私の父は現在の広島県福山市に組み込まれている、福山市近隣の小さな市で育ちました。
私が子供の頃父は「福山藩は広島県と言っても、広島市とは国が違うんだ。」としばしば言っていました。
広島市は安芸の国だけれど、福山市は備後の国だったと言うわけです。
私の夫の育った家は、大分県の中津市と目と鼻の先で、山国川に架かる橋を渡ったところにある小さな町にあります。
現在中津市は大分県なので、県が違う福岡県の一部となってますが、江戸時代は中津藩の一部で、豊前の国であったそうです。
昔の人は明治時代になっても、自分を備後の国の者とか豊前の国の者とか言っていたのでした
私の父の父の時代には、もっと濃厚に(古い区分の)国意識が残っていたと思われます。
時代を経た現在の日本では、皆自分は日本人だと思っており、
そう言う事に疑いを持つ人はほとんど無いことでしょう。
現在EUとしてまとまったヨーロッパは、今はフランスだドイツだと言っているけれど、百年もしたらEU内の何処の国の人も、自分の国はEUだと思うようになるのでしょうか?
今東アジア共同体と言うものが構想され、アジアを一つの国としてまとまろうと言う試みが始まっているそうですが、
そんな事をしたら日本が無くなってしまうとか、日本が中国に組み込まれるだけだとか、心配して反対する向きも多いようです。
東アジア共同体構想は70年位前、大東亜戦争を始めた当時の日本の構想でもあったはずです。
しかしこの時の中心として設定していたのは日本だった為、
中国人には受け容れられない事だったようです。
大東亜戦争肯定論をぶっている人達も、大東亜が一つにまとまろうと言う同じ動機であると言っても、今回の構想には反対しておられる人が多いようです。
田中宇さんのブログとか、
日本を守るのに右も左もないにも書いておられましたが、
アメリカでもCIAに繋がる戦争屋勢力は、この構想を成功させたくなく、
反対に世界を多極化させて、新たな利益を生む集団を作りたいグループは、
太平洋国家構想(此れにはアメリカが入る)を成功させたいのだと言う話でした。
このまま平和裏に東アジア共同体(太平洋国家)が出来上がってしまったら、
これから日中戦争でも起させて、軍需景気に与かろうと企んでいた勢力は、
当てが外れるということになるでしょう。
ここに日本の国粋主義者は目を付けられているようです。
「このまま日本が無くなっても良いのか!」と彼らは言います。
「戦争をして、国民を塗炭の苦しみの中に放り込んでも良いのか!」と反対派は言うことでしょう。
戦争をして泥沼戦の挙句に、日本が再起もできない位に叩きのめされたとしたら、何のために命がけの苦労をしたのか分らない事になるでしょう。
戦争屋勢力はここでも暴利をせしめて、
次の標的を探して蠢き、半永久的に戦争の続く、
おぞましい世界になるのかもしれません。
今明治維新を起すと言うことは、そう言うことなのかもしれないなと、
ちょっと想像を膨らませてみました。