天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

文化の日には

2009年11月03日 | Weblog
 「自由と平和を愛し、文化をすすめる」1946年11月3日に日本国憲法が公布された日(施行は翌年5月3日)であり、日本国憲法が平和と文化を重視しているということなどから、この日が「文化の日」に定められた。

 「冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」が、東京・上野の東京都美術館で12月20日まで開かれている。藤原俊成、定家、為家らを祖とする京都・冷泉家が守り伝えてきた和歌にまつわる至宝から、平安時代以降に書かれた貴重な和歌の書物など国宝・重要文化財計400点以上が一堂に公開されている。
 藤原氏は氏族、公家。
 藤原 俊成(ふじわら の としなり「しゅんぜい」とも)法名は釈阿(しゃくあ)。早くから歌人としての活動を始め、藤原基俊に師事する。佐藤義清(西行)の出家に影響され、自身も一時その願望を持つ事となったが、平安末期の無常観を反映しつつ、万葉集や古今集の伝統を踏まえた抒情性の豊かな歌風を確立し、当世風の新奇性を重視した六条流の歌風と当時の歌壇を二分した。和歌所寄人をつとめ、後白河院の院宣で『千載和歌集』を編んだ。
 藤原 定家(ふじわら の さだいえ「ていか」とも)藤原俊成の二男。法名は明静(みょうじょう)。代表的な新古今調の歌人。俊成の「幽玄」をさらに深化させて「有心(うしん)」をとなえた。二つの勅撰集、『新古今和歌集』、『新勅撰和歌集』を撰進、『小倉百人一首』(私撰和歌集)を撰出。歌集に『拾遺愚草』がある。定家自身の作で百人一首に収められているのは、「来ぬ人を まつほの浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」。18歳から74歳までの56年にわたる克明な日記『明月記』(国宝)を残した。明月記にはおうし座で超新星爆発が起こったこと(現在のかに星雲)に関する記述があり、天文学上、重要な資料となっている。
 藤原 為家(ふじわら の ためいえ)父は藤原定家。別称は中院禅師・冷泉禅門・民部卿入道。法名は融覚・静真。『続後撰和歌集』を選出。1256年(康元元年)に出家。1265年(文永2年)には藤原基家など4人で『続古今和歌集』を撰進している。晩年は『十六夜日記』を記した阿仏尼と同棲してその子為相を溺愛、為相が冷泉を名乗る。

 小倉百人一首 蝉丸摂関家藤原北家道兼流・宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)が京都嵯峨野に建築した別荘、小倉山荘の襖色紙の装飾の為に、蓮生より依頼を受けた鎌倉時代の歌人藤原定家が、上代の天智天皇から、鎌倉時代の順徳院まで、百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ百首選んだものが小倉百人一首の原型。男性79人(僧侶15人)、女性21人の歌が入っている。いずれも万葉集、古今集 、新古今集などの勅撰和歌集から選ばれている。
 百人一首の歌人達
 万葉集の歌人 まだしっかり身分の差がないためか天皇、貴族、武士、農民などあらゆる階層の人の歌が収められている。自分の心を偽らずに詠むところが特徴。有名な歌人は、大伴家持、山部赤人、柿本人麻呂など。
 六歌仙 万葉集とは違い、比喩や縁語、掛詞などの技巧をこらした繊細で、優美な歌が多く作られた。選者の紀貫之が六歌仙と呼んだ、在原業平や小野小町などが代表的な歌人である。
 女流歌人 平安時代の中頃、宮廷中心の貴族文化は全盛を迎える。文学の世界では、女性の活躍が目ざましく清少納言が『枕草子』、紫式部が『源氏物語』を書いた。二人のほか、和泉式部など宮廷の才女の歌が載せられている。
 隠者・武士 貴族中心の平安時代から、武士が支配する鎌倉時代へうつる不安な世の中で、仏教を心の支えにする人が増えた。百人一首もこの時代を反映し、西行や寂蓮などの隠者や源実朝などの武士の歌も登場する。

 昭和・平成の歌姫中島みゆき 小野小町の歌「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世に経る 眺めせし間に」を1994年の舞台「夜会」のテーマにし、2001年にはアルバム「心守歌ーこころもりうた」を発表している。そして明日公開の映画「ゼロの焦点」の主題歌では「愛だけを残せ」