日野皓正が体罰で問題となっている。
私は学生時代、体罰で後輩を手にかけた経験がある。
この話をする時、今でも胸がいっぱいになる。
『大学のテニス同好会の夏合宿。同好会とはいえ4大学連盟戦など体育会並みの戦闘意欲のあるサークルだった。
合宿の中日には恒例の指導強化と称する「しごき」の日があった。
上級生が下級生を指導する。例えば、ベースライン(サーブする時に立つ一番後ろのライン)に立たせた下級生に
ネットに立つ上級生が左右に激しくボールを出して走らせる。取れるか取れないかの微妙なボールに対して
必死で走って打って返す。疲れて来るとラケットに触るだけになってくる。
そして何分も経つと疲れて、後輩は自然にネットの方に近づいてくる。
ネットに近いほど、左右に走る距離が狭まるからだ。疲れて来ると本能がそうさせる。
ボールを出す先輩は、その分強いボールを繰り出す。後輩はどんどんネットに近くなり、
遂には先輩と後輩がネットをはさんでボールをやり取りする。
知らない人が見ると、単に先輩が後輩にボールをぶつけているだけに見えるだろう。
しかし、出来る選手はベースライン上でしっかり走って追いかける。炎天下のこのしごきは、人間を異常に興奮させる。
コートの周りでは、後輩の同級生たちが必至で励まし続けるのだ。女子はもれなく泣き声だ。
ある時、私が目をかけている将来楽しみな後輩にボールを出していた時だ。すでにお互い興奮状態だ。
当然、彼にはベースライン上でしっかり走って打ち返して欲しかった。しかし開始後すぐに前に出て来た。
私はそれが気に入らなかった。それが有望な選手のすることか?大きな声で何度も恫喝した。
ネットそばまで出て来た彼に、遂に私は、ネットを越えて彼の前に立って「奥歯を噛みしめろ!」
言うが早いが、往復ピンタで2発殴った。
殴られた彼は、鬼の形相でベースラインに戻り、涙の中、最後まで追いかけ続けた。
ボールを出す私も涙で彼が見えなかった。キャプテンが止めに入るまでしごき続けて、クールダウンの為
彼と二人でコート周辺をジョギングしながら、彼は私の手を握って号泣していた。
「手抜きしてすみませんでした。」そう言うのがやっとだった。
その後、彼は試合でも一切手抜きせず、厳しい厳しい試合を勝ち続け数々のタイトルに輝いた。
彼は、駆け引きを一切せず剛球必打に徹するタイプの男で、私が理想とするスタイルのテニス人だった。
優勝する時は、ベースラインの相手には早いボールで空振りをさせて、ネットでボレーする相手のラケットを弾き飛ばした。
そんな彼が、ベースラインを捨ててネットに近づいて来たことが許せなかった。彼もそれが手抜きと自覚していたのだ。
そこに、鉄拳制裁。分かり合う二人だけの戦いだったのだ。』
40年ぶりに彼とあった時、やっぱりこの思いでは涙なしで語れない。
しかし、今は通じない。理解してもらえない。私は「愛情さえあれば鉄拳制裁も辞さない。」と言う指導者に与するものではない。
しかし、現在のマスコミの一方的な報道には反発を禁じ得ない。被害者の方の非も言わねばならない。
今回の日野氏の体罰も詳しく記事を読めばニュアンスは違って来る。
被害者の少年も非を認めている事から、もし記者会見をするのならば、両者同席の上
お互いの「相互謝罪」の会見の場にして欲しい。
見どころがある有望な人材であるからこそ厳しく指導する指導者がいるのだ。
さて本題 丹後の旅 第2弾
日本3大文殊の寺に行って来た。
奈良の安倍の文殊さん 京都今戒光明寺 そして ここ智恩寺の文殊さん
場所は、天橋立。JR天橋立駅の真ん前。正式には 橋立山 智恩寺
大きな山門をくぐる。
重要文化財の多宝塔。
室町時代の遺構としては、京都北部唯一の建物。
中の本尊は大日如来。また丹後一の宮、籠神社の智海という人が描いた不動明王も中にある。
寺の歴史は古く平城天皇の時代。寺名は醍醐天皇の勅による。平安初期だ。
3人寄れば文殊の知恵、と言われる学問の御利益がある。
三代文殊?あれ?今戒光明寺入っていない。諸説あるようだ。
力持ちを競う「力石」
こちらのおみくじは、扇型になっている。境内につるされている風景は何ともかわいい。
日本三景の天の橋立のおひざ元の寺。