-写真の部屋-

奥野和彦

深読み

2020-05-07 19:23:40 | 写真


面白いのは、
こういう事です。

28年前のネガをおそらく28年ぶりに出して
スキャナにかける。

画面にポンと出てくるのはこれなのです。
お、これ良いかナ…と思って、ブログに使おうと思う。

ゴミやらホコリやらで汚れているので
パソコンで
スポットを潰していくわけです。
コマを作業しやすいように拡大して
ポツポツと消していく。
こんなもんかな ってまた全体が見えるように戻すと

きれいにはなってるんだけど
その28年ほっとかれてました、という感じがなくなる。
ポンと出て来た時の衝撃はなくなる。

あれ、これじゃぁ無かったなぁ…

これはどういう事なんだろうと。
じゃあ、スキャニング1発で取り込んだままの
姿こそがこの写真のもう一つ背負ってる時間として
残していいのか

いやそれを残すのは、あざとい事で
写真としてはずるい味付けになるのか。

テレビのパロディドラマなんかでは
わざとフィルムにスクラッチが入っているような
古っぽい雰囲気にすることもありますね。
音楽でも、レコード針が
ゴミを拾うような音を効果として入れる事がある。

そういう事か?
でも、まあどちらかで完成形とせよ、
それだけを出せ、と言われれば
ゴミとりをした方になりますが。



因みに
この写真には現像ムラもあります。
いろんな捉え方はあります。
現ムラ? 技術不足じゃん。
いや、この作者の荒っぽい性格として有りだ。
とりあえず、これぐらいになると
スポットのようには修正は出来ない。
これはこれでこの写真の一部。
そうすると、一周回って効果とか技法とかに
なりうる事もあります。

まあ自粛で時間を持て余している証拠ですね。
今日も長くなってしまった。
どんどん先に進もう。


河口の町

2020-05-06 18:55:04 | 写真


縦位置の写真が上手く収まらない。
写真を載せるサイズとピクセルの加減が
うまくいってないんだと思う。

ネガ整理の話
1982年から残っているネガをそのスタートから見ている。
ほとんどモノクロ写真しか撮っていない。
何か変わったことをしてみよう、気を衒ってみようと
試みている物は、今見れば先人のコピーであったり
苦笑してしまう物も多い。
写っている友人や家族には、よくぞこの自意識の塊に
お付き合い頂いたものと感謝に耐えない。

そういうカットは心の苦笑と共にスキャニングもされず
ゴミ袋に収まっていくが、
これ、ちょっと取っておこう。と思うのは
純粋に旅行した先々、勤めていた場所、仕事で撮影に出向いた街角の
なんでも無い、作為の感じられない1枚、である。
そして、その今とは変わってしまった風景を見て
今、コロナが収束したら30何年経ったそこへ
カメラを持って行って
同じように撮ってみたらどうかと考える。
懐かしく哀愁を帯びて見えるだけの写真が
何か違う役割を持ち始めるような気がする。

このブログを始めた頃の文章を見れば
まだ、カラーがどうだとか、印画紙が、フイルムがどうだとか言っている。
が、残った方が良い物は残る、それだけの事であると
38年分のネガの山を見て思う。
今、ネガを見て現れる全ての場所へ
もう一度足を運ぼうとすれば
残りの寿命の間で可能な事だろうか。
全ての場所をそうしようなどと思ってもすぐに飽きる。
何カ所かやってみるかな。