2023年11月25日奈良の吉野山に行ってきました。
近鉄阿倍野橋駅で急行吉野行きに乗って10時前には吉野に到着です。
さ、寒いです。ブルブル。
吉野駅。
駅前で昼食を買って歩きます。
主だった吉野全景です。ロープウェイに乗って上まで登ってしまいましょう。
歩いてすぐにケーブル乗り場です。往復800円でした。
かえで号です。乗込んで出発を待ちます。
何と1929年昭和4年開業なんですって。
しかも第二次世界大戦末期金属の供出を国に命じられましたが、南朝の史跡であることを理由に免れたそうなんです。
後醍醐帝の力、恐るべし。
3分で山上へ。
外に出るとバス停が。
10時48分に乗って、一気に終点の奥千本口まで行ってしまいましょ。
500円後払いのマイクロバスです、ほぼ満員。
20分で終点奥千本口に着きました。ここから本格的な吉野の探訪です。
金峰神社です、急な登り道をずんずん歩いていきますよ。
金峰神社の奥には西行の庵があるそうなんですよ。
金峰神社です。藤原道長が詣でた記録があるそうです、古いですねえ。
その近くに源義経が隠れ、逃げたというお堂もあるのです。
鎌倉幕府に追われ、こんな山奥まで逃げた義経が哀れ過ぎますよね。
更に奥へ。
西行庵を目指します。
かなり奥まで来てます。紅葉が色濃くなってきました。
庵らしきものが見えてきました。
西行さんも良くこんなところで数年も暮らしましたね。
庵を覆い被せる様な紅葉。
歌にも詠まれた苔清水です。
とくとくと 落つも岩間の岩清水
汲みほすまでもなき すみかかな
……しかし直接は飲めませんね、煮沸消毒はしたいかも( ;∀;)
道を登っていきます、と目印が。左に進みます。
四方正面堂跡。
更に安禅寺蔵王堂跡。
宝塔院跡。
この他にも幾つか寺跡があるのですが、明治の廃仏毀釈の際になくなってしまったようです。
金峰神社と西行庵辺りを一周して戻ってきました。約一時間程度でしたよ。
お昼をいただきましょう。
吉野駅前で買った柿の葉寿司6個入900円です。
栗八さん!思わず買ってしまいましたよぉ!!(笑)美味しそうでしょ?
奥千本口のバス停に戻りました。バスが待ってくれましたが、高城山展望台を目指して歩くことにします。
ざっと1.2キロ。
途中には素敵な紅葉があるのですよ。
10分くらいで高城山展望台へ。もう真っ赤ですよ。
奈良方面を展望できます。今年6月に登った高取城も見えるそうですが、発見できませんでした。
赤いのです。
燃えているのです。
炎上している中に黄葉もいるのです。
次は道を下って次の目的地へ。
吉野水分神社ですよ、人はかなり少なくなっています。
天之水分大神が主祭神です。元々水の神様ですね。
千早赤坂村の建水分神社でも見た様に、水を公平に豊かに分ける様な考えがあったのでしょうか。
無人でした。
こちらの神社では、金峰神社と吉野水分神社の御朱印を送っていただけるそうですので、記帳とお代をお納めしましたよ。
後でいただけるそうですので楽しみです。
……豊臣秀頼(秀吉じゃあないんですよ)寄進のお神輿……ホンマかいな?
吉野水分神社を出て下ります。途中、花矢倉という場所があり、紅葉を眺めました。
桜の時期はもっと凄そうですね。
こちらは黄葉が綺麗。
義経を追ってきて逆に討たれた僧兵の首塚。
視線を上げるとこんな風景なのです。足元が疎かになりそうです。
あっ、悲劇の皇子大塔の宮護良親王の記念碑があるようですよ。
立派な石碑です。石碑の右上がかつて護良親王が籠ったという吉野城の跡だそうですよ。
登ってみました。これだけでは分かりませんねえ。
下ったところに後醍醐天皇の御霊を慰める石碑がありました。
また紅く染まっています。
竹林院まで降りてきました。
こちらは聖徳太子の発願だそうで、歴史が古いのです。
中の庭園が有名で千利休作、細川幽斉改良だそうですが、14時前ですので先を急ぎます。
吉野の谷の向こう側にある如意輪寺を急いで目指しましょう。
30分掛かって何とか谷を越えました。こちら分かりにくかったんですよ。
ん?入口辺りで他の方がカメラを持って山を見上げています。
見事な紅葉がありますが、何か他にあるのかな?あっ!
鹿ですよ、鹿!!私を見ています。
草を食むことに夢中です、可愛いですね。
さあ、如意輪寺はすぐそこです。
楠公さんを大河ドラマに!私も見たいかな。三好長慶さんの次に見たいです。
こちらが如意輪寺本堂。
紅葉が燃えておりました。
後醍醐帝腰掛けの石と楠木正行お手植えの木斛(もっこく)なんですって。
如意輪寺の説明書き。後醍醐天皇の想いは、ここまで来るとうすら寒い怖ささえ感じるのです。
宝物殿と庭園を見学します。
後醍醐帝の御霊殿、楠木一族の菊水紋があります。
空が赤く染まっております。
中には宝物殿がありました。
貴重な資料がたくさんあったのですが、撮影禁止でした。
外に出ると楠木正行の奥方候補だった女官が、正行戦死後に仏門に入り髪を埋めたところだそうです。
如意輪寺最大(私にとって)の見学場所に近づきます。
手前が後醍醐天皇の孫である長慶天皇の長男、世泰親王のお墓です。
こちらが南北朝の騒乱の張本人、後醍醐天皇のお墓。
天皇陵は普通南面だそうですが、こちらは遺言で北向きとのことです。
もはや呪いが掛かっているのです。
如意輪寺を出ます。
紅葉を見ながら、吉野の谷を20分くらい彷徨いました。
中千本にある五郎平茶屋にたどり着きました。
15時を回りました。如意輪寺だけが山と谷の向こうにあって、遠かったですね。
何とか無事に吉水神社に行けそうですよ。
先ほど寄ったのは吉野水分神社でこちらは吉水神社。
頭上が燃えております。
歴史は古く682年白鳳11年、役行者建立なんですって。
義経一味の逃亡先であり、後醍醐天皇が南朝の皇居にして、豊臣秀吉の吉野の花見の本陣にした、という歴史好きにはたまらない場所ですね。
お参りしましたが、何と二礼十七拍手一拝なのです!数が多いので間違えないようにしましょう。
弁慶の力釘。
指で石に釘を押込むとか、凄すぎます。
御朱印をいただきました。
何やら展示物、所有物が豊富とのことで見に行きます。撮影可という鷹揚さに感謝です。
狩野派の襖絵。
義経潜居の間。
武蔵坊弁慶思案の間。弁慶さんは控えていたのでしょうか。
外も紅葉が。
こちらは後醍醐天皇の玉座ですって。
豊臣秀吉寄贈の青磁の壺。
蝉丸法師の琵琶。嫋々と鳴るのでしょうか?
地獄とこの世を行き来する男、小野篁の仏具。
楠木正成の持っていたという毘沙門天。
後醍醐帝の宸筆。
源義経の色々縅腹巻。
弁慶の籠手、静御前の鎧、義経の部下である佐藤忠信の兜。
後醍醐天皇の色紙、茶入れ、硯、笙などetc、etc。
一休宗純和尚の墨書まで。
ホンマやろか、と心の中で呟いてしまいました。信じるか信じないかは私次第なんですけどね。
宝物の数は限りがありませんでした。
お庭も良く燃えています。
まだ元気な秀吉はここまで花見に来た訳ですね。
後醍醐帝の京都へ帰りたい思いが記されています。
おや、門の下に何か描かれていますよ。
セーマンドーマン。
九字を唱えながら私も念じてみました(笑)
吉水神社を後にして、最後の見学場所に向かう途中、玉こんにゃくの串を食べました。
寒くなってきましたし、お昼も冷たいお寿司だったので、元気を取り戻しました。
見えてきました、金峯山寺蔵王堂。
蔵王堂なのです。開祖はまたしても役小角。
吉野城落城時、大塔宮護良親王の身代わりになって果てた村上義光さんが亡くなったところ。
まもなく16時。
大塔宮護良親王が陣地を構えていたそうで。
夢中になって撮影していたら、本日のご開帳終了ですって( ;∀;)
お参りだけしました。と御朱印はまだ頂けそうです。
そろそろ引き上げましょう。行きはバスで潜った銅の鳥居。
南朝の吉野宮跡だけ見逃したのが残念!
同じく黒門。
山上からケーブルへ。今度はさくら号です。
ちょうど近鉄の特急が来ていたので奮発しました。
さくらライナーのコクピット(?)です。カッコいい。運転士さん、よろしくお願いしますよ。
席に戻ってひと眠りしましょう、阿倍野橋に到着するまで。
それでわ、また。
2023年11月28日追記
ポストに郵便物が入ってみました。差出人は……
吉野水分神社さんでした!!お願い通り御朱印を送って下さったのです。ありがとうございました。
吉野水分神社です。
金峰神社です。
ありがたやありがたや~
私も大阪から乗って、降りた瞬間、お借りしましたよ~
桜餅とは違うので、葉っぱには是非お気をつけて(笑)
トイレを借りました(笑)
高野山から奈良、大阪に向かう
途中だったと思います(╹◡╹)
柿の葉寿司は
初めて食べた時に知らなくて
葉っぱごと一口食べた思い出が
あります(笑)
コメントありがとうございました。
吉野の山奥で、渋すぎ!
吉野すごいとこですね~
複雑な時代背景と登場人物で頭の中が混ぜご飯です。
勉強し直し要必要です。