ふんばろう宮城プロジェクト

東日本大震災から発足した「ふんばろう東日本支援プロジェクト」公認団体として2013年4月から活動する復興支援プロジェクト

震災後2年間、学習支援に通った牡鹿を訪ねる

2016-09-22 17:59:01 | 東日本大震災
シリーズ「宮城・沿岸部探訪 被災地のいま―牡鹿半島編」
 
三陸海岸の最南端に位置する牡鹿半島は、リアス式海岸の独特な地形による豊かな自然をたたえた土地です。石巻市の中心部から、車でアップダウンの激しい道を越えて行く牡鹿半島の鮎川浜は、昔から鯨漁を中心とする漁師町として栄えてきました。
 ふんばろう宮城プロジェクトのメンバーは、津波の被害を受けた石巻市立牡鹿中学校への学習支援のため、震災後2年間にわたり牡鹿へ足を運んでいました。当時は被災したまま撤去されない建物など、震災の爪痕が生々しく残っていた牡鹿半島の「いま」を訪ねました。
 
 牡鹿半島の海岸沿いは地震による地盤沈下が起こり、震災直後は、風の強い日に車が波をかぶるほどでした。現在は土嚢が積まれています。
 歩くと砂が音を立てることで有名だった十八鳴(くぐなり)浜も、現在は沈下によりすっかり砂浜がなくなってしまいました。これから防潮堤を築くための工事が行われるところです。過去の風景の面影が消えてしまうのは寂しいような気もします。
  
 
 残念ながら今回は中学校には訪問できなかったのですが、支援活動の際によく昼食を食べに立ち寄らせていただいていた、復興商店街「おしかのれん街」の中のお店のご主人にお話をうかがいました。
 「ようやく復興住宅ができて、少しずつ仮設住宅の人が移転しはじめた」とのお話でした。牡鹿半島は高低差の激しい土地で平地が少ないため、戸数の少ない仮設住宅が島に点在しており、遠くの仮設からスクールバスで中学校へ通う生徒もいました。復興住宅への移転は安定した生活の第一歩であり、うれしいことですね。
 一方で、仮設商店街も6メートルかさ上げした土地に新しく作り替えられる計画だそうですが、その計画が2年も遅れているということでした。5年半前に失われた店舗の再建を心待ちにしている商店街の皆さんの思いが、一日も早く叶えられることを願います。
 
 
 おしかのれん街の近くには「石巻復興まちづくり情報交流館」という建物がオープン。ちょうど私たちが行った時には、捕鯨で賑わっていた頃の牡鹿の様子を伝える写真が展示されていました。だんだんと震災以前の風景の面影が薄れる中、昔の様子を知ることができる場所はとても貴重です。
 
 
 少しずつ復興の歩みを進める牡鹿半島。鮎川からは、奥州三大霊場の金華山や、猫の島として有名な田代島、美しい浜辺で海水浴が楽しめる網地島などへの船も出ています。また、商店街の再開にあわせ、運営休止中であったミュージアム「おしかホエールランド」もオープン予定とのことです。鯨をはじめとする美味しい海産物と自然の美しさに癒されに来てみませんか?(文・中島由美)


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