脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

裁判も大詰め(^^)振り返ると複雑な心理。訴訟するキッカケ、

2018年10月07日 09時11分49秒 | 裁判
昨日。私の代理人弁護士から電話が(^。^)
来月の裁判期日に備える陳述書を作成するため連絡をくれました。
そのやりとりをしながら。
私は弁護士に
『会社代表者が、あんな人でなければ訴訟提起せず示談に応じていたかも知れません。』

電話ん切ってから回想しました。


過重労働により労働災害被災者となったのが平成25年6月。脳出血🧠発症の瞬間。
【死】の不安と恐怖、そして覚悟が心の中を駆け抜けました。
半月に渡る入院生活の間。労災保険適用認定を心から願い祈っていました。

退院する、ほんの2〜3ヶ月ほどまえ。
スマホでネット検索。
キーワードは【労災】
労災保険認定率とか、プログなどを読み漁っていると?
【労災損害賠償請求】に関する内容のサイトが目に入ったのです。

へぇ。訴える人もいるんだ。その時はそんな気持ちでした。

でも。その気持ちから変わっていったのは、ある日の出来事がキッカケになったのです。

それは退院する1ヶ月ほどまえ。
平成25年11月。
私が入院している病院に代表者が来ました。
お見舞い。最初は、そう思っていました。
が。
話をしていくうちに私の状態と今後の事が主な内容でした。それはそれとして良いのです。(^^)

その内容。
今後の雇用について。
退院後は役職を解き年収は半分以下。
確かに。それは仕方ない事ではあると思いますが。その時の話の仕方、表情、内容。
なーーんか。ね。って。

仕事が出来ないなら辞めることも考えなければならない。

その時、私は車の運転も仕事も出来るつもりでいました。はは(^^)

現実を知るには時間がかかります。その事は少し置いておいて。

代表者から優しさ。を全く感じられなかった。
人は弱っている時って人の優しさが欲しいんだなぁ。
事務的と言うか。他人事。
それが全てと感じたのです。
会社代表者から。
労わり、思いやり、そんな感情が一寸たりとも感じなかった。

代表者が病室を出たら後。
しばらく、思うことが。

その翌日。
私は訴訟をしようかな。
そんな気持ちになったのです。
コメント
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