南野島男のGood Times

日常感じたことを面白おかしくエッセイ風に書きつづります。
これぞ笑いと勇気の玉手箱!

食糧危機と食べ物番組

2008-06-20 21:40:20 | Weblog
テレビをつけるとどこかの局で必ず食べ物番組をやっている。
ひどい時には4つのチャンネルが同時に食べ物番組だったりする。
そんな番組では必ず石塚をはじめとするいわゆるデブキャラのタレントがレポーターとして登場し、ありあとあらゆる料理を食いあさる。
それを見ながらスタジオのこれまたお笑い芸人を中心とするタレントがうらやましそうによだれをたらし悲鳴をあげる。
時にはスタジオで生のご馳走が出てきて出演者が食べまくり、その感想は決まって「おいひー!」と叫ぶことになっている。
もっとひどいのはギャル曽根などを有名にした大食い番組である。
マグロにしても焼肉にしても和食洋食を問わず異常な数の料理をテレビ局が用意し、それを誰が一番多く食べるか競うものであるが、その時の料理は味合うというには程遠く、人が生きるために食べるという意味のかけらもない。
このように今のテレビ番組にはあまりにも料理を食べる番組が多過ぎる。
視聴率が稼げるという理由がそこにはあるのだろうが、儲かりさえすれば何でもやっていいのかと言いたくなる。
いつか必ずその罰は当たることになるはずである。
現に非常に近い将来日本も食糧危機に襲われることは避けられないのである。
今の日本人は世界では特にアフリカあたりでは子供たちがお腹を空かしてるらしいの漠然とした情報しかない人間がほとんどだ。
外国ではありえてもまさかこの日本では食糧危機なんて絶対に在り得ないくらいに思ってるはずだ。
餓死してる人間が毎日4万人もいることなんて全く知りもしないはずだ。
その内、毎日毎日食べ物が食べられなくて1万人の子供たちが死んで行っていることなんてしらないのだ。
でなければ馬鹿ヅラかかえてくる日もくる日も番組の中でご馳走を食べまくらないはずだ。
もういいかげんにこんな番組はやめるべきだ。
食糧自給率がわずか39%しかない国の人間がやるような行為じゃないことは誰がみてもわかる。
石油が高騰して一般庶民がガソリンを入れきれなくなって車に乗るのをやめようかと考えていたり、燃料代高騰で全国の漁船が出漁をやめている中で、視聴率が取れるからといってガソリンや灯油を燃やして芸人たちに罰ゲームかなんかやらせる番組をやればどんだけの批判を浴びるのかは想像がつくはずだ。
先進国で金があるから自給率が低くくても買えばいいじゃんくらいの考えならそれは大きな間違いである。
世界中の国が自分らが食べないと生きて行けない状況の時に金出したって譲ってくれるはずがない。
ましてやついこの前まであらゆるテレビ番組で、馬鹿げた食べ物番組を作り続けた優しさのかけらもない国には援助の手は差し伸べられなくてもしょうがない。
現在世界中の死亡原因トップは餓死だ。
年間に1500万人以上が餓死しているのが現状だ。
日本政府首脳も世界食糧会議に出席していろんな意見を述べるのだろうが、どんな偉いこと言ったってテレビでこんなことやらせていたんじゃ矛盾している。
即刻政府命令でこれらの番組製作は中止させるべきである。
どうしてもそれが出来ないというなら番組の間中、テロップで本日の世界の餓死した子供たちの数と映像を流し続けながらやって欲しい。
それでも「おいひー!」と叫ぶタレントの顔をみて、家族団らんの気分に浸れるようならこの国ももう終わりとしか言いようがない。






自分へのご褒美

2008-06-20 16:37:32 | Weblog
最近の十八銀行のCMで「退職金は自分へのご褒美として・・・」というくだりがある。
いつもこれ見ていて思うのだけれど、ご褒美という言葉は人に対してしてあげる時に使うのであって、自分でするときは褒美と言わなきゃならない。
そんなことは本当はどうでもいいことなんだが、要するに僕はこの「自分にご褒美」という言葉が前からどうも気に入らない。
昔、オリンピックの女子マラソンで有森選手の「自分で自分を褒めてあげたい」という言葉が流行ったが、彼女があの場面で言った意味と、そこいらへんのOLが自分の行為を正当化するというか、無駄な買い物の理由付けに乱発する「自分へのご褒美」とは別物である。
欲しかったら買やいいのに、それをわざわざ私はこんなに頑張ったんだからこれくらいはしてあげなきゃとか分けのわからない理由はなんなのだろう。
ある目標を掲げてそれが達成されたならこれを買おうとかこれをしようとかいう楽しみの気持ちはわかる。
しかし、その結果が自分の努力とか頑張りによって実現できたと思い込み、その上その偉かった自分に対して丁寧にごまでつけて褒美まで与えなくちゃという考えはあまりに幼稚というか自己中心的である。
そんな人たちは何でも自分ひとりの力でやれたと勘違いする人が多い。
自分が頑張ったから出来たと勘違いする人が多い。
自分が頑張れたのは、まわりのいろんな人たちの助けがあったからこそ出来たという一番大事なことを忘れちまっているのだ。
自分が自分に感謝してどうするんだよ。
感謝は人に対してするもので、その気持ちが本当の「感謝」というもの。

精神が病的に落ち込んだ状態の人や、ひきこもったりする人は、俺はこんなに頑張っているのにとか、全部回りが悪い社会が悪いとか思い込む。
自分には何の落ち度も原因もないと思い込んでいる人が多い。
しかし、究極の真理から言うと、良くない結果は全部自分に原因があること、逆にいい結果はすべてみなさんのお陰だと考えるのいいかもしれない。
ということは、いい結果が出た時は自分の力、悪い結果が出たら人のせいにする人がするのがこの「自分へのご褒美」といえる。
だから「これ今回の頑張りに対しての自分へのご褒美なの」なんて決して口に出したりしないことだ。
世の中わかってない奴か、自分のことしか考えないどうしようもない奴だと公表してるようなものだ。

最初に話した十八銀行のCMも、退職金はしっかり貯金して行きたかった温泉に夫婦で出かけたくらいの表現にしとけばいいものを、「自分へのご褒美」とか不要な表現は避けるのがよかったかもしれないね。
こういう誤った日本語を使うのはよくないとちゃんと指摘してあげたこの僕は心の中できっと思っている。
「自分を自分で褒めてあげたい」と。