⑤ 幕府(東福門院和子)との関係 恐ろしや高貴な「血統の戦い」
ここで、後水尾天皇の皇子・皇女を、お相手ごとに羅列する。お相手の方をA~Gの7名の方々とし、その間に36名のお子様を生ませておられる。もちろん記録に残るものに限られる。腫物に悩まされるものの、一方そちらではすこぶる健康な天皇が、多くのお子を成すのは大変結構な事だ。高貴な方達の重要な役目の一つが「生殖活動」である事は何度も書いて来た。しかし、不自然ではないか。健康な男子であれば生殖に最適な年齢は、10代後半から20代前半である。ところがおよつ御寮人事件の四辻与津子との間の2名以外には、20代のみならず譲位するまでは、その中宮和子との間しか子がいない。女性に興味の薄い天皇ではない。上皇となって多くのお子を作っている事から見ても晩年までお元気でいらっしゃる。まことに不思議なことだ。幕府に遠慮して、在位中は側室を持たなかったのか。実は幕府に忖度して子が出来ても処分したらしいのだ。
そのあたり、熊倉功夫氏『後水尾天皇』中公文庫(第3章寛永6年11月8日譲位)には、細川三斎(忠興)が当時の世間の噂を息子の忠利に書状で書き送った内容を紹介している。なんとその中に、衝撃的箇所があった。後水尾の退位の理由を縷々書いているのだが、「御局衆のはらに宮様たちいかほども出来申候を、おしころし、または流し申し候事」という。つまり、隠れた(言えない)理由として、天皇の中宮和子以外の女官に出来た皇子が殺されたり流されたりしていたというのだ。つまり、徳川家の直系の子以外には決して皇統を継がせないという事である。文面からは複数のお子が処分されたことと思われる。そのあたり前出の川口氏の小説には、与津子との間にできた男子である賀茂宮も毒殺された事を示唆している。
確かに、女帝であるとは言え明正天皇という徳川家の血筋が即位してからは、猛烈な勢いでお子を成していらっしゃるのだから、噂とは言えあり得る話である。一方、それでも和子との間に2名の男子が誕生している。しかし、二人とも早世している。これも不自然ではないか。成長したのはすべて皇女である。偶然なのか、朝廷側の逆襲なのか。いずれにしても徳川家と朝廷のどす黒い戦いがあったのである。後水尾天皇は今までの天皇と違って武力は行使できなかったが、ものすごい戦いを行っていた。
ただ、救いはお二人が、「琴瑟相和す」関係であったのだろう。中宮和子との間には計7名のお子が出来ている。前出の小説でも、初夜に早くも天皇は警戒心を解き、その純粋で無垢な人柄に魅了されたとなっている。確かに今に残る和子の肖像を見ると、誠に可愛いお顔をされている。また教養にあふれ京都の多くの寺院の再興に努めている。さらに、その臨終の折り、枕頭にはおよつ御寮人の子文智女王がいたという。なぜかホットする話だ。それにしてもげに恐ろしや高貴な「血統の戦い」というものは。
資料 後水尾天皇(上皇)皇子・皇女一覧(A~Gのお相手別、出生順に記載)
A中宮:徳川和子(東福門院)(1607-1678)
B典侍:四辻与津子(?-1638)
C典侍:園光子(壬生院)(1602-1656)
D典侍:櫛笥隆子(逢春門院)(1604-1685)
E典侍:園国子(新広義門院)(1624-1677)
F典侍:四辻継子(権中納言局)(?-1657)
G宮人:水無瀬氏子(帥局)(1607-1672)
B23第一皇子:賀茂宮(1618-1622)
B24第一皇女:文智女王(1619-1697)円照寺
和子入内
A28第二皇女:興子内親王(明正天皇)(1623-1696)
A30第三皇女:女二宮[注釈 1](1625-1651、秋月院妙澄大師)
A31第二皇子:高仁親王(1626-1628)
A33第三皇子:若宮(1628)
A34第四皇女:女三宮昭子内親王(顕子内親王)(1629-1675)
譲位
D36第五皇女:理昌女王(1631-1656) - 宝鏡寺宮門跡
A37第六皇女:女五宮賀子内親王(1632-1696) - 二条光平室
C38第四皇子:紹仁親王(後光明天皇)(1633-1654)
D38第五皇子:某(1633)
A38第七皇女:菊宮(1633-1634)
D39第八皇女:光子内親王(1634-1727)
C39第六皇子:守澄法親王(1634-1680) - 初代輪王寺宮門跡、179代天台座主
G40第九皇女:新宮(1635-1637)
C42第十皇女:元昌女王(1637-1662)
G42第七皇子:性承法親王(1637-1678) - 仁和寺御室
D42第八皇子:良仁親王(後西天皇)(1637-1685)
D44第九皇子:性真法親王(1639-1696) - 大覚寺宮門跡、東寺長者
C44第十一皇女:宗澄女王(1639-1678)
D45第十二皇女:摩佐宮(1640-1641)
E45第十皇子:尭恕法親王(1640-1695)- 181・184・187代天台座主
C46第十三皇女:桂宮(1641-1644)
D46第十四皇女:理忠女王(1641-1689)
E47第十五皇女:常子内親王(1642-1702) -近衛基熙室、徳川家宣御台所近衛熙子の母
D48第十一皇子:穏仁親王(第3代八条宮)(1643-1665)
F50第十二皇子:尊光法親王(1645-1680) - 徳川家光猶子・知恩院宮門跡
D52第十三皇子:道寛法親王(1647-1676) - 聖護院宮門跡、園城寺長吏
E54第十四皇子:眞敬法親王(1649-1706) - 一乗院宮門跡、興福寺別当
F56第十八皇子:盛胤法親王(1651-1680) - 183・186代天台座主
E56第十六皇子:尊證法親王(1651-1694) - 182・185代天台座主
F59第十六皇女:文察女王(1654-1683)
E59第十九皇子:識仁親王(霊元天皇)(1654-1732)
E62第十七皇女:永享女王(1657-1686)
- 熊倉功夫氏『後水尾天皇』118頁と、インターネット情報などを参考に筆者作成
- 筆者感想 40代の生殖活動のものすごさは、現代のお父さんたちには羨ましい限りだ。