(もう1カ月以上前になってしまいましたが)残暑が残る9月22日、石巻市渡波地区で行われた「渡波☆栄田まつり」に参加してきました。
天気はよかったものの強風に悩まされながら、 かき氷、牛タンつくね、やきとり、焼そばの販売を10人のボランティアスタッフと共に行ってきました(売上金は実行委員会へ寄付)。
強風による寒さのせいでかき氷の売れ行きに不安はありましたが、コーラ味を何度も買いにきてくれた方もいました。やきとりは早々に完売、焼そばも長蛇の列ができるなど盛況のうちに終えることができました。
今回のお祭りは昨年のような自治会主導によるものではなく、地域の有志が実行委員会を立ち上げるところから始まり、自治会やボランティア等の協力を得ながらすべての企画・運営を実行委員会のメンバーが中心となり開催されたものでした。
キャッチコピーは 「創造しよう!輝く未来を!」。 未来を担うのは、子どもたち。子どもたちが前を向くならば、大人も一緒に前を向くしかない。前を向く大人が身近にいれば、こどもたちは自然と前を向く。子どもたちが笑うなら、大人は自然に笑顔になる。笑顔の大人が集まれば、こどもたちの笑顔は輝きを増す—そんな想いの詰まったお祭りです。
企画された催しは自然と子どもたちが楽しめるもの、大人が笑顔になれるものばかり。子どもたちに描いてもらった石巻のきらきらした未来が散りばめられた「ぼくらの街の未来図」の展示や子どもも大人も乗れるミニSLの走行(これはこどもより楽しんでいる大人続出!笑)。 ポケモンカーをお招きしてのピカチュウとの触れあいとワークショップにカラフルなカッティングシートを使って傘や壁面を彩るワークショップ、ずらりと並んだハーレーにまたがっての記念撮影会など。
ステージイベントも地元婦人会による仮装盆踊りやはねこ踊りや こどもたちが頑張る姿が凛々しい太鼓や獅子振りなど盛りだくさんでした。
当日、私自身はふんばろう宮城のブースで焼きそば詰めに夢中だったので、会場を くまなく回れなかったのですが、会場全体が賑やかな喧騒に包まれていたことは肌で感じることができました。駆け回る子どもたち、子どもを呼ぶ大人の声、大人同士が朗らかに笑い合う声。あ日あの場所で生まれた笑顔や元気が、この地のエネルギーとなって この先の復興へ何らかの形でプラスとなれば素敵だなと思います。
このお祭り、実は昨年もふんばろう宮城として参加させていただきました。その様子はこちらのブログで報告していますが、とにかく昨年は地元の方々が自身の手でお祭りを開催できた—ということだけで感慨深いものがありましたが、今年はコンセプトをはっきりと打ち出した「イベント」として、より一層地に足の着いたものとなったように感じました。 1年という時間の流れを感じます。
最後に私事ではございますが、私自身、このお祭りの直後の10月1日より、東京勤務となり生まれて初めて宮城を離れて生活することになりました。
震災後、2011年6月頃からふんばろう東日本支援プロジェクトに関わり、自身がやれる範囲内で細々とお手伝いをさせていただきました。宮城の復興のために遠くからお越しくださった多くの方がいることも、 ご自身も被災されながらも他の被災された方のために奔走された方がいたことも、目の前で見てきました。そんな中、自分の足場がブレない範囲内で出来ることがあればやる、という自分の身勝手なスタンスへの後ろめたさや無力さを感じながら、そでもナンダカンダで楽しみながら活動に参加させてもらっていました。
あの日から目覚ましい勢いで取り戻したもの、あの日から少しずつだけど前に進んできたもの、あの日から何1つ変わっていないもの、じわりじわりと退廃しゆくもの・・・。見たくないものも含めて、地元にいればこの目で肌で感じられていたものが、遠くなってしまうことに不安もあります。でも、外から見なければ見えないものもあるのかも知れません。
新しいナニカを手にして、また宮城に帰ってこれたらと思っています。居住地は東京となりますが、宮城県民として、これからも地元の復興を一緒に見ていけたらと願っています。(馬島実紀)
天気はよかったものの強風に悩まされながら、 かき氷、牛タンつくね、やきとり、焼そばの販売を10人のボランティアスタッフと共に行ってきました(売上金は実行委員会へ寄付)。
強風による寒さのせいでかき氷の売れ行きに不安はありましたが、コーラ味を何度も買いにきてくれた方もいました。やきとりは早々に完売、焼そばも長蛇の列ができるなど盛況のうちに終えることができました。
今回のお祭りは昨年のような自治会主導によるものではなく、地域の有志が実行委員会を立ち上げるところから始まり、自治会やボランティア等の協力を得ながらすべての企画・運営を実行委員会のメンバーが中心となり開催されたものでした。
キャッチコピーは 「創造しよう!輝く未来を!」。 未来を担うのは、子どもたち。子どもたちが前を向くならば、大人も一緒に前を向くしかない。前を向く大人が身近にいれば、こどもたちは自然と前を向く。子どもたちが笑うなら、大人は自然に笑顔になる。笑顔の大人が集まれば、こどもたちの笑顔は輝きを増す—そんな想いの詰まったお祭りです。
企画された催しは自然と子どもたちが楽しめるもの、大人が笑顔になれるものばかり。子どもたちに描いてもらった石巻のきらきらした未来が散りばめられた「ぼくらの街の未来図」の展示や子どもも大人も乗れるミニSLの走行(これはこどもより楽しんでいる大人続出!笑)。 ポケモンカーをお招きしてのピカチュウとの触れあいとワークショップにカラフルなカッティングシートを使って傘や壁面を彩るワークショップ、ずらりと並んだハーレーにまたがっての記念撮影会など。
ステージイベントも地元婦人会による仮装盆踊りやはねこ踊りや こどもたちが頑張る姿が凛々しい太鼓や獅子振りなど盛りだくさんでした。
当日、私自身はふんばろう宮城のブースで焼きそば詰めに夢中だったので、会場を くまなく回れなかったのですが、会場全体が賑やかな喧騒に包まれていたことは肌で感じることができました。駆け回る子どもたち、子どもを呼ぶ大人の声、大人同士が朗らかに笑い合う声。あ日あの場所で生まれた笑顔や元気が、この地のエネルギーとなって この先の復興へ何らかの形でプラスとなれば素敵だなと思います。
このお祭り、実は昨年もふんばろう宮城として参加させていただきました。その様子はこちらのブログで報告していますが、とにかく昨年は地元の方々が自身の手でお祭りを開催できた—ということだけで感慨深いものがありましたが、今年はコンセプトをはっきりと打ち出した「イベント」として、より一層地に足の着いたものとなったように感じました。 1年という時間の流れを感じます。
最後に私事ではございますが、私自身、このお祭りの直後の10月1日より、東京勤務となり生まれて初めて宮城を離れて生活することになりました。
震災後、2011年6月頃からふんばろう東日本支援プロジェクトに関わり、自身がやれる範囲内で細々とお手伝いをさせていただきました。宮城の復興のために遠くからお越しくださった多くの方がいることも、 ご自身も被災されながらも他の被災された方のために奔走された方がいたことも、目の前で見てきました。そんな中、自分の足場がブレない範囲内で出来ることがあればやる、という自分の身勝手なスタンスへの後ろめたさや無力さを感じながら、そでもナンダカンダで楽しみながら活動に参加させてもらっていました。
あの日から目覚ましい勢いで取り戻したもの、あの日から少しずつだけど前に進んできたもの、あの日から何1つ変わっていないもの、じわりじわりと退廃しゆくもの・・・。見たくないものも含めて、地元にいればこの目で肌で感じられていたものが、遠くなってしまうことに不安もあります。でも、外から見なければ見えないものもあるのかも知れません。
新しいナニカを手にして、また宮城に帰ってこれたらと思っています。居住地は東京となりますが、宮城県民として、これからも地元の復興を一緒に見ていけたらと願っています。(馬島実紀)
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