200回記念
遂に、200回を迎えた。グダグダと京都日誌と、しばしば脱線し関係の無い事を書いてきた。
いっぱしの評論家のように偉そうに、世相を切って見たが、切り口が稚拙で恥ずかしい。
しかし、無職になって見て、世相の変化が身に染みる。経済や金融の世界を通じて物事を見通して来たが、
世の中の関心事は、多岐に渡る。金利や株より人の不倫の方がトップニュースになったりする。
政治もそうだ。政策の議論より、離合集散や失言・流言・そして不倫やハラスメントの方が選挙に影響する。
国民の関心を低レベルに据え置くようにするマスコミの陰謀かもしれない。
まさにリテラシーの欠如だ。
「リテラシー」とは、
読み書きができる能力や、その分野の応用、活用力、理解力を意味している。
「コンピューターリテラシー」や「メディアリテラシー」「環境リテラシー」といったように、
関連する言葉をつながて「○○リテラシー」というように使用されている。
例えば、「金融リテラシー」というのは、お金に関する基礎的知識に加え、正しく運用や分析が出来る知識を意味する言葉だ。
商業主義の民間放送が、資金源である企業からスポンサーを得る為、視聴率を気にかけるのは仕方ない。
従って、見る方がそれを十分理解して批判的な視点を持って見なければならない。
悲しいかな、政策より不倫報道の方が、見る人が多いのである。従って、うっかりすると、その事が重要事件のように勘違いする。
まさにリテラシーの欠如だ。
極端な事を言えば、不倫しようが暴言を吐こうが、政策的に日本の将来を託せるなら政治家になっても良いのだ。
まして芸能人に人格を求めているのでもないのに、不倫や離婚で大騒ぎしている。その結果、民度が低下しようがマスコミに責任はない。
リテラシーは、学校や家庭で教えなければならない。救いは、ネットの世界では、すでにTBSや朝日新聞が十分に叩かれているという現実だ。
しかし、そのインターネットの使い方にも、リテラシーの欠如が大問題だ。
9人の自殺願望者を殺害した事件は、リテラシー問題の緊急性を物語っている。
私は、小学校や中学校の先生に、私たちのような社会経験豊富な人物を持った人間を使うべきと考えている。
大学を出て、一切社会を知らない人間に子供は任せられない。大学卒が貴重な時代の制度なのだ。今や誰もが大卒の時代、院卒や社会人経験者をこそ教育者にすべきなのに
その議論すらない。(ないと思う)
一方、マスコミは放送法に縛られているにも関わらず、やりたい放題の偏向報道。もっとすごいお隣の韓国を馬鹿に出来ない。
真実を平等に伝えない。
以上の危機感から、次回衆議員選挙に、立候補することにいたしました。
公約
①不倫防止法(昔の姦通罪)を男女共に適用する。
②放送法を厳格に適用し「ブラタモリ」を、国民の必須番組に指定し視聴を義務化する。
③クライマックスシリーズを廃止しリーグ優勝者で日本シリーズを行う。
④首都を京都に戻し新平安京とする。(勿論陛下には御所にお住まい頂く)
⑤国歌を「瀬戸の花嫁」と定め「六甲おろし」を第2国歌とする。
⑥電車は男女別と共有車両とし、共有車両における痴漢行為は、これを自由と認める。
⑦東大入学は、「東大卒の親を持つ受験生は、これを認めず。」とする。
⑧高速道路は速度制限等を撤廃し、道交法を適用せずあおり運転等も自由にする。従ってすべての責任は自己に帰する。
⑨公衆浴場及び各温泉を混浴とする。
⑩柔道の国際大会は、時間無制限1本勝負とする。
11映倫を撤廃し・・・。 妄想が止まりません。