介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

予定に反して

2011-07-25 08:18:08 | 日記
日曜日に父のところへ行きました。今回は15分。

土曜日は法事で美味しい物を沢山食べて体が驚いてしまったのか、帰宅後は直ぐに横になってしまいました。気力が湧かず、夕食と入浴をサッサと済ませると母を残したまま午後7時には既に布団の中へ。
翌日も体の調子がおかしいので、会社には行かない事にして朝寝をしていると、母が出かける支度を始めました。
まさかとは思いましたが、いつもの様に父の所へ行くから起きてくれと言うので、仕方なく自転車を漕いで父のところへ。軽い目眩(注)を覚えたので出来れば行きたくなかったです。

今回は施設に着いたときに女性3名の施設見学者(どのような立場の方なのかは存じません)が職員と話しており、1Fエントランスはとても賑やかでした。

2Fに上がり、母に『職員詰め所前のテレビでも見ていればいいのにね~』と小声で喋りながら2Fエントランスに近付くと、父に似た人はテレビを見ていましたが、父は居りませんでした。さて、何処を最初に見ようかと少し考えていると、食堂からトイレへ移動している入所者を介助していた男性職員の方が、「お父さんは、部屋の前の廊下にいますよ」と教えてくれましたので、通路を曲がって部屋の方へ。
確かに、このクソ暑い時に部屋の前で父が日向ぼっこをしております。それもワザとカーテンを開けて。流石にドテラは着ていませんが、節電が叫ばれている昨今、ワザワザ室温を上げる様な行動は困るので、早速、カーテンを閉めました。

父の方からは、日向ぼっこが出来なくなった不満以外には何も話す事がなかったようで、黙っているので、私が昨日の法事の事を喋ったのですが、「そんな親戚しらねえな~」と言うだけ。確かに、元気な頃から母方の親戚とは積極的に付き合おうとはして居りませんでした。それ以前に、自分の実の兄弟は基より小父小母やいとこの冠婚葬祭にも出席しようとはしないから、いつも私か母が手分けして最低限の親戚付合いをしてきました。なので、ボケではなく元より忘れているのかもしれません。
ボケと言えば、何度も出てくる今月死亡した父方の2名。今回も話の端に出てきたのですが、父は憶えていないようです。

お茶の時間が近付いていたので食堂に行こうといっても「昼飯には早い」と言って動こうとしないし、話す事柄もなく私も体がしんどいので、帰ることにしました。

1階に下りると、今度は男性のお客さんが玄関で職員と話しており、一寸通り難くなっておりました。

(注)
軽度のメニエール[症]を患っており、最初の発症から8年経過しています。
私は耳鳴りの症状は無いのですが、立って居られないほどの目眩をおこします。
この目眩ですが、本当にメニエールが発症した際の目眩と低血圧等の目眩は異なっており、これまでは明確に区別が付きましたが、前駆症状段階では私は区別が付きません。
一度、大丈夫だと高をくくって会社に来たら悪化してしまい、「メニエールは救急車を呼んで緊急入院」と教わっていたのに、多少歩けるのを幸いと目の前の都立病院には行ったら、救急指定なので歩ける程度だったら見ないとの事。仕方なく別の病院(内科医)で見てもらったら、「救急車を呼びなさい」と怒られました。