今日四月八日は、花祭り、お釈迦様のお誕生日とされている。
昔はお寺さんが、小学生にお菓子を振舞っているところが、何軒か有って、学校帰りにお寺によるのが楽しみだったと、夫が話していた。
既に60半ばの私も知らない戦前の話である。
今や日本はイエスキリストの誕生日は祝っても、お釈迦さまのお誕生日を祝う人はほとんど無くなってしまっている様である。
しかし今年の桜は、花祭りを祝うがごとくに、今盛りであった。
時折の風にはらはらと散り始めた並木の桜は、朝日ならぬ夕日に映えて夢のように美しく、「匂うが如く今盛りなり」と言う言葉がつい出て来そうなたたずまいであった。
先日のクイズ番組で知ったのだけれど、徳川吉宗が隅田川の畔に桜を植えさせたのは、川岸が崩れやすいので、庶民に踏み固めさせようとの目的で植えたのだとか。
桜が咲いたら庶民が喜んで花見に来て、桜の周りつまり川岸を、踏み固めてくれるだろうとの遠大な計画で、
隅田川は桜で飾られる事になったのだそうである。
これぞ政治家の鏡のような逸話ではないか!
踏み固めさせる為に、桜を植えるような手間はかけないで、
庶民に賦役として何日かづつ動員するという方法を取る権力者の方が、一般的だったかと思ってきたけれど、江戸時代は違っていたのだろうか?
それとも吉宗公は特別?
庶民が喜び楽しんで、いつの間にか護岸を達成するなんて・・・・・
こういう政治が出来る政治家に恵まれると、庶民はなんて幸せであろう!
それに引き換え今の東京都知事のやろうとしている事ときたら!
今日ニュースバラエティーの番組で、
豊洲の地盤が落下しているそうだけれど、建物を建てて傾いたりしたら、地震のとき食料の確保も出来なくなるんじゃないかな~と言っていたので、(こういうまともな事を放送するのは珍しいので)、もしかしてついに都知事も豊洲移転を諦めたのかな?と期待して、
Like a rolling beanを覗いたら、地盤沈下のニュースは扱っておられたけれど、東京都はそれで豊洲移転を取りやめるつもりは無いらしい。
都はこの事をひた隠しに隠していたと言う事であった。
石原慎太郎という人の気持ちが、どうも分からない。
こんな問題のある土地に、食品市場を反対を押し切って移したりして、
将来重大な問題が発生したら、
彼の子々孫々が後ろ指を差されるであろうと心配にはならないのだろうか?
そして重大な問題が起きる確率は、限りなく高いと言うのに・・・・・
江戸時代のことを封建時代と言って、忌み嫌う風潮があったけれど、
石原都知事と比べて、徳川吉宗公のご立派であった事を思うと、
政治は制度だけではどうにもならないところがあるのだということを、改めて痛感させられたのだった。