「お母さんのような賢い人でも騙されたんだよな~」と言って、しばしば夫は私のことをおちょくる。
小泉さんが「労働のビッグバンなんて言って派遣法を許したのも、小泉改革の一つになっていたんだよ。・・・・・」
その度に私は「私が馬鹿だったから騙されたんです。」と断言する。
そして「貴方だって若い頃、共産主義思想に騙されたでしょう?」と切り返す。
騙される時、人は大抵馬鹿だから騙されるのだと思う。
政治思想にだまされるときと言うのは、現実の政治の不条理に矛盾を感じ、心配している時であろう。
そんな時現状を打破せねばならないと主張する政治家が、華々しく登場したら、
それを自分の理想を実現してくれる人(団体)と思い違いしてしまって、
何もかも丸信じしてしまい、例え自分の理想と違うところが見えてきても、
「それは理想が実現するまでの一時的なことだから、暖かく見守っていなかったら、理想なんて絶対に実現する事は無い」と大目に見てしまう。
何でもかんでも大目に見ているうちに、ずるずると行き着くところまで行ってしまうと言うことではないだろうか?
ベルリンの壁が崩壊して20年になると言うことで、当時の事がいろいろと報道されているけれど、
壁が出来た頃乗り越えて西ベルリンに行こうとして、射殺された人が多数有った事を聞くと、
共産主義と言うのも、只の権力主義であった事が証明された気がする。
生活に必要な物を平等に分け合って、共に仲良く暮らしましょうと言うのであれば、
西の方が良いと壁を乗り越える者があっても、
「去るものは追わず」で、殺したりはしないはずではないかと思う。
逃げるものを撃ち殺すとなったら、此れは御領主様の考え方であると思う。
逃亡者を殺すべきというのは「一人でも多く働き手を確保していたい」と言う動機から来るのだろう。
逃げたら射殺されると言う事で、民に逃げるのをためらわせ、
良民の流失をを食い止めようというのだから。
今元東ベルリンの住民だった人にアンケートをしたら、60%あまりの人が東のままが良かったと言っていたそうである。
此れは60%あまりの人は、経済危機で就職難の現在よりも、以前の方が恵まれていたと言うことだろうけれど、
40%近くの人は今尚、現在のほうがましだと思っていることを意味するのではないだろうか?
何処の国にも恵まれている人々と、そうで無い人々ができるものだから、
比較的恵まれていた人々が前の方が良かったと言ったからと言って、前政権の政治が正しかったと言う証左にはならないだろう。
残りの40%の人々の、涙の上に築かれた幸せだったかもしれないのだから・・・・・
政治に理念、理想が無くてはどうしようもない。
鳩山総理の掲げられた「友愛」と言う理念に私も感動した。
しかし理念や理想が立派だからと言って、必ずしもその政権に立派な事ができるとは限らないのも現実であると思う。
キリストがどんなに立派な人であったからと言って、その教えを説く司祭がキリストと同じ人格では無いのだから、同じように立派な事をするとは限らないだろう。
鳩山内閣はまだまだこれからだけれど、注意深く見守っていかなければならないのは、同じ事だと思う。
理想も大事だけれど、その政権が「現実に何をしているか」と言うことが一番大事な事なのだから。
大東亜共栄圏と言う理想も、理想としたら間違っているものではなかったと思う。
当時の日本は「鬼畜米英」と言う言葉を合言葉のようにしていたけれど、
現在の米英のやっていることを見ると、肯かされる所に事欠かないのも事実である。
しかしあの強欲な鬼畜のごとき人々は、米英の中でもほんの一部の悪人で、大部分の国民は、米英と言えども、善良で優しい人が大部分なのではないだろうか?
日本は大東亜共栄圏と言う理想を掲げていながら、共栄とは名ばかりで、
日本を盟主とする版図を広げようとしただけのものであったと言うことが、
日本が同胞として同盟しようとしているはずの国々(アジアの国々)の国民に対する、日本軍の侮蔑的言辞と残忍な行動の数々で明らかになっている。
(ソ連の唱えていた「万国の労働者よ団結せよ」もやっぱりソ連の下でと言う事で、大東亜共栄圏と同様に覇権主義を隠蔽した、覇権主義であったと思われる。)
戦前の右翼の話を見ると、アジアの国々から日本を頼って来た、それぞれの国の改革者達を、本当に親切にもてなし、できる限り助けようと勤めていたらしい。
この人達は本心で、東亜の人々が団結して、西欧の非道から身を守ろうと言う理想を実現しようとしていたのだと思う。
しかし今の右翼なる者達は、アジアの人々を愛するどころか、悪いところを探し出して憎む事を、良しとしている所が有るような気がする。
アジア人同士がいがみ合って、まとまらない事こそ米欧の思う壺だと言うのに!
昔小泉総理に騙されてと言うよりも、自分から騙されて、支持していた時の自分の浅はかさを思い出すと同時に、
政治家を信じ応援すると言うことの、危なっかしさを改めて感じさせられている。
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以前のブログで「
恋愛論ではないけれど」と言う記事を書いた事がありますので、宜しかったらご覧下さい。