くつろぎの隠れ家風古民家【丹波篠山まつかぜ屋】

すき焼き・水炊き・ボタン鍋・バーベキュー他。完全予約制。JR篠山口駅駅弁「新デカンショ弁当」の予約販売も。

そもそも

2010年04月14日 | Weblog
今回、丹波篠山の混声合唱団「シルバーエコーささやま」が、アンネットさんという素晴らしい方とご縁を持つことができた、そもそものきっかけはというと・・・。

それは、団員の小山さんが、カーラジオで偶然耳にした、アンネットさんの「ウィーン わが夢の町」というタイトルの本に興味を抱いたことから始まりました。

早速、図書館で本を借りて読み、感銘を受けた小山さんは、「シルバーエコーささやま」の指導者、小嶋星子先生に、その話をしたところ、同じく本を読んだ先生は、いたく感動し、アンネットさんが、日本で指導しているとの話に、持ち前の行動力を発揮して、すぐさま連絡をとり、名古屋までアンネットさんの指導を受けに行かれたのでした。

さらに話は進み、ついには、丹波篠山のエステルホールまで、歌唱指導をしに来ていただけるということに。

メンバーとしても、ほんとうに、嬉しいことです。

この日は「シルバーエコーささやま」以外の方も、参加可能ですので、せっかくの機会ですので、ご希望の方がおられましたら、どうぞご参加ください。

■日 時:4月27日(火)13:00~

■場 所:エステルホール(兵庫県篠山市北46-5 小嶋医院2F)

■問合せ:辻 節子:「シルバーエコーささやま」代表者 TEL:079(552)1407
     小嶋星子先生:「シルバーエコーささやま」指導者 TEL:079(590)1165

アンネットさんが、どういう活動をされているかは、こちらのホームページでもごらんになれます。
  ↓  ↓  ↓
★アンネット・一恵・ストゥルナートオフィシャルサイト★
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すごい!!

2010年04月14日 | Weblog
「シルバーエコーささやま」で、今、時の人となっている、アンネット・カズエ・ストゥルナートさんの「ウィーン わが夢の町」(新潮社)を読み終えました。

いろんな意味で、すごい!の一語に尽きます。

この本の帯の、

『ひとは、これほどの目に遭っても花を咲かすことができるのか。

極貧生活、いじめ、音大受験失敗、人種差別・・・

それでも夢を捨てず、東洋人初のウィーン国立歌劇場団員歌手となって30年余。

その壮絶な半生を自ら明かす、感動・勇気・驚愕の自伝。』と

紙表紙裏には、

「昭和13年(1938)年、兵庫県西宮市生まれ。

上海で幼少期を過ごし、中国大陸放浪を経て岡山県に引き揚げ。

現在の高梁市(たかはしし)成羽(なりわ)町で育つ。

だが、一家離散で広島の知人宅に預けられ、高校中退。

中卒のまま準看護婦に。

歌手を目指して通信教育で音楽を勉強。

その後、親戚の養女となって東京へ行き、夜間高校に通いながら、声楽家・坂本博士に師事。

24歳で夜間高校を卒業し、音楽大学を受験するが、すべて失敗。

合唱団に入り、オペラやCMソングをこなす。

31歳で日本脱出を決意。

ロシアを経てウィーンに渡り、生涯の師ロッテ・パブシカに出会う。

やがてウィーン・アカデミーを経て、1971年、東洋人として初めて、ウィーン国立歌劇場団員歌手のオーディションに合格。

以後、今日まで、同歌劇場を中心に、ウィーン・フォルクスオーバー、ザルツブルク復活祭音楽祭など、ヨーロッパ各地で歌い続けている。

現在は、1年の半分近くを日本での声楽指導にあてている。」

と、彼女の人生を要約した文章がありますが、実際に、本を読んでみると、もっと細かなエピソードなどが記載されており、本当に壮絶な人生です。

悩み苦しみ、自殺未遂も何度か経験しています。

一人のひとに、これだけいろいろなできごとが起こりうるのか、と思うほどの波乱万丈のすごい人生をおくりながら、「歌手になりたい」という夢を持ち続け、ついにはそれを実現してしまうすごさ!

まさに、ドラマのような生きざまです。

彼女が、ウィーン国立歌劇場(オペラ座)団員歌手としての最初の仕事は、1971年4月14日の舞台だそうですから、今から、39年も前の、まさに今日です。

第9章の、「ウィーン国立歌劇場へ」で、オーディションに受かり、団員になれた件では、本を読みながら、涙があふれてとまりませんでした。

中には、平穏無事なまま、一生を終える方もおられるでしょうが、人は、大なり小なり、山あり谷ありの人生を送り、一人一人の歴史がありますが、ここまで、ドラマチックな人生も稀有だと思います。

興味を感じられた方は、ぜひ一読をお勧めします。

勇気と感動を与えてもらえる本です。

『「みんな、聞いてくれ」

その声に、下がっていた歌手たちが、いっせいにカラヤンの周囲に寄ってきた。

「この娘は、東洋の果ての、日本という国から一人でやってきた。私は、日本へは何度も公園で行っているから、どんなに遠い所か、よく知っている。寂しい思いをしているに違いない。どうかみんな、これから、彼女の支えになってあげてほしい。」

足が震えた。

立っていられなかった。

私は、カラヤンの前で、膝をついてしまい、その場で号泣した。』

これも本の帯に印刷されている、本書からの抜粋です。

上記は、長い間の夢がかなって、ようやくウィーン国立歌劇場団員歌手になれたものの、今度は東洋人ということで、4年間も、言われなきいじめや人種差別を受け続けていた、アンネットさんの苦悩を見抜いて、カラヤンが他の団員歌手たちに発してくれた言葉だったのです。

ここに出てくるカラヤンとは、あの世界最高の指揮者カラヤンのこと。

(※アンネットさんの、二人の娘さんのミドル・ネームは、いずれもカラヤンの命名だそうです。)

この「ウィーン わが夢の町」という本には、カラヤンやレナード・バーンスタインを初め、世界的に著名な、名だたる音楽家の名前が次々と出てくることにも、驚かされます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お邪魔しました。

2010年04月14日 | Weblog
シャンデリアベラーズの皆さん、ふいにお邪魔して申し訳ありませんでした。

また、演奏会で、美しい音色を聞かせて下さいね。

ありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

部屋割り

2010年04月14日 | Weblog
収納ケースには、記号が記してあり、それぞれのベルは、所定の場所で大切に保管されているようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

収納

2010年04月14日 | Weblog
ミュージックベルの収納ケースです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

練習風景2

2010年04月14日 | Weblog
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

練習風景

2010年04月14日 | Weblog
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まじめな顔で

2010年04月14日 | Weblog
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共に・・・

2010年04月14日 | Weblog
先生も皆さんも、熱心に・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エステルホールにて

2010年04月14日 | Weblog
「シルバーエコーささやま」のメンバーは、エステルホールという、決まった練習場所が確保されているので、とても幸せだと感じます。

「シャンデリアベラーズ」しかり、だと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする