食育マイスターのひとりごと

食育マイスターが日常のひとりごとを綴っています。

実家の話⑮

2023-10-10 11:24:58 | 日常
実家に対しては色々と思うところがあったけど

それでも世間から、特にうちの田舎からみたら

私は第一子なのに、親を置いて家を出た子。

圧倒的に悪いのは私みたいな空気は昔から感じていた。

特に、田舎を出たことがない同級生からみると

きっと自由気ままに見えていたのだと思う。


なので、せめて、お盆には帰省するようにしていた。

8月13日は、うちの田舎にとって、特別な日。

わざわざ車で帰り、母を乗せてお墓参りに行けるように頑張っていたんだけど…

それが出来たのは子ども達が中学生まで。

さすがに高校生になってくると

みんなのスケジュールを合わせてというのが難しくなってくる。

ワンコもいたし

だから娘達だけ、お盆に合わせて帰省させたりもした。

母が一人でお墓参りに行かなくて済むように考えて。


当時高校生だった娘達のスケジュールを考えても

さすがに一緒に帰るのはきつかった7年前の6月

夫も家から仕事に通っていたこともあり

私だけ帰省することにした。

2泊3日にしようと思ったら

母は2泊3日では少ないと言い始め…しかも自分の休みに合わせて来いと言う。

まぁ何とか仕事を調整して、3泊4日で帰ることにした。
(ちなみに4泊5日は長いんだと)

で、帰省して初めて、うちの実家が県道拡張の為に工事が入ることを知った。

弟とは話していたみたいだけど、私は初耳。

弟は大切な?!跡取り。

対して私は嫁に行って名前も違うという事で

私が蚊帳の外というのは、今に始まったことじゃないから

まぁ気にはしなかったけど。


要は家を建て替えるということだけど

母はそれはそれはウキウキしていて。

新しい家に今ある昔の私の荷物を移動させてやってもいいというから

その3泊4日は、昔の私の荷物を片付けることに集中した。

1人で帰ったから車はなく

それは少し不満気だったけど

買い物を頼まれたら、歩いて買いに行ったりして。

新しい家に運んでほしい段ボールは大小合わせて7個。

それ以外に本の整理をしてネットで売ったりして。

本当は私と妹の部屋だったところにまとめて置いてあった洋服も整理したかったけど(もちろん、私のだけじゃない)

母がいずれフリーマーケットみたいなところに出したいっていうから

それはそのままにした。

その話は15年も前から聞いてた気がするけど。

自分の昔の物を整理出来たから、それはそれでスッキリしたけど。


そして、その後に家族で帰省できたのは、その3年後。今から4年前。

まだ家は新築出来ていない。

順番があるし、うちの作りが複雑で

多分、整理する区画の中で一番最後になるらしい。

子ども達は大学生で、二女は『でっかいどう』だし

なんとか頑張って予定合わせて帰省したんだけど

一泊二日(という短さ)なら、むしろ迷惑みたいな感じ。

それでもみんなでお墓参りに行った。


帰宅して晩ご飯の手伝いをしていた時に

炊飯器が変わっていることに気付いた。

母が使っていたのは、(多分)高額なやつで、

ご飯が本当に美味しく炊けるやつ。

でも、私達にご飯を炊いてくれたのは

明らかに安い炊飯器。

『あの炊飯器、壊れたの?いいやつだったのに?』と聞いたら

『みんなが来た時に使いたいから、しまってる!』

そこで初めて、母の言う『みんな』は

私達ではないことに気付いた。


子ども達が幼稚園の時に『みんなが来た時に無いと困る!』と言って

文句を言われたタオルケット。

よく『みんなが来た時』っていう『みんな』は

娘家族(私達)じゃなくて、自分の姉達が来た時という意味だった。


孫って子どもよりも可愛いっていう話をよく聞いていたけど

母にとっては、所詮、うちの娘達は『親不孝な私の』娘。

なんか、そこでガッカリした。


その時にもう一つ明らかになったのが

母は年末によくお餅を作っていたんだけど

昔使っていた餅つき機が壊れたというから

娘達が小さい頃に新しい餅つき機をプレゼントしたことがあった。

プレゼントした時に、試しにその機械でお餅をついたら

お餅大好きな娘達が喜んで。

それからは、年末に送ってくれたんだけど

ある年に『いつももち米をくれる人が今年はくれないから、もうお餅は送れない!』と言われ

それからはお餅を頼まなくなったんだけど

愛する弟には、自分でもち米を買って毎年年末に送っていたみたいで…

うちの娘達のためにもち米を買うお金ももったいないんだな…と

さらにがっかりした。


母に対する『がっかり』は

やっぱり、毎回、前回を超える。
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実家の話⑭

2023-09-28 15:27:31 | 日常
久しぶりに暗くて重い話に戻ります。


夫を亡くして、女手一つで子ども3人を育てなきゃいけない母にとって
(実際、妹や弟の世話をしてきたのは私だけど)

私が子どもの頃から、私の行事で仕事を休むのが

何より嫌だった。

実際、入学式とか卒業式とか来てもらったことはないし

私の結婚式でさえ休むのが嫌で、文句を言われた。
(式は挙げていません)

じゃあいつも休まずに仕事をしていたのかと言うと

実はそんなことはない。

年に何度か旅行に行っていた。

今思えば、よく小学生の私に妹や弟を預けて…と思う。

(父方の)祖父もいたからだとは思うけど。

私としては、宿題をしただけで『家の事をやらないで!』と

ギャーギャーうるさく言われなくて済むから

母がいないことは、むしろ大歓迎だったが。

小学校の家庭科の教科書を開いて、ハンバーグとかを作っていた記憶がある。


母の旅行相手は、同業者の組合の人達や自分の姉達。

母は9人姉弟の7番目で、下2人が弟。姉が5人兄が1人いた。

姉達とは本当に仲が良かったみたいで。

今思うと、母はず~っと姉達に可愛がられる『末っ子』だったのだと。

私の結婚が決まった時の顔合わせに一番上の姉を同席させるくらい

姉達には色々と頼っていたみたいだった。

だからなのか、私にはとにかく『おねえちゃんでしょ~!!!』が口癖だった。

で、この姉達、実は私はほとんど会ったことがない。

一番上の伯母だけは知っているけど、他は母が仲良くしているだけ。

実は名前も知らない。

母が伯母さん達の話をする時は、住んでいる土地の名前を言って

例えば東京の伯母さんみたいにしか聞いていないから

名前を知る由もなかった。

父の姉妹の付き合いは私に押し付け

自分は姉達とよく旅行に行っていた。


私がアキレス腱を切った時に夫が助けてくれるよう頼んだ時は大激怒だったが

その後、宮城に姉妹旅行で来たから、家族で会いに来い!みたいに呼ばれたことがあった。

会いに行ったけど、日曜日だったし、顔を見せただけですぐ帰りました。

次の日から幼稚園始まるし。

まぁ機嫌がいいからいいか…で

その後、今のところに引っ越すことになった。


こっちに来たばかりの頃、私はどうしても受けたい講座があって。

安くないお金も払って、もうすぐ受講するという時になって

夫に仕事が入った。

小3と小4。土日2日間、朝から晩まで3人で留守番させるか…

出来なくはなかったと思うけど

引っ越したばかりだし、前に住んでたところよりも都会だし

母としては、ちょっと不安で…

安くないお金を払ったけど、諦めるか…

と、葛藤していたら、こっちに弟がいることを思い出した。

娘達は弟に会ったことがない。

弟も娘達には興味がないから、お祝い等も一切なかったし。

でも、一応おじさんにあたるわけだから

弟に電話をして、2日間こっちに来て家に居てくれないかどうか頼んでみた。

その頃はまだ、弟は電話に出てくれた。

娘達は自分のことは自分で出来るし

ご飯はちゃんと作っていくし、

ただ、娘達だけだと心配だから

同じ空間に居てくれるだけでいいから。交通費とか払うから!と。

が、なんで自分がそんなことをしなきゃいけないんだ!と

あっさり断られた。

もう講座を諦めるしかないかな…と思っていた時

たまたま母から電話があった。

最近弟に電話をして頼みごとをしたことを話したら

母は弟になんてことを頼んでいるの!!!と。

で、びっくりだったのが

私が(弟の代わりに)行くと言う…

娘達に話したら

娘達もびっくりで、ちょっと怯えた。

娘達は私がアキレス腱を切った時に母が来て怒鳴り散らしたことを覚えていた。

おばあちゃんに頼んだらダメだよ!とまで言う。
(怒鳴られたくないからね)

でも母は、私が弟に頼んで、それが弟の負担になるくらいなら

私が行く!と譲らない。

講座の日程まではあと少し。

来るなら3泊4日。

双子の出産の時も、アキレス腱を切った時も

あれだけ不機嫌で、手伝ってくれたことなんてなかったのに

大事な大事な弟の負担にならないためなら

あっさりこっちに来るんだ!と驚いた。

で、本当に来て、機嫌よく過ごし、帰って行った。

私としては助かったけど。


娘達も、その時に来てくれたことで

おばあちゃんが怒鳴り散らしたことが帳消しになった。


私としては、母が4日も店を休めたことにびっくりだった。









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実家の話⑬

2023-09-07 15:37:51 | 日常
双子が年長の時、夏にお泊り保育があって。

持ち物を用意していたんだけど

『タオルケット』、どうせなら新しいのを持たせようかな…と。

1枚は使っていないのがあったんだけど、双子なので2枚必要。

で、実家の押し入れに使っていない『タオルケット』が眠っていたことを思い出した。

何かを買って!とか、○○を送って欲しいとか

母にはちゃんと頼んだことがなかったけど
(私が頼んだところで、文句を言って怒るだけ)

『孫』の為の元々家にある『使っていないタオルケット』ならいいかな?と

一度だけお願いをしたことがある。

母に、こちらからお金を渡さずに

何かをお願いしたのは

結婚してから後にも先にもこの一回だけ。

別に『着払い』で良かったんだけど。

『私』じゃなくて『孫』のため。


私からの頼みごとが相当に面白くなかったのか、またまた激怒。

欲しかったら、買えばいいでしょ~!!!
(使ってないでしょ)

送料がもったいないでしょ~!!!
(着払いでいいって言ってるじゃん)

それだけ送るなんて、宅急便としては小さすぎるでしょ~!!!
(小さければ送料少なくて済むでしょ)

あんた達にあげて、みんなが来た時に足りなくなったらどうするの~!!!
(何枚もあるじゃん)

とにかく、大騒ぎ。

結果的に送ってくれたんだけど。

そもそも、私が何か頼みごとをすることが許せない。


母は宅急便を送るのは好きだけど

それは自分のペースで自分の送りたいものならOK。

例えば、母が野菜をご近所からもらったら、

我が家には元々実家にある古いものを送り付けてくる。

捨てられない人なので。

こっちのことはお構いなし。

私が娘達に荷物を送る時は、いつが大丈夫か必ず聞くんだけど

母は母が送りたい時に送りたい。

要らないと言っても、箱が大きいから!と。

花が咲きかけのブロッコリーとか、芽が出たジャガイモとか。


ある時は、枝豆を採った。(祖父が遺した畑がある)

じゃあ枝付きのまま送って?と頼むと(そっちの方が鮮度が保たれる)

わざわざ茹でて送ってくる。

枝豆は夏。

しかも、もったいないってことでクールは使わない。

かぼちゃもある!

かぼちゃは要らない!

でもある!いや要らない!じゃあどうするの?と

絶対に譲らず、最後には私がうなずくまで会話は止めない。

それなら丸ごと!というと、ぜ~ったいに切って袋に入れてくる。

届くころには生のまま溶けてる。

なんでもビニール袋に入れて送るから

ものによってはビニールの臭いが移ってることも多く…

ある時に、実家でジップロックを大量に買って置いていったのだけど…

(私に送る)ジップロックがもったいない!と

宅急便には使ってもらえず。


陶芸にハマっていたこともあり、趣味を持つことは良いことだと思っていたんだけど

頼んでないのに、大量に作品が送られてくることもあった。

自分で作った物が大好きだから、母にとっては自信作。

要らない!と言っても、聞いてはくれない。

良かったら使うけど…お世辞にも良くはなかった。

引っ越しの時に捨てました。


冬は必ず長芋を送ってくる。

どれだけ要らないって言っても。

買わなきゃいいだけの話なんだけど。

少しでいいから!と言えば言うほど多く送りたくなるみたいで。

周りに配ればいい!とか言うんだけど、

私は一応、野菜の目利きが出来る。

そして、なぜか私に送ってくるのは、古そうな、人に送れないようなものばかり。

長芋の箱は他の箱よりも高いんだから!と言うんだけど

買わなきゃいい話。


長芋を買って、箱も特別に買って送り付けてくるのに

『タオルケット』1枚でそこまで文句を言われるとは…

毎回、前回以上のガッカリ。

まぁ祖母と言えど、ぜったいに孫が可愛いわけではないんだな…と思えた出来事でした。







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実家の話⑫

2023-09-05 11:20:43 | 日常
前にも書いたけど

実家は県道沿いで商売をしていたこともあり

とびこみのセールスなんかも本当に多くて。

母子家庭で子供3人。

お金がなかったのは本当だと思っていたんだけど…

私にかけるお金はないんだけど

ミシンに20万とか。たまに母が使うお金の単位は高額だった。

一番心配したのは、スピリチュアル系。

幸せになるシールとか。

夫婦仲は良かったから、突然最愛の人を亡くした悲しみは

計り知れないものだと思ってはいたんだけど。

私の学校の行事には激怒するくせに

『いたこ』に話を聞きに行く…とかでお店を休むことはOKだった。


結婚してアメリカに住んでいた頃に

送ってもらった荷物の中に何やら変な文字を書いた紙が。

これは何だ?!と聞いたら

お守りだという。

ある日ハンコ屋さんがセールスに来て、幸運になれるハンコを買って

その人に書いてもらった文字なんだそう。

絶対に幸運が舞い降りるというから、いやいや

そんな胡散臭い人が書いた文字なんかで幸せになれるのなら

この世界、戦争なんて起こらないと思うけど?

何を言ってるの!!!そのお守りのおかげであんたがアメリカで無事に過ごせるんでしょう!!!

これは、何を言ってもダメだ。

私の分のハンコも作ってくれたという。

金額を聞いたら、1本10万円。家族全員の分を作ったと言う。
(40万円?!)

自分のハンコならとっくに持ってる。
(結婚して名字が変わった時に)

10万円なんて、絶対に騙されてるって!!!

そんなわけないでしょ!!運気が上がるんだから!!と、話は聞いてくれず。

今さら10万円のハンコを買ってくれるなら

結婚した時に、現金で5万円のお祝いをもらえた方が嬉しかったけど。
(結局、お祝いは何もなかったし)

で、帰国した後に渡されたけど

母に目を覚まして欲しい私は、そのハンコは受け取らずに返しました。


アキレス腱の傷があまり気にならなくなった

双子が年長の頃に

私宛に何やら確認の書類が届いた。

なんと、母は、私が返したハンコを使い

私が契約したことにして、受け取りを母にして

子ども達に学資保険をかけていた。

私のサインは母が代筆したみたいで…

これは、犯罪になるんじゃないの?

母の言い訳は

今まで(お金がなくて)私達にお金をかけてこられなかったから

貯金と思えばいいし、

郵便局員が親戚だから、変なことにはならないし…

なんだそれ?

お金は自分で払うんだからいいでしょう?と譲らない。

確かにそうなんだけど

私の名前のハンコで、私のふりしてサインをする、その行為がどうなのよ!

と言ったところで、母が納得する訳もなく…

満期になったら、お祝いを送れるし!の一点張り。

『生命保険』じゃなくて『学資保険』だから、いいのか?

そうじゃないよね~

本当に、毎回毎回、がっかりさせられることばかりで。


怖いのは

お金にだらしない妹の借金関連で、私のフリしていないかどうか。

母が『(私が)お姉ちゃんなんだから、何とかしてくれるでしょ』という

昔っからの変わらない考え方で。

もちろん、何かあったら、徹底的に闘うつもりでいたけど

今のところ大丈夫そうだけどって、

普通、こんなことしないよね…


結局、学資保険がどうなったのかは分かりません。
(満期になったからお祝い~なんてなかったし)

お金を出したのも受け取るのも母だし。

大きくお祝いをもらえた記憶はない。

そもそも、娘達にもケチだった。

誕生日のプレゼントは、お金がかからないものというから

毎回本にしてもらい、でも小学校を卒業すると同時に終了。

誕生日おめでとうもなし。


さすがに、やりすぎかと思ったのか

珍しく娘達の入学用のランドセルは買ってあげたいという。

なのでなるべく安い、でも軽くてちゃんと6年持つランドセルを

あちこちで探して。

イオンのランドセルをクーポン使って買って、2つで52000円。

で、52000円もらいました。

1人3万円包んでこれで買って!ではない。


うちの実家はすっごく貧乏だったから…と娘達に言い聞かせ
(お金がなかったのは本当だけど)

夏に遊びに行けるだけでも楽しいね!という雰囲気を作り

おばあちゃんはお金ないのに、ランドセルは買ってくれたね~と母を持ち上げ…


実家から遠いところに住んで、手助けは一切なかったけど

関わる時間が少ない分、母の仮面もはがれることもなく

娘達は田舎大好きに育って、これはこれで良かったのかなぁって今でも思っています。

でもやっぱり、改めて思い直しても

ハンコとサインの偽造は許せないかなぁ…










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実家の話⑪

2023-09-04 10:52:34 | 日常
双子が3歳になる少し前に

福岡から宮城に転勤することになった。

長女は地元の幼稚園の年少組に通っていたんだけど

迷惑だった上司の奥さん

頼んでもいないのに、

お弁当持参で勝手に園の運動会に来たり…
(迷惑だったので、我が家は一切口付けず)

夫が出張でいない時は

その奥さんから連絡がつかないように

家の電話線を抜いて無視していたら

部屋の明かりはついているのに(カーテンから漏れていた)

連絡がつかないなんて!!と大騒ぎになったり(笑)

私も色々と抵抗をしていたから、転勤が決まってスッキリ。

一応、携帯電話を持ち始めた頃だったから

引っ越す時に、その奥さんの連絡先を消したんだけど

2年後くらいにまた宮城で一緒になるという…(^^;

もうその頃には、娘達も幼稚園に通っていて、私も役員をやっていたから

最小限の付き合いでOKでした。

もちろん、園の運動会には絶対に誘わなかった(笑)
(後から、言ってよ~って言われたけど)


宮城での生活が慣れた頃に

付き合いで町の体育館でバドミントンをしていて

私はなんと、アキレス腱を断裂してしまった。

その頃の娘達は、スイミングに通っていたから

娘達のスイミングの時間に合わせて、同じ施設でジムを利用していたから

全く運動してなかったわけではなかったんだけど。

シューズもそれなりのを履いていたんだけど…

バドミントンって、バドミントン用のシューズが必要だったみたいで。


部分麻酔で手術したんだけど…

なぜか血圧が低下して、気が遠くなって…

とにかく大変だった。私は入院しないといけなくて。

その頃、パニクった夫は、うちの実家の母に連絡。

私が入院するから来て欲しいと頼んだらしく…

手術後、病室でその話を聞き、

なぜ勝手に母にそんな連絡をしたのか?!

産後だって手伝ってくれなかった人が、今更手伝うわけないでしょう?と。

って、夫が娘達の世話をするという考えに至っていないのも腹が立つ。

その話を聞き、私は無理矢理退院することにしました。

手術後、とにかく痛みが激しかったので、痛み止めの坐薬までもらって。


夫に頼まれたってことで、母が来たんだけど…

案の定、大激怒!!!誰に頼んでんの~!!!

来てやったんだから、もてなせ~!!!


宮城に引っ越してからは、毎年夏に帰省していて。

1週間弱だったら、母も機嫌が良く。

私が一緒だったこともあり、母と娘達の壁になっていたこともあり

母の本性は娘達には見せないようにしていたんだけど

今回ばかりはどうしようもなくて…


夫には、ほら見たことか!!!

娘達は、何だかよく分からないけど、自分達の世話をするために来たはずの

おばあちゃんがものすごく怒っている…


子ども達が産まれた時点で考えていたんだけど

私にとっては、嫌な母だったけど

娘達には、『田舎』の『おばあちゃん』って必要なんじゃないかと。


このままでは、娘達も『おばあちゃん』のことが大嫌いになってしまう…

夏休みに、こっちとは全然違う環境の

いわゆる『田舎』を訪ねるのは、子ども達にとっては楽しみでもある。

これ以上、母の嫌な部分を見せたくなかったので

一泊で帰ってもらいました。

やっぱり、私は休める環境にはない。


さすがに坐薬は自分では出来なかったけど

双子の後産の痛みよりはマシかも…と

痛みに耐えながら、自宅で何とか過ごすことにしました。

朝頑張れば、娘達は日中幼稚園に行ってくれているしね…

送り迎えはご近所のママ達がしてくれたし。

『遠くの親戚よりも近くの他人』

夫は本当に役に立たないし(怒)いつか覚えておけ~!!!と思いながら。


そんなことがあったから

私の足の傷の治りが遅くて遅くて。

1カ月で外れるはずのギブスが

3カ月以上かかってしまいました。







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