまれています。
また、流域にある熊野本宮大社や熊野速玉大社、これらの神社と巡る熊野川を含む参詣道は、平成17年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されています。

かつての熊野川流域では、切り出された木材は筏に組まれ、また山地で焼かれた木炭などは、三反帆と呼ばれる団平船に積まれ、河口に位置する新宮まで運ばれました。
こうして新宮に集められた木材や木炭は別の船に積まれ全国に売られていきました。
このような集積地としてのにぎわいを見せた当時の新宮の川原には、川原町と呼ばれる町が発達し、最盛期(1910年頃)には200軒を超える家屋が軒を並べ多くの人で賑わいました。
大正時代になると、水深の浅い熊野川においても舟航可能な全国でも珍しいプロペラ船が開発され、新宮~十津川間や新宮~瀞峡間で利用されました。
しかしこれらの舟運は、昭和30年代以降のダムの建設に伴う道路の整備により次第に衰退し、現在ではプロペラ船がウォータージェット船に変わり、唯一瀞峡をめぐる観光船となってその姿を留めています。
大峰・奥駈道を玉置神社から南へ下りると,本宮辻までの間に「犬吠の檜」があるという。
そこには,こんな伝説が残っているという。
・玉置神社の狛犬が、玉置山を下りてこの檜を見ながら吠えるといままで海だったところの海水がみるみる引いて人が住めるようになった。
・大雨になった時、玉置山から犬の吠える声が里にまで聞えてきました。里の人々は何だろうと思い玉置山に登りました。そのときに熊野の海から大波が打ち寄せ、大雨も重なり洪水になったそうですが、人々は玉置山に登って助かり、後に、あの犬は玉置神社の使いの犬であったと判った。
玉置神社への参道で見た枕状溶岩と海,隆起,津波との関係は・・・
そこには,こんな伝説が残っているという。
・玉置神社の狛犬が、玉置山を下りてこの檜を見ながら吠えるといままで海だったところの海水がみるみる引いて人が住めるようになった。
・大雨になった時、玉置山から犬の吠える声が里にまで聞えてきました。里の人々は何だろうと思い玉置山に登りました。そのときに熊野の海から大波が打ち寄せ、大雨も重なり洪水になったそうですが、人々は玉置山に登って助かり、後に、あの犬は玉置神社の使いの犬であったと判った。
玉置神社への参道で見た枕状溶岩と海,隆起,津波との関係は・・・
伯母の家には,従姉が可愛がっている猫が2匹いる。
以前,伯母の家で「猫がよろこぶビデオ」というのを猫と共に観たことがあった。
TVの上の物は片付けんとあかん!
というほど,猫は喜んで興奮し,TV画面に向かってジャンプしていた。
再度見せてもらおうと聞いたところ,
「あのビデオ,どこへ行ったか分からへんねん・・・」と従姉は言っていた。
以前,伯母の家で「猫がよろこぶビデオ」というのを猫と共に観たことがあった。
TVの上の物は片付けんとあかん!
というほど,猫は喜んで興奮し,TV画面に向かってジャンプしていた。
再度見せてもらおうと聞いたところ,
「あのビデオ,どこへ行ったか分からへんねん・・・」と従姉は言っていた。
玉置神社の社務所で見た御神酒。
1升瓶のラベルには「神代杉」とあった。
境内で「神代杉」を見ただけに・・・
飲みたかったなぁ~「神代杉」
せやけど・・・車の運転が・・・
どんな味なんやろかなぁ~
次回は運転手を連れて,お参りしようっと!
1升瓶のラベルには「神代杉」とあった。
境内で「神代杉」を見ただけに・・・
飲みたかったなぁ~「神代杉」
せやけど・・・車の運転が・・・
どんな味なんやろかなぁ~
次回は運転手を連れて,お参りしようっと!
大峯奥駈道は修験道の開祖、役行者が8世紀初めに開いたとされる修験者の修行の道です。
吉野川「柳の宿」(あるいは「柳の渡し」)を北の起終点とし、吉野山、青根ヶ峰、四寸岩山、大天井ヶ岳を経て山上ヶ岳(大峯山)までを「山上道」とし、大峰山寺本堂から熊野に向かう道を「奥通り」もしくは「奥駈道」と呼びました。
吉野から熊野までの約170kmの道程は、山上ヶ岳や弥山、八経ヶ岳、釈迦ヶ岳など標高2000m近い山々の尾根をたどる、修験道の中でも最も過酷で厳しい修行の行場です。

この行は奥駈修行と呼ばれ、幾日もの間、崖をよじ登り谷を渡って歩き続けます。
道中には大峯七十五靡き(なびき)と呼ばれる拝所・霊所があり、修験者たちはそれをひとつひとつ巡拝しながら峻険な山々で修行を行うのです。

この大峯奥駈修行は、山脈を仏法で云う金剛界(吉野側)と胎臓界(熊野側)に見立て、その場所を巡拝しながら即身成仏し、そして生まれ変わるという、擬死再生の修行を行う場所とされています。
今なお多くの修験者たちが厳しい修行を行っています。1000年の歴史を超えて引き継がれてきたこの道は、今回世界遺産登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の中心的構成要素と呼ぶにふさわしいものと言えるでしょう。
吉野川「柳の宿」(あるいは「柳の渡し」)を北の起終点とし、吉野山、青根ヶ峰、四寸岩山、大天井ヶ岳を経て山上ヶ岳(大峯山)までを「山上道」とし、大峰山寺本堂から熊野に向かう道を「奥通り」もしくは「奥駈道」と呼びました。
吉野から熊野までの約170kmの道程は、山上ヶ岳や弥山、八経ヶ岳、釈迦ヶ岳など標高2000m近い山々の尾根をたどる、修験道の中でも最も過酷で厳しい修行の行場です。

この行は奥駈修行と呼ばれ、幾日もの間、崖をよじ登り谷を渡って歩き続けます。
道中には大峯七十五靡き(なびき)と呼ばれる拝所・霊所があり、修験者たちはそれをひとつひとつ巡拝しながら峻険な山々で修行を行うのです。

この大峯奥駈修行は、山脈を仏法で云う金剛界(吉野側)と胎臓界(熊野側)に見立て、その場所を巡拝しながら即身成仏し、そして生まれ変わるという、擬死再生の修行を行う場所とされています。
今なお多くの修験者たちが厳しい修行を行っています。1000年の歴史を超えて引き継がれてきたこの道は、今回世界遺産登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の中心的構成要素と呼ぶにふさわしいものと言えるでしょう。