脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

全て自分に返って来ます(^^)

2018年10月07日 20時25分06秒 | スピリチュアル
どんな小さな事でも全て自分に返って来ます(^^)
行動も言葉使いも。
与えれば与えられるし。奪えば奪われる。
自分が大切なら他人を大切に。

まずは言葉遣いから。(^^)
丁寧さは基本。
相手に思いやりを伝える言葉を選んで伝える。

上から言わず。お願いや感謝の言葉を添えて伝える。たとえ先輩や上司が部下や後輩に言うのも命令口調で言ってはいけないと思います。
自分を大切にしたければ。

自分を大切にしたければ決して他人を責めたりしないこと。ましてや裁いてはいけないのです。

『許してあげましょう』

責め言葉は愼む。

人のために。
笑顔でいる。愚痴は言わない。
悪口や批判も。
人を見下したり評価する評論家になってはならない(^^)

人を排除したら、いつか、自分が排除されます。
報復人事は、もってのほか。
弱い人に優しく。
子供、女性、障害者はもちろん。
勉強が苦手、スポーツが苦手な友達をバカにしてはいけません。
優しく接してあげましょう。
自分が大切なら。

偉そうに
踏ん反り返ってはいけません。
立場を利用して圧力をかけてはいけません。
いつか
自分がそうされます。

募金や寄付も
優しくしたり
思いやりを込めたり
年齢を重ね苦難困難を乗り越えた後
人生を振り返ると
それでよかったと必ず思い幸せな気分になれます。
反対に人を責めたり責任を押し付け
自慢ばかり。
そんな人もいつか、必ず後悔します。

人は死ぬ直前の多くの後悔は?

もっと人に優しくしていれば良かった。
と思う事らしいですから。
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裁判も大詰め(^^)穏やかな日常へ。

2018年10月07日 16時43分52秒 | 裁判
会社の本音d( ̄  ̄)いや。会社代表者の本質が見えたのが。割増賃金訴訟を起こしてからでした。

私自身も初めての訴訟。
会社側の主張する書面を初めて読んだ時は本当に怒りがこみ上げて来ました。

全ての責任は会社でなく私。
労働基準法など守ったら中小企業の経営は出来ないとまで言う経営者でした。
この傾向は損害賠償請求訴訟でも同じでした。

先日、私の代理人弁護士との電話でのやり取りのとき。
弁護士は『何も、そこまで言わなくても。と思った文面はありましたよ。決して少なくなかったですし。』
重箱の隅をつつくような主張文面。
ここまで経営者として責任を逃れようとする代表者。
代表者な目の前は損害賠償金額を1円でも少なくするために必死な文面。

いや。それしか見えないの?
そう思ったのです。

私は弁護士に。
『割増賃金訴訟のやり取りで、そんな経営者でなければ損害賠償請求訴訟には至らず示談していたかも知れません。』と言いました。

私の気持ちの中では『お金』ではなくなっています。
でも。常にと言うと嘘になります。
人間った弱いなぁ。
つくづく感じ入っているのが今の心境です。

お金、お金でない!と思い込もうとする自分も片方ではありながら。
一方ではお金なのです。
これが結構、辛いのです。
和解案がまもなく提示されます。
正確には和解額。
ザックリとした金額が提示され、双方で和解の意向があれば具体的金額を裁判所は後日、提示すると共に双方より和解条件があれば盛り込める内容がどうか?まで検討されていくそうです。

弁護士に相談に行ってから4年10ヵ月が経過しました。
私の心は時にはぐるぐる洗濯機に入ったようにかき混ぜられたり。台風の如く強い風や雨がやってきたり。
時折、お日様が顔を出したり。

昨日、妻が。
『お父さん。この10年、色々とあったやん?A香の拒食症、E香の非行、お父さんの病気、おばあちゃんの認知症、ホンマ、次から次。ありすぎた。今、やっと穏やかになってきたやん。今年の内に裁判も終わりたいよね。』

私は黙ってうなづいたのでした。
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最近、よく思い出すんです(//∇//) 20才の思い出

2018年10月07日 15時28分23秒 | わが半生
最近になってよく思い出す事が。(//∇//)

それは21歳前後の頃でした。

当時、お付き合いしていた女性の事を思い出すんです。
私は大手靴のチェーン店に勤めていました。
丁度、高槻市内に新店舗がオープンするという事で水無瀬店から移動となったのです。
入社したてで、いきなりの異動でした。

お店は高槻市深沢町。最近、Googleマップストリートビューで見ましたが。
残念な事にお店は無くなってました。

新店舗オープンという事で新たに社員増員とアルバイト募集を会社はしていたのです。
オープン後、人員は店長他4名
アルバイト3名でオープンセールをスタートしたのです。
その時の女の子3名の1人が私の彼女となる女性でした。
決して美人でも可愛いくもありません。
スタイルたって良くありません。
でも。
彼女と一緒にいると妙に落ち着くのです。

仕事の合間に休憩しますがお店の近くに小さな喫茶店がありました。
お店の名前『喫茶おおくぼ』
なんと昭和。(^^)

たまたま彼女とオープンセールの真っ最中のつかの間の休憩を一緒にすることに。

コーヒーを飲みながら会話をしていましたが。話が合うというか、居心地が良かったんです。

『次の休みの日、ドライブせぇへん?』
私が誘うと彼女は笑顔でOKしてくれました。

初めてのドライブ。
彼女は短大生でした。私は日曜祝日は休む事が出来ないので平日、授業が早く終わる日にドライブに行く事となり京都方面から琵琶湖へ抜けていくコースを走りました。

夕方、大阪に戻り高槻市内のファミリーレストランでご飯を食べながら。
『付き合ってくれへん?』
私の申出を彼女は笑顔でOKしてくれたのです。

とにかく落ち着くし居心地が良かったのです。
その日から交際がスタートしました。
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裁判も大詰め(^^) お金第一から変化が。

2018年10月07日 10時13分09秒 | 裁判
弁護士に相談に行ってから。私はネットで労災事件の判例などを見ていました。
すると。
多くの方が過労死されている事を知ったのです。

あってないような労働基準法。
36協定無視の会社。
社員を道具としか見ていない会社。

とにかく儲けさえするばいい。
そんな会社が
どれだけ多いか。

そんな記事の中で
一番印象に残ったのが『和民過労死事件』
新卒入社の女性が長時間労働の末
自殺しました。
遺族であるご両親が会社を訴え結果は勝訴に近い和解となりました。

複雑な思いを私の中を駆け巡るのでした。
その事件以降。
毎日の新聞記事やネットニュース、テレビでのニュースで労災事件を見聞きするに従った私の心境に変化が現れてきたのです。

そして。
そんな折に弁護士から『未払い残業代訴訟をしませんか?』と。
多くを語らない弁護士。
なんとなく。
やらなければいけないのでは?
残業代は2年で時効になるため私の請求出来るのは半年分でしたが。計算すると150万円にもなりました。
残業代は正当な対価。
であれば請求すべき。

私の心の声が聞こえたのです。
平成27年11月
私は会社を相手取り割増賃金請求訴訟を起こしました。
これは損害賠償請求訴訟を提起する前の準備運動のつもりでもありました。

そして割増賃金訴訟提起した当月下旬。
労働基準監督署から
労災年金支給が認められたのです。

これには妻も喜んでくれました。
これで
私が死ぬまで国から守られるわけですから。
家族のために。
ただ、それだけ。

話を戻します(^^)
様々な労災事件。過労死や自殺のニュースを見聞きするうちに。

お金第一で訴訟をすると。
とにかく疲れます。
何が?って?
言葉で形容はし難いです。

自分の利益優先で考えていけば行くほど
心が重く、苦しく
後ろめたさ。さえも感じるのです。

私の心の中で損害賠償請求訴訟をするにあたり
志を変えようと。思い始めたのが
その頃です。
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裁判も大詰め(^^)振り返ると。弁護士に相談した当初。

2018年10月07日 09時25分07秒 | 裁判
平成26年1月(^^)
私と妻は大阪の淀屋橋近くにある弁護士事務所へと相談に行きました。

2時間近くの相談。
弁護士からは十分に受任出来る事案と伺い、その数日後、正式にお願いしたのです。

この時は家族を守るため。
お金が第一でした。

情け無いかも知れません。
でも。労災保険は認定されたものの。年金を受け取れるか?どうかは、その約2年後に判断されたのです。
もし?年金ではなく一時金だけなら家族を路頭に迷わせる事に。
長女は大学一年生。次女は高校一年生でした。

教育費。子供達の将来のために。
だったのです。

退院し自宅に戻って毎日の生活をしていくうちに
『あーー。仕事は無理だなぁ。』
そう思い始めたのです。
気持ちと身体との差が激しい。
とにかく
目から見えるものは二重に見える。
左半身麻痺はとても身体を重く感じさせる。
疲れやすい。
手が震える。パーキンソン病みたい。
食べるのに時間もかかる
パソコンのキーボードは右手でしか打てない。
電話はスマホのスピーカー状態でしか出来ない。
などなど。

アッサリ。
仕事復帰は諦めました。
だから。
お金が第一になったのです。
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