僕らまだアンダーグラウンド - Eve MV
今月に、apple store のHPで、型は古いのですが、新品のiphone を初めて手にしたのですが、
これが、箱をあけて、包装を解きながら、何か感じるものがあったのです。
ファッションというか、尖ったようなデザイン、そして、顧客を喜ばす、憎くて痛快な心配り、
実機を手にして見たのだけれども、素直にビビっと来ました!
ITとか、デジタルとか、どちらかというと、ちょっと苦手で流行に安易に乗るのには抵抗と警戒心を抱いていたのですが、
このAppleというメーカーには正直、考えを改めることになりました。
今まで、何となく憧れていたのですが、マイクロソフトやアンドロイドなど一般的、大衆的なものの中に、
そこに居心地の良さというか、無難というか、まあ、何となくこのまま迎合していればいいでしょうというポジションにいた訳です。
しかし、しかし!
ちょっと背伸びをしてAppleに手を出してみたのですが、、まあ、こんな世界が、この日常に同時並行して存在していた事実に驚きました!
creative とはこういうことか!
なんか、ワクワクドキドキと、心がざわめき、舞い上がり、自身の軸がフワッと流されるように浮いて、無条件にAppleのクリエイティブ魂に感化されたのです。
夜な夜な、Apple のプロダクトをインターネットで検索しては盛り上がり、このようなデバイスを生み出したクリエーター達に羨望の眼差しとリスペクトの念を送っていたのです。
・・・とは言うものの、ここ近年、デジタルの上昇気流が、ものすご勢いでありとあらゆるモノを、押し上げて日の当たるところを当たり前のように闊歩しているのですが、
ちょっと待てよ、その流れのままでいいの? 何か大事な物を置き去りにしていないか? という警鐘のアラートもしっかりと私の心には鳴り響いているのです。
インターネットに繋がっている満足感、安心感、というものが、本来、地道に生きる力みたいなものを意図的に削いでいるようも思えてしまうことがあります。
デジタル、0 1 0 1 0 1 の世界観が、物事の判断基準、Standard に、いつの間にか、知らないうちに、自覚のないままに慣らされているような危機感を覚えてしまいます。
スタート、ログイン、ログアウト、リセット、インストール、アンインストール、イエス or ノー ・・・・・・
答えは見つからないまま、自分自身の嗅覚に頼りながら、より良き未来に進むべく、恐る恐る、時には思い切って足を踏み出して、踏みしめながら、歩を進めて行くのです。
夜更かししながら、こんな取り留めもないことを書いていることが、こんな時間を持てること自体、とても有難いことなのかもしれません。
最後には、ありがとう、ありがとう、と言いながら、感謝に満ち満ちながらこの世を去ることが出来れば最高です!
ああ、iphone の次には、imac をポチってしまいそうです・・・
いつもまでも凡人の域を抜け出せないのです。
いつか、天津(あまつ)日を全身全霊で受けてみたいものです。
さあ、明日も仕事、頑張ろうかな。
今月に、apple store のHPで、型は古いのですが、新品のiphone を初めて手にしたのですが、
これが、箱をあけて、包装を解きながら、何か感じるものがあったのです。
ファッションというか、尖ったようなデザイン、そして、顧客を喜ばす、憎くて痛快な心配り、
実機を手にして見たのだけれども、素直にビビっと来ました!
ITとか、デジタルとか、どちらかというと、ちょっと苦手で流行に安易に乗るのには抵抗と警戒心を抱いていたのですが、
このAppleというメーカーには正直、考えを改めることになりました。
今まで、何となく憧れていたのですが、マイクロソフトやアンドロイドなど一般的、大衆的なものの中に、
そこに居心地の良さというか、無難というか、まあ、何となくこのまま迎合していればいいでしょうというポジションにいた訳です。
しかし、しかし!
ちょっと背伸びをしてAppleに手を出してみたのですが、、まあ、こんな世界が、この日常に同時並行して存在していた事実に驚きました!
creative とはこういうことか!
なんか、ワクワクドキドキと、心がざわめき、舞い上がり、自身の軸がフワッと流されるように浮いて、無条件にAppleのクリエイティブ魂に感化されたのです。
夜な夜な、Apple のプロダクトをインターネットで検索しては盛り上がり、このようなデバイスを生み出したクリエーター達に羨望の眼差しとリスペクトの念を送っていたのです。
・・・とは言うものの、ここ近年、デジタルの上昇気流が、ものすご勢いでありとあらゆるモノを、押し上げて日の当たるところを当たり前のように闊歩しているのですが、
ちょっと待てよ、その流れのままでいいの? 何か大事な物を置き去りにしていないか? という警鐘のアラートもしっかりと私の心には鳴り響いているのです。
インターネットに繋がっている満足感、安心感、というものが、本来、地道に生きる力みたいなものを意図的に削いでいるようも思えてしまうことがあります。
デジタル、0 1 0 1 0 1 の世界観が、物事の判断基準、Standard に、いつの間にか、知らないうちに、自覚のないままに慣らされているような危機感を覚えてしまいます。
スタート、ログイン、ログアウト、リセット、インストール、アンインストール、イエス or ノー ・・・・・・
答えは見つからないまま、自分自身の嗅覚に頼りながら、より良き未来に進むべく、恐る恐る、時には思い切って足を踏み出して、踏みしめながら、歩を進めて行くのです。
夜更かししながら、こんな取り留めもないことを書いていることが、こんな時間を持てること自体、とても有難いことなのかもしれません。
最後には、ありがとう、ありがとう、と言いながら、感謝に満ち満ちながらこの世を去ることが出来れば最高です!
ああ、iphone の次には、imac をポチってしまいそうです・・・
いつもまでも凡人の域を抜け出せないのです。
いつか、天津(あまつ)日を全身全霊で受けてみたいものです。
さあ、明日も仕事、頑張ろうかな。
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