私の青空☆彡

写真を通して、小さな事でも『感動』する素晴らしさを、貴方に送りたい

清洲越し

2011-09-06 | お城
清洲城、天守閣からの眺め

「清洲越し」とは
1612年から1616年までのころに行われた、名古屋城の築城に伴う清洲から
名古屋への都市の移転を言います



名古屋方面 真中には名古屋駅のツインタワーが見えます。 
左下が東海道線 桶狭間もこの方角にあります。





養老山脈方面     伊吹山・大垣城方面
入り口も小さく見えます。対岸の森が清州古城跡公園


             金華山 稲葉山城(岐阜城)方面
信長公もこちらの方角に思いを馳せていた事でしょう。

天下普請で、名古屋城が築城され、
1613年はこの清洲城は廃城となりました。
このお城は歴史好きと鉄道好きの私には好都合の場所です。
この天守に2時間程居座り、あれこれ思いつつ写真を撮っていました。

2010年はフィギュアの織田信成さんが清洲城の名誉城主に就任しています。

清洲城のご紹介はこれにて終了です。

明日は清洲のお隣、稲沢の風景をご紹介致します。


2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

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天守への道

2011-09-05 | お城
清洲城からの眺め


まずは2階部分に行ってみます。


清洲城特設会場 右下がドラマ館


真中が入り口 そして左側が東海道線
庭には玉砂利に大きな石


3階部分の窓から入り口を眺めると
五条川にかかる赤い橋が見えてきます

上に昇る程、地上では考えられない程
心地よい風が流れていました

信長公の思いはあの橋ずっと向こうにあります


天守から名古屋駅方面をパノラマ風に撮影してみました。
鎌倉円覚寺で使用したPowerShot G11のStech機能を使用しました。


2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

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清洲城 登城

2011-09-04 | お城
清洲城 
写真撮影が出来なので可能な場所のみです。


復元されているので松本城
様に急な階段ではありませんでした


瓦には織田木瓜が描かれています 


出土品に耳かきが有るなんて驚きです


清洲城の復元模型


戦国中スポ
この様な記事が絵巻物用に紹介されています。


若き日の信長公


金の鯱 
実際に触れる事が出来ます。頭の部分は禿げてしまっています。


人間五十年 幸若舞「敦盛」


棟飾瓦


織田木瓜 織田家の家紋です

木瓜紋は瓜を輪切りにしたその断面や鳥の巣を図案化したものといわれ、
子孫繁栄を祈る家紋である

江戸時代から伝わってきた 
うちの家紋は丸に唐木瓜です(左上プロフィール参照)

明日はいよいよ天守からの眺めです。

2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

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天下取りの出発点

2011-09-03 | お城
清洲城(愛知県清須市朝日城屋敷)

1405年頃に尾張守護斯波義重によって築城され、1610年に名古屋城築城までの
200年の長きに渡って、尾張の城でした。

信長公が入城したのは1555年、5年後に清須城から桶狭間へと出陣しました。
いわゆるこの場所が天下取りへの出発点です。


五条川と清洲城
細君のショット かなり目立つ天守閣で東海道線からも良く見えます。


この清洲城天主閣は平成元年に再建された建物です。
風情なしとはいえ、この場所にある事が価値だと思います。


可愛らしいお姫様方がお出迎え


この脇には清洲城特設会場ではドラマ館(江と三英傑 絆のやかた)が開催されていました。
大河ドラマの衣装や道具が展示されており、東京で見た物とほぼ同じでした。

東京で見た「江~姫たちの戦国」展
丸の内オアゾ
新丸ビル
丸ビル(1)
丸ビル(2)
東京タワー


古くは「清須」の表記が多く
後に「清洲」の表記が多くなっています。

あすは清洲城に登城してみます。

2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L

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五条川を渡るとそこは

2011-09-02 | お城
清洲古城跡公園(愛知県清須市清洲古城)

かつて実在していた清洲城があった地です
今では清洲古城跡公園として整備されています。
先日紹介しました信長公の像のある清洲公園とは
東海道線を挟んで丁度、反対側に位置します。


右大臣織田信長公古城跡


織田信長公を祠る小社があり、毎年6月2日の命日には
「織田信長公顕彰祭」が営まれます。


五条川を渡ると汽笛が。
パブロフの犬の様にカメラを構え、桃太郎(EF210-100)を捉えました


この様な時があったな~と
子供が4歳の頃に東北を周遊した事を思い出しました。
明日は 一番行きたかったあのお城へ。


皆様の処へは週末になりそうです。

2011.08.13撮影 EOS7D+24~105mm 4L



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大御所の城 駿府城公園

2010-09-18 | お城
駿府城(静岡県静岡市葵区)
徳川家康が、自らの居城として1589年に天守閣をはじめとする二の丸までが完成しまいたが、
豊臣秀吉の小田原攻めの後、関東に移封され、夢は一時お預けとなってしまいました。

中堀
豊臣秀吉の死後、徳川家康が秀忠に将軍職を譲り、大御所となって江戸から駿府に隠居した場所です。


巽櫓
1896年、本丸堀は埋められ、城郭施設は全て取り壊されてしまいました。


現在では、中堀の内側にある旧本丸・二の丸は「駿府公園」として整備されています。



東御門櫓門(復元)


外堀


東御門高麗門(復元)

PowerShot G11 2010.08.29撮影


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風光明媚 掛川城

2010-09-14 | お城

お城はやっぱり急な階段


「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」 武田信玄の風林火山


心地よい風が吹き、この様な絶景を見る事ができて
ここまで来た甲斐がありました。





富士山も見えるそうです。


真中が城門 そして右上が掛川駅

PowerShot G11 2010.08.29撮影

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千代の思い 掛川城

2010-09-13 | お城
先日に引き続き掛川城


この青空こそが千代の思いだったと思います。


ここでは千代の思いを受け継いだボランティアの方々が
綺麗なお花を添えて下さいます。


青空に掛川城の白い城壁


草食男子や肉食女子 この日本は....


日本古来から美徳とされた.
清楚で凛とし、
芯が強く、
慎ましやかで、
一歩引いて男性を立て、
男性に尽くす女性像
まさに大和撫子ですね。

PowerShot G11 2010.08.29撮影




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「功名が辻」 掛川城

2010-09-12 | お城
掛川城(静岡県掛川市掛川)


JR掛川駅
この駅舎は全国でも珍しい木造駅舎です


室町時代中期に今川義忠が、朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられています。


この城郭様式は安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものです。
一豊といえば「功名が辻」で有名な正室の千代が連想されます。
結婚の時に母からの10両を取りだして、馬を買わせ出世に一役買った話は有名ですね。


江戸時代に入ると、数多くの徳川譜代大名が入りましたが、1854年の、
安政東海地震で天守は倒壊してしまいました。


1994年に天守が再建され、日本初の木造復元天守となりました。


日本100名城(42番)に選定されています。

PowerShot G11 2010.08.29撮影



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夜明け前 弘道館

2010-09-06 | お城
弘道館(茨城県水戸市)
江戸時代後期に徳川斉昭によって水戸城三の丸内に作られた水戸藩の藩校です。

文武両道を教育方針とし、武道のほかにも、広い見地での学問が教育・研究されていました。
国の特別史跡に指定されている旧水戸藩の藩校で、現在の建物のうち正門、正庁及び至善室は
国の重要文化財に指定されています


中に入ると黒光りした廊下と高い天井


玄関から外を眺めると、ここから多くを学んだ人々が激動の日本の渦へ
飛び込んで行ったと思うと気が引き締まります。


第15代の将軍となった慶喜も父斉昭の厳しい教育方針で5歳の時から
弘道館において英才教育を受けていました


長くつづいた社会や政治の腐敗堕落を改革して、国家の独立と発展を全うするためには、
まず優れた人材を養成しなければならない。
何時の時代も同じです。


外は35℃(体感はそれ以上)ですが、日本家屋は風を通し、
涼風を誘います。
思わずうたた寝したくなる気分です。


畳からローアングルで眺めてみると、違った感じになります。


至善堂 明治元年に最後の将軍徳川慶喜公が謹慎された部屋。
違い棚に床の間 書斎だな そして畳
そんな家に憧れます。

最期は畳の上でと思っていますが さてどうでしょう。?

2010.08.22撮影 PowerShot G11 

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