俳優の神山繁さん(87)が亡くなっていたニュースで、故人の考え方が紹介されていました。
「葬式無用・戒名不要」
本人の意思を尊重して、葬式は行わず、ごく近親者だけで見送った。
有名人などがよくやる「お別れの会」もやらないみたいです。
当人は亡くなる前に骨壷を用意してたと、、、、
たぶん、そこに骨を入れ墓に・・・それ以外は何もしなくて良いと言う事なんでしょうネ。
このスタイル・考え方は私が理想と思っている形です。
しかし、現実には周りとの付き合いが有ったり、亡くなった人が広く事業なんかをしてて、それを引き継ぐ者はそれなりの葬式をしなければならない雰囲気が出てきます。
また、亡くなる人が意思を示さなかったり、、、意思を示したが変わったりする場合もあります。
私の父親の場合は
「その種の事はする人が自由にすれば良い」と言っていました。
しかし、この考えは亡くなる一年ほど前からの話で、ほぼ100年生きた父親の99年間は立派に葬式をすると言う考えでした。
遺言などでは新しい方が優先されますので、亡くなる一年前からの考え方を採用すれば良いと思うのですが・・・。
息子として親の気持ちを考えると難しい判断になります。
「その種の事はする人が自由にすれば良い」と言うのは、身体が不自由になり面倒をかけている状態の考えです。
今これだけ面倒をかけているのだから、死んでまで迷惑をかけるのは辛い。
これが考えの変化の原因になっている訳で、本質的な考えはとは違っていると判断できます。
それを感じた息子(私)の判断は迷いましたね~![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
葬式ってねぇ~ それだけで終わらないんです。
これを形式的な方法でやってしまうと、大袈裟なようですが末代まで影響します。
葬式に来てもらった親戚には「精神的・借り」が発生して、それを返す相手はオジオバの数だけ発生します。
その上に仏教なら、お寺さんとの付き合いも永遠に続きます。
戒名なんかも「院」を使うと、永遠に「院」を使うことになり費用も高くなります。
結果から・・・葬式を形式通りにやってしまえば、自分の子や孫に負の遺産を残してしまうのです。
金銭やとられる時間が嫌で、思い切ってその付き合いを止めるにしても、精神的にはかなり厳しいですヨ。
故人との別れを惜しむ人達が、埋葬や納骨する場所に集まり見送る、これで充分だと思うのです。
そこには宗教も義理も体裁もありません。
あるのは故人を思う気持ちだけです。
故人の家族は家で食事でもしながら、故人の写真や遺品を見て、思い出話に花を咲かせば良い。
故人と釣り・ゴルフ等で交際が有った人は、残った人達が趣味で一緒になった時に、故人の思い出を語り合えば良い。
そう言う姿が本来あるべき姿で、故人となった人との付き合いと思うのですが・・・
亡くなった人との付き合いは・・・細く・長くが良い。
その為にも最初に太く・大きくしない方が上手く行くと思います
「葬式無用・戒名不要」
本人の意思を尊重して、葬式は行わず、ごく近親者だけで見送った。
有名人などがよくやる「お別れの会」もやらないみたいです。
当人は亡くなる前に骨壷を用意してたと、、、、
たぶん、そこに骨を入れ墓に・・・それ以外は何もしなくて良いと言う事なんでしょうネ。
このスタイル・考え方は私が理想と思っている形です。
しかし、現実には周りとの付き合いが有ったり、亡くなった人が広く事業なんかをしてて、それを引き継ぐ者はそれなりの葬式をしなければならない雰囲気が出てきます。
また、亡くなる人が意思を示さなかったり、、、意思を示したが変わったりする場合もあります。
私の父親の場合は
「その種の事はする人が自由にすれば良い」と言っていました。
しかし、この考えは亡くなる一年ほど前からの話で、ほぼ100年生きた父親の99年間は立派に葬式をすると言う考えでした。
遺言などでは新しい方が優先されますので、亡くなる一年前からの考え方を採用すれば良いと思うのですが・・・。
息子として親の気持ちを考えると難しい判断になります。
「その種の事はする人が自由にすれば良い」と言うのは、身体が不自由になり面倒をかけている状態の考えです。
今これだけ面倒をかけているのだから、死んでまで迷惑をかけるのは辛い。
これが考えの変化の原因になっている訳で、本質的な考えはとは違っていると判断できます。
それを感じた息子(私)の判断は迷いましたね~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_gaan.gif)
葬式ってねぇ~ それだけで終わらないんです。
これを形式的な方法でやってしまうと、大袈裟なようですが末代まで影響します。
葬式に来てもらった親戚には「精神的・借り」が発生して、それを返す相手はオジオバの数だけ発生します。
その上に仏教なら、お寺さんとの付き合いも永遠に続きます。
戒名なんかも「院」を使うと、永遠に「院」を使うことになり費用も高くなります。
結果から・・・葬式を形式通りにやってしまえば、自分の子や孫に負の遺産を残してしまうのです。
金銭やとられる時間が嫌で、思い切ってその付き合いを止めるにしても、精神的にはかなり厳しいですヨ。
故人との別れを惜しむ人達が、埋葬や納骨する場所に集まり見送る、これで充分だと思うのです。
そこには宗教も義理も体裁もありません。
あるのは故人を思う気持ちだけです。
故人の家族は家で食事でもしながら、故人の写真や遺品を見て、思い出話に花を咲かせば良い。
故人と釣り・ゴルフ等で交際が有った人は、残った人達が趣味で一緒になった時に、故人の思い出を語り合えば良い。
そう言う姿が本来あるべき姿で、故人となった人との付き合いと思うのですが・・・
亡くなった人との付き合いは・・・細く・長くが良い。
その為にも最初に太く・大きくしない方が上手く行くと思います
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ee_2.gif)