27日から1泊2日で、三重県鳥羽市のとある場所に海鮮三昧の旅行へ。
こちら兵庫からは、西名阪から伊勢自動車道を経て片道約4時間のドライブです。つい3日前には、名神高速が雪で立ち往生というニュースも出ていたので、雪が心配になり慌てて布製の¥2,000のタイヤチェーンを買いましたが、当日は晴天で行き帰りとも使うことはありませんでした。
特に観光目的ではなく、美味しいものを食べてゆっくりしよう、というのがメインだったので、チェックインの15:00頃に着くよう、11:00頃家を出ました。
15:30前につきましたが、そのまま部屋でゆっくり過ごしました。そしてようやく晩御飯ですが・・・
こんな感じの伊勢エビとアワビの刺身のメニューです。これに天ぷらや吸い物が後で付く感じです。
と思いきや・・・
ど~んと大皿に、タイとヒラメの刺身に、サザエなどの刺身もあります。
これで腹いっぱいになりました。
と思いきや・・・
もう1尾、伊勢エビが。この他、茶わん蒸しに、カキやサザエの鉄板焼きも付いて、最後は果物のデザートで締めましたが、もう美味い美味いと食べてましたが、食べきれませんでした。
食事はめちゃくちゃよかったですが、旅館は古く、設備も使いにくい古いものだったので、少し残念でしたが、食事がすべてをカバーしました。食事良ければすべてよし!
親父も満足していたようで良かったです。
次の日、朝のうちに少し一人で周りを散歩してみました。
旅館からは、綺麗な朝焼けが見えました。
朝ごはんは昨晩の伊勢海老の頭をみそ汁にしたものでした。ここからまたエビのミソを取り出して食べたのですが、美味かった。
そして散歩ですが、少し海岸の方へ。
海岸は広く、砂ではなく小粒の石のビーチでした。なので、遊泳後砂が足にまとわりつくことはなさそうです。夏に来たいものです。
近くに漁港もあり、また海女さんもいます。旅館の女将さんも海女さんで、今日も潜るといっていました。
海鮮はおいしいし、そんなに高くないし、いいところでした。また来たいと思います。
帰りは、伊勢神宮に寄りましたが、内宮は渋滞でなかなかたどり着けそうになく、外宮のみ立ち寄りました。おいしい伊勢うどんを食べて帰途につきました。
まあ、これで少しは親孝行できたと思います。両親はまた行きたいとのことでしたので、出来れば恒例行事にしたいと思います。
今週末ですが、出張で城崎温泉の少し手前の駅まで行ってきました。温泉も何もなく、ただ寒いだけの場所です。それでも一応特急は止まる駅です。
現地へは朝から用事があったので前泊しました。が、年末のせいか、目的地近辺のホテルは空いておらず、目的地まではかなり離れているなじみのある亀岡駅で前泊し、城崎1号で現地へ向かうこととしました。
まずは大阪から京都へ。
夜の京都タワーはこんなにきれいだったのですね~。
そして、亀岡に向かうべく嵯峨野線のホームへ。そこで奇妙な列車が止まっていましたので、思わずパチリとしてしまいました。
何やら”TANGO NO UMI”という名前です。こんな列車があったのですね・・・
そういえば、タンゴエクスプローラーという列車が以前はありました。息子が子供の頃、電車がすきで絵本を良く買ってあげたのですが、そこにタンゴエクスプローラーが載っていました。たまに会社帰りに見たことがあり、「これ、お父さん見たよ」と、小さな息子に自慢したものですが、そのため今でも覚えていました。
ところで、9月に今回とは違う同じ方面に出張に行ったのですが、その際に衝撃的な光景を目にしたのです。
なんと、そのタンゴエクスプローラーが、廃車同然で線路わきにほったらかしに・・・しかも錆錆です。
これはちょっと衝撃的でした。ちなみに同じ駅にTANGO NO UMIも止まっていました。この時は新旧入れ替わりで仕方ないのかなと思いましたが、この錆錆の姿はやはりショックです。
そこで、ちょっとタンゴエクスプローラーについて調べてみたのですが、1990年から運行し2011年に運行を終えていたのですね。その後現在まで同個所に放置されているのでしょうか。
なんだか少しもったいないな~、という出来事を思い出しつつ、翌朝、城崎1号で目的地へ向かったのでした。
現地はトイレも何もなくただ寒いところで、山の天気のように晴れたり曇ったり、やや小雨も降ったり、朝から夕方までずっと立ちっぱなしの最悪な出張だったのですが、サラリーマン人生の運行を終えた頃に懐かしい思い出になるのでしょうか。頭の隅で錆錆の記憶にならないようにしたいものです。
11/3は、所用でジャパンモビリティショー2023へ行ってきました。
以前はモーターショーといわれていたのですが、いつからかは不明ですが、同名称になっていました。前回行ったのは、3-4年前で、ちょうどEVや自動運転が話題になってきた頃だったような。
今年はどんな感じか気になっていたのですが、仕事で行っているので、あまり派手なところは見れず、雰囲気だけ感じていました。
そういえば、バブルの頃(80年代後半)は、モーターショーといえば、車よりコンパニオンの衣装でそちらが目当ての方も多かったと思いますが、近年はあまり派手なのはないようで・・・
いよいよ会場の東京ビッグサイトです。しかしすでに入り口前ですごい行列が。
どうやらこれは、入り口で荷物チェックを行っているからのようで、10-15分ほど並んでいると、入ることが出来ました。
BMWです。確かこれはEVだったような。EVもいいなとは思いますが、やはり長距離移動では、充電器の問題があり、今はまだあまり乗りたくありません。ただ、燃料代はガソリンよりは安く済みそうですし、家の電気をEVの電池で賄えるのであれば、良さそうな気もします。平日はほとんど車は車庫にいますので、EVならその間太陽光で充電し、夜に貯めた電気を家で使用できそう。
まあ、しかし、出先で充電が5分程度で満タンになる世界が来ればEVも考えよう。
トヨタもEVが複数出ていましたが、早く個体リチウムイオン電池が実用化されればいいですね。
これは、チャイナ製EV。有名なBYDの車です。価格は知りませんが安くてもちょっとね。コンパニオンもバブル時代とは違います。
やはりEVはこんなチョイノリタイプのものがいいですね。これがエアコン付きなら考えよう(と買わない条件を付けていく)。
車はやはり、今はエンジンカーの方がいい。
次はHONDA。ホンダジェットはいいですね~。家の土地から石油でも掘り当てれば考えることにしよう。
最近はこういうVTOLが流行っているようで。しかも電気で動くようですが、何でエンジンは使わないのだろうか。電気だとバッテリ容量しだいで航続距離もそれほど多くなさそう。
と思ったら、ガスタービンとのハイブリッドなのか?
自動運転もありますが、現在日本はどのくらいのレベルにいるのだろうか。レベル4がそろそろ出てきたみたいですが・・・
トラックの自動運転もそろそろ。しかし、こんなバカでかいのが人も乗らずに動いていると怖くて仕方ない。
トヨタの初代ハイエース。スタイルに味があっていい。やはり車はこうでないと。たくさん出ている車の中でこの車が一番良かったと思う。
ということでまとまりのないモビリティーショーのご紹介でした。
今週は、急な東京出張でした。
東京出張といえば・・・
秋葉原です。ここしか知らんのかい。
ですが急な出張のため時間がなく、昼食前のほんの1時間だけ寄りました。早速、お目当てのお店へGo。
千石電商です。トランジスタやら、ラグ板やら、トランジスタの絶縁材やらいくつか購入しました。
中でもこのトランジスタは、VCEO = 800 Vと高耐圧で真空管アンプにも使えそうです。
ただ、Icが50mAとかなり低いので電源に使うのは厳しいですが、まあどこに使うかはこれからゆっくりと考えたいと思います。
ところで、最近、東芝がTTCとかTTAとかでトランジスタを出しているようですが、なぜだろうとちょっと疑問に思っています。知っている方いらっしゃいましたら教えてください。
この後、ラジオデパートでも部品を買いました。
両方の店、全部でこれだけ購入しました。
ところで、赤色のコネクターをラジオデパートで購入しましたが、なぜか、1つだけ中身がなくなっていました。
なぜだろう。
この後、急ぎで出張先に向かいましたが、途中で面白い名前の学校を見つけました。
「戸板女子短期大学」。ただ、面白いと思っていたのは、このブログを書くまでで、面白いなと思った理由を確認するために調べていたら自分の勘違いだというのがわかりまして。さすが学校だけに勉強になりました。
何が面白いと思ったかというと、「戸板(といた)一枚下は地獄」(勘違い)という言葉を思い出したからです。船の底板たった1枚下は地獄・・・つまり、この学校の中は楽園外は地獄?と大変失礼なことを心の中で思って、フッと笑ってしまったのです。
しかしブログに書くにあたり、念のため、この言葉を調べてみると・・・
正しくは、「板子(いたご)一枚下は地獄」で、船の底にある一枚の板をはずしたら沈んでしまう、「危険と隣り合わせ」という意味の言葉で、まず、”戸板”と”板子”を間違えて思っていたのと、正しい意味もよくわかっていませんでした。大変失礼なことを思ってごめんなさい、勉強になりました。
ところで、この言葉を初めて知ったのは、確かこの本を読んだ時でした。
「虹を創る男」(集英社、邦光史郎著)で今は亡き三洋電機の創業者の生い立ちを著した小説ですが、主人公の井植敏男が若かりし頃、船に乗っていたとかで、ここに出てきたのをうる覚えしていたのだと思います。この本を読んだのがもう30年ぐらい前なので、かなり記憶があいまいになっていました。
ということで、出張場所に行き、無事用事を済ませることが出来たのでした。