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大阪のシニア自然大学の
同窓会で
京都の新選組の史跡を
駆け足で回ってきました。
新選組は
幕末の京都で
京都守護職の会津藩主
松平容保に雇われて
京都の治安を
守っていた
武装集団です。
阪急大宮駅から
まずは新撰組ゆかりの
光縁寺を訪れました。
ここ光縁寺には
新選組総長の
山南敬介をはじめ
たくさんの隊士が
眠っています。
旧前川邸は
新撰組が屯所としていた
個人のお宅です。
個人が住む民家なので
屋敷内を見学することは
できません。
門を入った所に
新撰組関連資料など
展示してありました。
もう一か所の屯所跡が
壬生の郷士八木邸
最初の屯所として
使われていました。
八木邸内には
新撰組最初の局長
芹沢鴨が暗殺された部屋
そのときの刀傷が
残っているそうですが
残念ながら
先を急ぐため
入れませんでした。
八木邸のすぐ隣が
新撰組ゆかりの寺
壬生寺です。
壬生寺は
新選組が京都で
最初に本拠とした地で
この境内で武装訓練を
行ったそうです。
壬生塚には
今もたくさんの隊士が
眠っています。
次は
中央卸売市場を越え
島原を訪れました。
島原は
京都の有名な
花街のひとつです。
輪違屋さんは
創業以来300年以上も
営業を続ける
島原に現存する
唯一の置屋です。
角屋さんは揚屋(料亭・ 饗宴施設)で
新選組隊士が
足しげく
通っていたそうです。
最後に
島原の入り口
大門まで行きました。
慶応三年(1867年)に
再建されたそうですが
華やかだった当事の姿を
偲ぶことができました。
幕末から明治維新にかけて
京都は大きな歴史の波に
飲み込まれ
激動の地でした。
その中で最後まで
幕府軍として戦った
新選組隊士の熱い思いが
ほんの少しだけ
分かった気がしました。
同期の歴史好きの方の
説明を聴きながら
有意義な時間を
過ごすことができました。
さすが外国人には
マニアック過ぎるのか
観光客が少ないのも
幸いでした。
江戸時代の最後、外国に飲み込まれなくて、ほんとに幸いです。
いずれも小説などでは、おなじみのところばかりですが、
一度は訪れたいと思っていても、華やかなところばかりに目がいって
なかなか実現しないのが実情です。外国人が少ないのもうなづけますね。
駆け足とは言え、良い機会に歴史の一端に触れることができて、意義ある小さな旅でしたね。
こんにちは(っ´ω`c)
古風で歴史ある建物がずらりですね!!
観光客も少ないのが良きですね!!
今回は、比較的新しい歴史跡で、
謂れのある建物が、そのままあるのも、
さすが京都ですね。
国会議員の山本太郎が新党を立ち上げて、
れいわ新選組という党名にしたとか、
違和感ありすぎだな、と思ったりしていました。
私は 日本の武士道を武士らしく
貫いた集団として、評価しています
施政は江戸だったかもしれませんが
京都に都(みやこ)があったことは
歴然で日本の文化の全てでしたね
いい勉強をさせていただきました。
大河ドラマの新撰組はキャステイングも良く、
熱心に見ていました。
京都は新撰組ファンには必見ですね。
我が家の近くの大國魂神社に、くらやみ祭りと言うのがありますが、
本の中でも書かれていました。
実物を見ながら、お詳しい方の説明があると、更に楽しめそうです。
歴史好きなので、こうした写真を見ると、
興味津々です^^
違った楽しさがあって良いですね。
京都と言えば、自然と華やかな方面に行ってしまいがちですが、
こうした勉強仲間ですと、違った視点で行き場所が決められるところが
良いように思います。
私は着付けの勉強を京都で三年して、その間仲間たちと
あちこち訪ねたのが良い勉強になりました。
でも、こちらエリアは残ったままです💦
今後の旅の参考にさせて頂きますね(^_-)-☆
良い史跡巡りをされましたね。
流石は京都、当時の建物が残っていて、風情がありますね。
大河ドラマを思い出します。
歴史は詳しくないのですが、ゆかりのお寺や建物を興味深く拝見させて頂きました。
新選組にまつわるところの取材。
これはまた楽しかったんでしょう。
あまり知識が僕のようにないものは、
とても廻ってこのように見てこれない。
京都は出かけただけあるところで、
いついっても絵になりたまりません。