地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

同性婚・判決の報道は疑問が・・

2023-06-08 13:28:08 | 最近のニュースから

同性婚を認めないのは憲法に違反するとして、男のカップルが国に損害賠償を求めた訴訟。

名古屋地裁で(西村修裁判長)、、、「違憲」と判断

そして今日も福岡地裁で「憲法に違反する状態」と指摘。

こんな感じの見出しで色々な報道機関が記事にしています。

 

こういう見出しを見て、一般の人たちはどう感じるのでしょうか・・。

同性の結婚を異性同士の結婚と同じように認めないのは、裁判所の言うように間違っていると判断するのが時代の流れと、感じませんか?

しかし、それは少し間違っています。

 

もう少し判決を読むと、、、

「婚姻の自由」を保証した憲法24条1項が異性間の婚姻のみを想定していることを、この名古屋の裁判官は認めているのです。

ただ「法の下の平等」を保証する憲法14条に違反すると言っているのです。

そして、判決文の中に「現行規定が同性カップルを保護する枠組みすら与えていない」と言っています。

つまり、、、何処を見ても「異性間の婚姻と同じように扱え」とは一切言っていません。

それどころか同性カップルに対する別の枠を定めれば、違憲とは言えないとの判断もある事を含んでいます。

 

「婚姻の自由」と「法の下の平等」を照らし合わせて、突き詰めていくと矛盾する点が発生すると判断したのです。

こういう現象は一般的な法律でも度々発生します。

そして、発生する度にそれを改正したり、解釈を変更したりして対処しています。

何故にその様なことが発生するかと言えば、その法律や憲法を作った時と発生した時では、社会の常識や人々の知識や感覚が変化して違っているからなんです。

 

 

報道機関の報道は〇〇裁判所は合憲、××裁判所は違憲。

そんな比較に重きを置いて、それぞれの内容について詳しい情報は後回しになっています。

たちまち判決文の中まで読む人は少ない。殆どいないと言っても良いくらいです。

そんな事はよく理解しているマスコミが、大きな見出しだけで一般の人たちをある方向に進ませています。

同性婚を認めないのは違憲 ⇒⇒ 一般の婚姻と同じように扱えとミスリードしているのです。

 

男で心は女と言う人が気兼ねなく使用できる公衆トイレを造るために、女子トイレの一部を改造したら。

その公衆トイレを利用する女の人がいなくなった。

こう言うことがオーストラリアで発生した。

これは世の中の風潮に乗って、同性愛者に理解を示した結果、法で認められたのですが・・・

女性の心の奥底には男が隣のトイレに居る事が嫌だと言っているし、その場にいる事で自分も同性愛者と誤解されたくないのしょう。

 

もし同性愛者を認めるような法整備をしてしまったら、とてつもなく広い範囲にわたって問題が発生します。

男がとれば変質者扱いされるような行動でも、その人が「心は女」と法でお墨付きを与えるのですから、男が女に対しての変質行為だと通報しても、駆け付けた警察官は「心は女」として認められていると言えば対処できなくなります。

 

また、男として生まれたが「心は女」として一度認めたら、それは一生涯変わらないことを前提とすることになる。

何処の誰が責任をもってその事を認めるのか?

 

公衆の風呂はどうするのか・・・ 

スポーツだって男から女に性転換した人に記録を塗り替えられて、女子選手たちから逆に不公平だと声も上がっている。

例え性転換手術を受けても、男としての筋肉はそれなりに残っていて運動能力に影響するのでしょう。

法で認めると、求める権利が当初より広くなるのは常識です。

そして色々と求められた方は、相手が法で認められていたら訴訟で負けます。

公共のトイレや風呂だけでなく、民間の何かのクラブでも色々な対応を求められるようになります。

男と女で結婚して子供をもうけたのちに、離婚して同性婚をしたりして。

社会の中で自分の都合によって男を主張したり、女を主張したり、、、そんなことだって発生する。

具体的に頭の中で直ぐに考える事が出来ないほど複雑ですね。

 

私たちの結婚はあくまでも男女の間で成り立つもので、男同士や女同士で成り立つものとは別物です。

 

何度も言いますが、同性愛者など性的に少数派の地位を法で認めると言うのは、欧米の白人社会の流行りです。

日本が遅れていると言われるなら、それでも良い。

どうせなら、もう少し遅らせて進んでいると言う国々で、どの様な問題が発生しているかを見極めてからでも遅くはない。

その間に少数派のその種の人たちが不利益を被るといいますが、それは受け入れてもらいましょう。

他の事でも少数派の人々が不利益を被る事は沢山あります。その種の人たちだけの話ではありません。

少数派の意見を大事にして取り入れるのは良いが、その為に多数の人々にリスクを発生させても良いとはならない。

 

同性愛者の感覚は1ミリも理解できない私ですから、その部分に対しての考えが偏っていねのかも知れません。

しかし、どう理解しようと思っても、理解できないものは理解できない。

心中事件で話題になっている歌舞伎の猿之助にしても、、、

彼は、、、「女の心を持った男」なのですか?

それとも「身も心も男」だけど、性的嗜好が同性愛なのですか?

それらとは違って、まったく別の人種なのですか?

そして、、、「女の心を持った男」と婚姻を希望している同性愛の相手は何なのですか?

これねぇ~ 私の知ってる範囲なので例が少ないのですが、男同士でも女同士でも同性愛者の繋がりは千差万別で、簡単には言い表せません。

つまり定義が不明瞭な実態が有り過ぎるので、それを法で一つの形の中に収めるのは無理が有ります。

同性愛者の中でも、例え法で婚姻を認められても表に出したくない人も存在して、私達一般的な人間は対処に困ります。

 

こういう事に理解を示していると表現したいのか・・・

ある小学校で同性愛者が講師として招かれ、子供たち相手に性的少数者の話をした。

とんでもない間違いです

性的に未熟な子供たちに、一方向の思考回路を持った人に話をさせるなんて・・・悪影響以外の何物でもない。

 

人間と言う生き物は男(オス)と女(メス)の性行為で生存し続けるのが条件で、最も重要な基本的な行為です。

結婚(入籍など)は人間として最も大事なことを社会が手助けするシステムです。

本質的に違うものを同じ枠の中に入れる事は、必ず後々の社会に問題が発生する原因となります。

裁判官や報道に関わる人たちは「今」を大事に判断しているのかも知れませんが、男女間の婚姻は「将来」が重要だという点を考慮してほしいものです。

もう一度言いますが・・・

同性婚と本来の男女の結婚を同じ枠に入れるのは無理が有ります。

裁判所の判断も「違憲状態」と言っているだけで、従来の結婚と同じように認めなさいと言っている訳ではない。

そこを混同しないでほしいものです。