第22番 晴明神社
京都市上京区堀川通一条上る晴明町806-1
主祭神 安倍晴明御霊神
堀河通今出川の交差点から、東に白峯神宮。南に晴明神社がある。徒歩5分ほどの距離だ。晴明神社は近年、急に参詣者が増えた。しかも若い女性を中心に異常なブームとなっている。言うまでもなく夢枕獏氏の「陰陽師」シリーズの大ヒットとその映画化が決定的ブームの火付け役を担った。特に、晴明歿後千年となる2005年(平成17年)には安倍晴明千年祭が行われ一層話題になった。筆者の記憶では、それ以前は社殿も今のように整備されていなくてひっそりとしたものではなかったかと思う。以前の方が霊力を感じたのは筆者だけではないだろう。とにかくいつ行っても賑わっている。なお、堀河通りに面して1の鳥居を設けたのは昭和25年で、となっている。平成29年には2の鳥居も出来た。
安倍清明は平安時代の陰陽師・天文学者であった人で、花山天皇の退位を事前に予想し有名になった。その後も数々の霊力を発揮し数代の天皇に仕えて、晴明が亡くなると、その時の天皇一条天皇はその遺業を賛え、その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。なお、隣接して千利休の屋敷があったところでその碑が建っている。
また、堀河通りを挟んで「一条戻り橋」があり境内入口にその模型がある。戻り橋は元々は、一条大路の堀川を渡る橋として平安京創設時に架橋されたのだが、「戻橋」という名前の由来については学者の三善清行の葬列がこの橋を通った際、父の死を聞いて急ぎ帰ってきた修行中の子浄蔵貴所が棺に祈ると、清行が一時生き返り、父子がひと時別れを惜しんだという伝説による。その後、占い橋としても数々の逸話を生む。また、戦国時代には処刑された武将たちの晒し首の場でもあった。千利休もこちらに首を晒された。近くに邸宅があったことはすでに書いた。
そのような橋なので、「出戻り」につながる為、嫁入り行列はもちろん嫁入り前の娘さんもこの橋には近づかなかった。逆に、太平洋戦争時、出征する京都の兵士たちはここを渡り無事戻れるように願った。京都の人は様々な縁起を担ぐのだ。神社の前のバス停は、「晴明神社・一条戻り橋前」となっている。(写真)
境内には、安倍清明の生涯を紹介する絵や、晴明の石像、樹齢300年の楠の御神木、厄払いの桃などあり見どころは多い。中でも晴明が念力で掘り当てた「晴明井」は必見だ。今でも清水が湧き出ていて飲料にも適している。確か井戸の五芒星型の蓋はその年の恵方を向いているはずだ。
鳥居の扁額には、「晴明桔梗」とも言われる「五芒星」が掲げられている。晴明による陰陽道における重要な祈祷呪符の一つだ。若い女性たちはそれぞれインスタ映えを求め撮影に余念がない。その後、お揃いの五芒星印の紙袋に一杯の縁起物を購入し帰路につく。さて、願いは何なのか?