病と向き合うには時間が必要です。
私の場合は脳の視床下部の出血でした。
物の視認性は血腫が引いていくに従って見えるようにはなったものの。
三重に見えてました。
最初の2週間。
ベッドが離れるときはリハビリの時だけ。
左腕は鉛のように重く自分で動かす事は出来ませんでした。
左足も同じこと。
感覚が全くなく自分の腕、足とは思えないくらい
顔面の左が。
左目の当たりが落ち込んで顔が窪んだようになってしまって。
目の周りと左のくちびる周辺からほっぺにかけて
痺れています。それは今でも。
ズーーツとベッドの上で過ごしてました。
もちろん。
便はオムツに。尿は看護師さんを呼んで尿器で致します。
こんな事が続くと心は折れます。
2人部屋でした。
同室と60歳くらいの男性が歩く姿を見るたびに羨ましく思ったものです。
その男性が入院中でも自宅へ外泊許可が出た事を聞いたとき。
ホントに羨ましいと。
歩けること。
そんな当たり前な事が出来なくなった自分。
そんな当たり前ことに
これまで感謝した事がありませんでした。
普通に歩いて。普通に食べられる。
1週間はペースト状の食事でした。
固形物が食べたい。
お米の形を食べたい!
そんな当たり前の事すら叶わないのです。
なんで?俺なんだ?
何で俺が脳出血に?
定期的に脳外科の先生が病室に来られました。
『とにかく血腫が引くまでは我慢して。少しずつ進めていきましょう。』
日にちが経過すると共に
点滴の良が減り
ベッドから車椅子の移動練習が出来始めても
その時はとにかく一生懸命。
嘆いたところで身体が元に戻るわけじゃない!
とにかく頑張る!だけ。
毎日毎日。
妻は仕事を終えてから車で病院まで来てくれていました。
一日も欠かさず。
妻の愛を感じました。
私の場合は脳の視床下部の出血でした。
物の視認性は血腫が引いていくに従って見えるようにはなったものの。
三重に見えてました。
最初の2週間。
ベッドが離れるときはリハビリの時だけ。
左腕は鉛のように重く自分で動かす事は出来ませんでした。
左足も同じこと。
感覚が全くなく自分の腕、足とは思えないくらい
顔面の左が。
左目の当たりが落ち込んで顔が窪んだようになってしまって。
目の周りと左のくちびる周辺からほっぺにかけて
痺れています。それは今でも。
ズーーツとベッドの上で過ごしてました。
もちろん。
便はオムツに。尿は看護師さんを呼んで尿器で致します。
こんな事が続くと心は折れます。
2人部屋でした。
同室と60歳くらいの男性が歩く姿を見るたびに羨ましく思ったものです。
その男性が入院中でも自宅へ外泊許可が出た事を聞いたとき。
ホントに羨ましいと。
歩けること。
そんな当たり前な事が出来なくなった自分。
そんな当たり前ことに
これまで感謝した事がありませんでした。
普通に歩いて。普通に食べられる。
1週間はペースト状の食事でした。
固形物が食べたい。
お米の形を食べたい!
そんな当たり前の事すら叶わないのです。
なんで?俺なんだ?
何で俺が脳出血に?
定期的に脳外科の先生が病室に来られました。
『とにかく血腫が引くまでは我慢して。少しずつ進めていきましょう。』
日にちが経過すると共に
点滴の良が減り
ベッドから車椅子の移動練習が出来始めても
その時はとにかく一生懸命。
嘆いたところで身体が元に戻るわけじゃない!
とにかく頑張る!だけ。
毎日毎日。
妻は仕事を終えてから車で病院まで来てくれていました。
一日も欠かさず。
妻の愛を感じました。