脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

なんで?俺が?と思い始めたけど。

2018年10月30日 14時26分37秒 | 入院日記
病と向き合うには時間が必要です。
私の場合は脳の視床下部の出血でした。
物の視認性は血腫が引いていくに従って見えるようにはなったものの。
三重に見えてました。
最初の2週間。
ベッドが離れるときはリハビリの時だけ。

左腕は鉛のように重く自分で動かす事は出来ませんでした。
左足も同じこと。
感覚が全くなく自分の腕、足とは思えないくらい

顔面の左が。
左目の当たりが落ち込んで顔が窪んだようになってしまって。
目の周りと左のくちびる周辺からほっぺにかけて
痺れています。それは今でも。

ズーーツとベッドの上で過ごしてました。
もちろん。
便はオムツに。尿は看護師さんを呼んで尿器で致します。

こんな事が続くと心は折れます。
2人部屋でした。
同室と60歳くらいの男性が歩く姿を見るたびに羨ましく思ったものです。
その男性が入院中でも自宅へ外泊許可が出た事を聞いたとき。
ホントに羨ましいと。

歩けること。
そんな当たり前な事が出来なくなった自分。
そんな当たり前ことに
これまで感謝した事がありませんでした。

普通に歩いて。普通に食べられる。
1週間はペースト状の食事でした。
固形物が食べたい。
お米の形を食べたい!
そんな当たり前の事すら叶わないのです。

なんで?俺なんだ?
何で俺が脳出血に?

定期的に脳外科の先生が病室に来られました。
『とにかく血腫が引くまでは我慢して。少しずつ進めていきましょう。』
日にちが経過すると共に
点滴の良が減り
ベッドから車椅子の移動練習が出来始めても
その時はとにかく一生懸命。
嘆いたところで身体が元に戻るわけじゃない!
とにかく頑張る!だけ。
毎日毎日。
妻は仕事を終えてから車で病院まで来てくれていました。
一日も欠かさず。
妻の愛を感じました。
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救急搬送され気がついたら。(´-`).。oO

2018年10月30日 09時29分13秒 | 入院日記
病をどう受け止めて受け入れていくか?(^^)
大きな課題でした。

平成25年6月に職場で脳出血を起こし病院へ運ばれた直後、意識を失いました。

目が覚めると
とにかく目は開けているのに?
見えていても一つの物がいくつも重なって見える
トンボの目??数十個?見えてても
それが何かがわからないのです。

集中治療室は常に照明が照らされ
とにかく明る過ぎに感じ、一体、昼なのやら夜なのやら。全くわからないんです。

誰かが病室に入ってきても声は聞こえますが。
どこに居るのか目視できないんです。

なんとなく人の影が目に入ってくるのですが。
何人も何人も重なって見えて。

その状況で私はパニックになりました。
目が!目が!全く見えないのは遥かに辛い事なのかも知れませんが。
目が開いて光も感じているのに?
見えていて見えてない。
その感覚は恐ろしかった。のです。

辛さ
そして怖さ
寂しさ、不安などなど。
私の心の中はおかしくなり。
2、3日は大声で叫んでいたそうです。
そして
やたら妻の名前を呼んでいたそうです。
看護師さんに
妻へ連絡するように叫んでいたそうです。
妻も夜遅くに病院まで来てくれたそうです。

でも。全く記憶がありません。

その時、私はまだ脳出血を起こしていたという
実感がなかったのです。

狭いベットに寝かされ
身体中は点滴のチューブ
コード、人差し指にも何やらつけられて、コードが繋がっていて。

何が何なら。

全く今の状況を受け止めることも受け入れることも出来ていなかったのです。
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