何故か、智恩寺の境内で、丹波栗が売られていました。
丹波栗と言っても、丹波篠山産かどうかは、不明です。
最近「大丹波」というくくりで、観光PRされているように、京丹波など、丹波という言葉には、かなり広い範囲が含まれます。
丹波栗と言っても、丹波篠山産かどうかは、不明です。
最近「大丹波」というくくりで、観光PRされているように、京丹波など、丹波という言葉には、かなり広い範囲が含まれます。
智恩寺境内にある文殊堂について書かれている、この案内板に書かれている内容を、転記します。
『国指定重要文化財(建造物)
智恩寺多宝塔(室町時代)
宮津市字文殊 智恩寺
上重は円形で亀腹をつけ宝形の屋根を載せて相輪を付し、下重は周囲に記される墨書銘によって、丹後国守護代で府中城主延永修理進晴信によって建立され、明応十年(1501)に落成したことが知られる。
下重は来迎柱が立ち、前方に須弥壇をつくって大日如来が安置されている。
来迎壁の背面には造塔の奉行も務めた丹後一宮大聖院の住僧智海により片足を上げた不動明王が描かれており、「八十余歳書之、智海」の署名がある。
本塔は市内で唯一の中世建築遺構であり、かつ唯一の国指定重要文化財建造物である。
丹後地方には、残存する古建築が極めて少ないなかで、創建の事情、年代が明らかな本塔は貴重な存在である。
宮津市教育委員会』
専門的で、私には理解しにくい言葉もあります。
『国指定重要文化財(建造物)
智恩寺多宝塔(室町時代)
宮津市字文殊 智恩寺
上重は円形で亀腹をつけ宝形の屋根を載せて相輪を付し、下重は周囲に記される墨書銘によって、丹後国守護代で府中城主延永修理進晴信によって建立され、明応十年(1501)に落成したことが知られる。
下重は来迎柱が立ち、前方に須弥壇をつくって大日如来が安置されている。
来迎壁の背面には造塔の奉行も務めた丹後一宮大聖院の住僧智海により片足を上げた不動明王が描かれており、「八十余歳書之、智海」の署名がある。
本塔は市内で唯一の中世建築遺構であり、かつ唯一の国指定重要文化財建造物である。
丹後地方には、残存する古建築が極めて少ないなかで、創建の事情、年代が明らかな本塔は貴重な存在である。
宮津市教育委員会』
専門的で、私には理解しにくい言葉もあります。
話は、いきなり、翌日の10月18日に、飛びます。
広島の友人と二人、特急こうのとり(何号だったでしょうか?)JR篠山口駅を出発し、福知山駅で、特急はしだて(こちらも何号だったか?)に乗り換え、天橋立駅に到着。
おしゃべりばかりしていたせいか、あっと言う間に着いた、というような感覚でした。
彼女とは、毎年、リーズナブルなプチ旅行をするのですが、天橋立は行ったことがないということで、今年の目的地に選定。
広島の友人と二人、特急こうのとり(何号だったでしょうか?)JR篠山口駅を出発し、福知山駅で、特急はしだて(こちらも何号だったか?)に乗り換え、天橋立駅に到着。
おしゃべりばかりしていたせいか、あっと言う間に着いた、というような感覚でした。
彼女とは、毎年、リーズナブルなプチ旅行をするのですが、天橋立は行ったことがないということで、今年の目的地に選定。
10月の丹波篠山は、年に一度、10月の中旬~下旬にかけてにしか味わう事の出来ない、黒大豆の枝豆を買う人で、あふれます。
10月5日から、日本一美味しいと言われる、篠山産黒(大豆)枝豆の販売が解禁になりましたが、その頃は、まだ豆も小さく、中旬を過ぎると、豆がまるまると太ってきて、美味しさも増してきます。
この日、広島からやってきた友人に、黒大豆の収穫体験をさせてあげたいと、丹波黒(=黒大豆の種類)を生産している、篠山の友人の畑に連れて行きました。
はさみで、枝からさやを切り取る作業をしているのですが、楽しそうですね。
10月5日から、日本一美味しいと言われる、篠山産黒(大豆)枝豆の販売が解禁になりましたが、その頃は、まだ豆も小さく、中旬を過ぎると、豆がまるまると太ってきて、美味しさも増してきます。
この日、広島からやってきた友人に、黒大豆の収穫体験をさせてあげたいと、丹波黒(=黒大豆の種類)を生産している、篠山の友人の畑に連れて行きました。
はさみで、枝からさやを切り取る作業をしているのですが、楽しそうですね。