いろいろ空(宇宙)ブログ

愛機N-BOXと以前乗っていたプジョー206やストリーム。趣味の写真や気象の事などで綴られた日記の様な物です。

あれから20年か・・・

2015-01-17 20:12:32 | 日記
今日は1月17日。阪神淡路大震災が起こってから、今日でちょうど20年となる日です。一口で20年と言っても、人それぞれ。長く感じた方もいれば、あっという間の20年だった…と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
当事者では無い、僕の感想は「長かった」です。僕は、確かに当事者ではありません。でも親戚が(同じ苗字)が、神戸市北区に住んでいました。
震災直後は、もちろん連絡の取り様がありませんでした。今でもそうですが、電話はいっさい通じない状況でした。当時は、まだまだ携帯電話も普及はしていませんでした。
地元から神戸までは「ちょっと行ってみようか」なんて言える様な距離ではありません。当時。うちの親父達が、落ち着かない様子でいた事が思い出されます。
震災から日が経つに連れて、NHKのラジオが犠牲者の名前を読み上げている事を知り、ずっと耳をこらして聞いていた事を思い出します。僕と同じ苗字の方は出て来ないかな?と。
もちろん、聞き逃す事もあるでしょう。それでもね、少しでも情報になるのなら…と、必死で聞いていました。そうこうしているうちに、神戸の親戚の方から「無事でいるよ」という連絡が来て、すごくホっとした事を思い出しました。
その親戚も、今では病気が原因で亡くなりました。少なくとも、自分のところに入って来ている情報では、震災関連死では無い…と聞いています。
震災当日の朝。僕はいつもと同じ様に、6時前にテレビを点けました。その時の、日テレアナウンサー(当時)永井美奈子さんの悲痛な声は忘れません。
あとで知った事ですが、震災の揺れが、地元まで震度1という形で届いていたみたいでした。神戸から地元まで、相当の距離があるのにも関わらず…です。
あれから20年。神戸の親戚の方は亡くなり、当時落ち着かない様子でいた、親父も亡くなりました。その点から言うと、やっぱり「長かったのかな」という感じがします。
都市部の直下での地震。東京・京都・大阪などでも、今では危惧されています。当時の教訓は、あまり生かされていない・うまくいっていないという事が、東日本大震災でも明らかになっています。
自分たちに出来る事は「せめて備えよ」だけです。来なければ良いのですが、日本に住んでいる限り、それはありません。
その事を再び考える様にする機会が来たという事ですね。1番肝心な事は「忘れてはいけない」という事でしょう。
コメント
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