第35番 岩屋神社
所在地 京都府京都市山科区大宅中小路町67
主祭神 天忍穂耳命 栲幡千々姫命 饒速日命
社格等 旧郷社
創建 仁徳天皇31年
山科区は平安京の歴史の中では、洛中からは遠く離れて時を刻んできた。都の権力闘争の激動から逃れて太古のむかしからの歴史を伝えている。岩屋神社はその典型的遺産であり神話の時代の信仰を守って来た。
古代の日本人は、大木や巨岩に神が宿るとした。原始信仰の形態だ。こちらの御神体は、
本殿背後の山腹に奥之院にある岩屋殿と呼ばれる陰陽2つの巨巌である。このようなものを磐座(かむくら)と言うが巨岩をあくまでも神の依代(神が拠りどころとする)と考えるか、はたまた神そのもとして奉ることもある。なお、道祖神として女性器・男性器の形をした木や岩を子孫繁栄の神とするなど、古代の性へのおおらかさにも興味が尽きない。そのような起源を持つのが岩屋神社である。
社伝では、平安遷都はるか前の仁徳31年の創建。醍醐・村上の御世である寛平年間、陰巌に栲幡千千姫命、陽巌に天忍穂耳命を祀り、岩前の小祠に饒速日命が祀られた。物部氏が、山科を開拓するに当たり祖神を祀ったものだ。
場所は醍醐山に連なる山々のふもとにあり街並みを見下ろす位置に鎮座している。近年、名神高速道路が近くを通り、さらにすぐ隣には橘大学(旧橘女子大学)が移転して来た。長く静寂が取り囲む人智の及ばぬ場所だったはずだが、高速自動車道の喧騒と大学生の嬌声が混じる落ち着かない空間となった。
それでも境内には、太古からの歴史の重みと静寂に包まれしばし厳かな気分で、お参りをすることが出来た。夏の酷暑の中、体調に配慮し重要な奥の院には後日うかがうことにした。
なお、当社は明治6年(1873年)郷社に列し、第二次世界大戦後は神社本庁に属すとなっている。以前からその所在地を探していたが、橘大学に一つの講座を聴講するため訪れた時にやっと見つけた神社だった。