食育マイスターのひとりごと

食育マイスターが日常のひとりごとを綴っています。

実家の話⑨

2023-08-29 11:00:28 | 日常
長女が7カ月の時に、双子の妊娠が発覚。

双子って聞いて、結構ショックだったんだけど…

でも、お腹に宿ったからには元気に生まれてきて欲しい。


車で片道1時間かかったんだけど

すごく評判の良い産婦人科に通うことにしました。

母には普通に育児の相談も出来ない。

双子なんて周りにいないから、情報もない。

色々と心配だから、病院だけは安心できるところを。


担当の先生に言われたのは

どこで産むか、早めに決めた方が良い。

出来れば安定期に入ってすぐに。

お腹はすごく大きくなる。

もし実家に帰るつもりなら、6カ月くらいの時の方が良い。
(当時、福岡に住んでいました)

でも、出産の時期は冬。実家の青森は雪深い。

実家には車もない。

双子は未熟児で生まれてくる可能性が高いから

大きい病院に運ばれる可能性が高い。

当時、実家の近くに大きい病院はなく

もし運ばれたとしたら、真冬にその病院に通えるのか…

しかも長女を連れて。

長女の時に、産後に休ませてもらえなかったのに

これからは長女を伴い、母に頼まれた家事をこなさないといけない。

それも、6カ月で帰ったとして、半年近くも!?

これは、地獄だ。

なので、実家には帰らない選択をしました。


もちろん、母は手伝うつもりはない。それは想定内。

長女が生まれた時に、珍しくお祝いとして1万円、もらったかな?

記憶にはないけど、双子の妊娠を報告したら

またすぐお祝いを出さないといけない!!とケチつけられたことを覚えているから、少しはもらったのかな?

実家に帰るとしたら早いうちに…って

確かに7カ月の時にはお腹の大きさがすでに、長女の時の臨月の時を超えていた。

母には福岡に居た方がいい病院があるから!で、母もあっさりOKだったんだけど…

私の実家は超田舎。

母の周りの人達、特にご近所さん達が

手伝いにいかないなんて、私が可哀そうすぎる!と言い始めた。

母は私に激怒!双子なんかを妊娠して、そっちで産むなんて

体裁が悪すぎる!!!

時は既に8カ月。もう移動は無理。

本当は入院しないといけなかった。でも長女がいたから頑張っていた。

そこに連日、あんたのせいでご近所から悪者扱いをされる!!!

どうするの~!!!と電話。

本当に毎日電話。

どうせ、産後の世話なんかしたくないんだから、自分で考えてよ!なんだけど。

何だか、またいつもの私のせい。

そこで、産後、母にお惣菜を送ってもらうことで手を打った。

きっと私は料理している暇もないだろうからって。

母はようやく、納得。

同じころ、夫の母からもどうするの?と連日、電話。

育児に関わってこなかった人って、行動一緒だな!と妙に納得。

義母は料理が出来ないから、とにかく大丈夫なので~!で。


そのストレス(だと私は思っている)で予定日よりも早く破水。

夜中に夫が長女と私を連れて病院に連れて行き

帰宅している最中に陣痛が始まり

自然分娩で双子を産んだけど、未熟児だったから

双子はそこから国立病院に運ばれました。

またしても孤独な出産だった。

出血は2リットル。出産中よりも後産が辛くて、痛くて眠れなかった。

退院しても長女の世話もあり、私はいわゆる『産後の肥立ち』が悪かった。

今考えても、そりゃそうなるよね…

双子は5週間入院して、3㎏を超えた頃に退院。

頼んでいたお惣菜を送ってもらったんだけど

母からは、とにかく連日の電話攻撃。

ご近所に聞かれていたから、言い訳が欲しかったんだと思う。

荷物を送ったのに、すぐに御礼がないだの、なんだのかんだの…

大変か?と聞かれるから、大変だと答えると、それはお前がちゃんとしてないからだの…

頼むから、手伝いをするつもりがないなら、ほっといてくれ。

実家から福岡まで宅急便は2日かかる。

着いた頃には、もちろんお惣菜は冷たくて美味しくない。

夫が帰宅して、届いたお惣菜をそのまま食べていて、何だか美味しくない…と。

いやいや、電子レンジくらい、自分で使おうよ?

義理母はうちの実家がお惣菜を送ると聞き、自分も!と

イカの塩辛を1キロ樽で送ってきた。

産後の体、誰が食べるんじゃ!!!
(夫に処分させました)

追い打ちをかけたのが、夫の仕事先の上司の奥さん。

私が家にいると聞き、毎日昼間、遊びに来た。

腹が立つからお茶も出さなかったのに

家に上がってきて、しゃべるしゃべる。毎日同じ話。

ちなみに当時の私よりも10歳上。

そんな空気の読めない人だったから、同世代の奥さんたちからは嫌われていた。

頼むから、誰にも頼らず一人で頑張っているんだから

ほっといてくれ~!!!!!

み~んな、消えてしまえ!!!!!と

その頃、本気で呪っていました。


お惣菜を送ってもらうのは

その後のやりとりが面倒だったため

2回で打ち切らせてもらいました。





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いちかわごちそうマルシェ

2023-08-26 00:55:03 | 野菜ソムリエ
本日は1か月ぶりの開催!

『ナイトマルシェ』…夜までやっています♪→★

野菜ソムリエセミナーのテーマは『しょうが』

(前回の様子)











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実家の話⑧

2023-08-25 09:41:24 | 日常
アメリカでの生活は、言葉の面では大変だったけど

実家のことを考えなくていい分、快適だった。

渡米中に、実家から荷物を送ってもらったことが2回ある。

普通に頼んだって、どうやって送っていいか分からないって言われるだろうし

何よりも送料がかかるから、渡米前にどうやって荷物を送ったらいいのか

丁寧に紙に書いて母に預けた。

1年3カ月の滞在予定だから、半年置きに2回送ってもらえるとして

考えられる最大の送料+手数料。

余ったお金は母に渡るように考えてお金を渡した。

そこまでしないと、ぜ~ったいに荷物なんか送ってくれない。

私宛の郵便物は実家宛てにしていたし

送ってもらう前提にしないと、平気で捨てられちゃうし。


滞在中に確実に1回だけパーティの予定があったから

母の着物を借りて、さすがに帯は自分で買って、持って行った。

着物は着て良かった。『着付け』を習っていて本当に良かったと思った。

もちろん帰国後、着物はクリーニングに出した後にちゃんと母に返した。


帰国後しばらくしてから、長女を妊娠。

その当時、福岡に引っ越していたんだけど

『出産=実家に帰る』が当たり前の雰囲気だったから

私も実家に帰ることにした。


予定日よりも10日遅れた時点で、入院することになった。

母は車の免許を持っていないから、もちろん実家に車はない。

入院中に足りないものがないように念入りに荷物をチェックして
(母には持ってきて欲しいなんて、頼めるわけもなく)

地元の同級生のお父さんがタクシーの運転手をやっていて

母のお客さんということもあり

病院のある市に行く時はうちのタクシーを利用して欲しい!と頼まれていたから

そのお父さんに病院まで連れて行ってもらった。
(もちろん、ちゃんと料金は発生し、片道5000円だった)


あんまり遅れても!と、陣痛促進剤で次の日の朝、6時55分に長女を出産した。

廊下に私を待っている人がいるわけでもなく

自分で自分を励ましながらの出産。


出産後、助産師さんが

連絡つけたい人がいれば連絡をつけてくれるように言ってくれたから、

福岡にいる夫と、実家の母に電話を入れてもらうことにした。


電話から戻ってきた助産師さんが困ったように

私の実家に電話をしたら母が

『こんな朝早い時間に電話されても、電車がないから行けないんですけど!』と

結構な剣幕で言ったそうで…

別に、来て欲しいなんて言ってないし。

『生まれた=見に来い』って言われたみたいだったのが

どうも腹が立ったみたいで。

タクシーで行くのはお金がかかるから嫌だったらしい。
(片道5000円だからね)

本当に、母の発言にはいつも失望する。

これ以上失望することはないんだろうなぁ…と思っていた以上に失望する。

その時に心に誓った。

『私は絶対に死ねない!』

こんな祖母、遺された長女が預けられたら可哀そうすぎる。

もし私が死んだら、夫は一人じゃ無理だとか言って

うちの母に預けそうだと思った。

夫の母は育児をしていないから、もっと無理。

『そして、強い強い母親になろう!』と。

その後、母が来たのはお店が休みの日1回だけ。


退院後、実家に戻ったけど

母が私を休ませるわけもなく…

自分も産後は休んでいないという理由で

アレを買ってこい!とか、普通にお使いを頼んでくる。

一番近いスーパーは片道20分弱。

町内会の用事とかも私に頼んでくる。

だから、産後と言えど、寝ていられなかった。

たま~に昼寝をしていると、母に起こされた。

幸い、長女はよく寝る子で。

長女が寝ている隙に用事を済ますようにした。


びっくしていたのは、ご近所の人達。

あれ?出産したよね?寝てなくていいの?と

遠くまで歩いて用事を済ます時に会うと、車に乗せてくれた。

『あの母親(うちの母の事)じゃ、そういうことさせるよね~』と

私の前で母の悪口を言う人もいた。

伴侶を亡くし、女で一つで3人の子ども達を育て上げた健気な人というのが

母自身の自分のイメージだったんだろうけど

見ている人はちゃんと見てくれているんだなぁ…とちょっと嬉しくなったことを覚えている。


ご近所で、一番若くして祖母になったという、ちょっとした自慢もあり

しばらくハイだったけど

3週間が過ぎた頃から、長女が泣くから、うるさくて眠れない!と言い出して…

長女の1か月健診を終えてすぐに福岡に戻る予定にしていたから

その判断は間違ってなかったと自分を褒めた。

あれ以上実家に長居をしたら

どれだけブチギレされていたか…

もちろん、滞在費はちゃんと払いました。



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実家の話⑦

2023-08-24 17:34:50 | 日常
短大を卒業して5年目。結婚することになった。

そして、急な話なんだけど、夫がアメリカに行くことになった。

仕事を辞めたくなかった私は、一人で行ってくれ!って訴えたんだけど

結果的に一緒に行くことになった。


両家の顔合わせは

母が一人では嫌だと、自分の姉を呼んだ。

夫の方は、夫の母と旦那さん(義母は再婚)となぜか祖父と祖母。

仕切りたがりの夫の祖父。

うちの地方は、結婚式はたくさんの人を呼ぶ。何百人単位。

夫は祖父にとって自慢の孫だから、結婚式をして欲しい。

私は両家で、こじんまりと食事会でいいと思った。

式をするなら、実家の青森。

でも普段は東京で働いている。当時夫は西日本にいたし。

色々と面倒。

アメリカに行く日は9月4日。

GWに籍だけ入れて、お盆の休みを利用して食事会…と考えていた。


母は結婚には反対はしなかったけど、

お盆の時期に食事会(または式)をするのが気に入らない。

子供の頃に何度も言われた

『あんたの入学式のせいで仕事を休まかきゃいけなくなった!』と同じ考え方。

確かにお盆の時期は店が忙しかったけど

休みがないわけではない。それは分かっている。

母としては店が落ち着いている秋にして欲しいとのこと。

いやいや、渡米するの9月4日って言っているんだけど!?

しかも、式はやって欲しい。

理由は、うちは親戚が多く、

今まで親戚の冠婚葬祭に散々お金を払ってきたから

その分の『元を取りたい』と言う。

でも、式をするとしても母がお金を出すわけではないだろう。

社会人になって、貯金はちゃんとしていた。

短大卒だから、同期の大卒よりは月の手取りは少なかったけど

ボーナスがすごく良かったから、それなりに貯めることが出来た。


私は『母の元を取る』為に式をしないといけないのか…と考えたら…

一気に嫌になった。

確かに人生で一番のハレの日かもしれないけど

私は母の元を取るために何百万も払うのか?

それなら、今後の生活にお金を出したいと思った。

家具だって自分で買わないといけないだろうし。


『アメリカに行く準備が忙しい』という理由で、食事会も式もなしにした。

夫と私は高校の同級生。

本当は同級生を呼んでパーティとか楽しそうだなぁと思っていたんだけど
(結婚後に同級生で集まった時に式をやって欲しかった~とか言ってもらったけど)

血のつながりをすっ飛ばしてやるわけにもいかず…
(現に式をやらないことを伝えると、夫の祖父に散々文句を言われた)


それでも、ドレスは着てみたいという欲求はあったから

籍を入れると決めたGWに地元の写真館を予約した。

花嫁衣裳を見せることも『親孝行』なのだろうか!?と思い

写真を撮る日に母を誘った。夫の方も来るって言ってたし。

案の上、激怒。GWの忙しい時期にそんな予定入れて!!!

結局、来たんだけど、母が時間とられないように、さっさと衣装を決めて

さっさと写真を撮りました。母がなるべく早く家に帰りやすいように。

普段は東京で働いているから、普通の日は来られないって言っても

結局、文句をつけたい。

そして、やっぱりお祝いは一切なし。

欲しいものは自分で買えば?

母親がそんなんだから、もちろん、妹弟からも何もなかった。









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実家の話⑥

2023-08-23 10:03:16 | 日常
就職して3年目。

幸い、お給料は毎年上がっていたから

『女性らしい』イメージの習い事をすることにした。

お茶か、お花か…本気で取り組むとなると、

お金もかかるけど、時間もかかる。

そこで、『着付け』を習うことにした。最後までいっても2年で修了。


成人式は夏にスーツだったし、

うちの母が記念に振袖着れば?なんて、言うはずもなく…

だから、着物に憧れもあった。


ちなみに、私の記念写真的なものは、小学校に入学の写真のみ。

七五三もない。私が着物を着るのを嫌がるから撮らなかったと。

私のせいなんだろうけど。


『着付け』の世界は楽しかった。

同じクラスで、同じ年のとってもキレイな人がいて。

もう結婚が決まっていたそうで

花嫁修業的な感じで、習っていた。

着付け教室では、しょっちゅう着物の展示会があった。

私は見るだけだったけど、本当に素敵だった。

その同じクラスのキレイな人は、展示会の時はいつもお母様も一緒だった。

お母様と一緒に着物や帯を選び、

なんなら娘が止めても、母が娘の為に買っちゃう感じで。

世間一般の母と娘ってこんな感じなのだろう…と。


私が『着付け』を習っていることを実家に帰った時に母に話したら

その時から母も着物の話をするようになった。

うちには古い桐の箪笥があり、

そこには母の着物がびっちり詰まっていた。

若い頃はよく買っていたそう…
(着たかどうかは分からない)

思った以上に『着付け』の世界にハマり、

進級するにつれて本物の着物が必要になってきた。

季節によって生地も違う。

まぁそれが、展示会で着物を買わせる手段だったのだろうけど。

さすがに季節の着物一式は買えない。そこで母に借りることにした。

珍しく、貸してくれた。

もちろん、借りたら返す。

『もう着ないんだったらちょうだい』なんて、口が裂けてもいえない。


ある日、着物を買ったと母。

うちは県道沿いにあるから、飛び込みのセールスも多くて。

決して裕福ではなかったことは間違いないし

いつもお金がない、お前にはお金がかかる!と言われていたけど…

母が欲しいものは買っていた。

ミシンだって、いつ使うのか知らないけど、20万したと。

私の人生で一度だけ、母が手伝ってくれたのが

中2の時のリサイクルの洋服づくり。

その時はありがたかったけど、

当時の最新ミシンを使いこなしたかったんだと、後から思った。

後にも先にも、助けてくれたのはその1回限り。

裁縫の趣味もないのに20万。

他にも色々あり、さすがにそれは要らない!と、断るのは子どもの私。

私には何も買わないくせに、自分には高い買い物をする。


母が買った着物は一式40万位だったと言っていた。

同じクラスのキレイな母娘を見ていたから

アホな私はてっきり、私に買ってくれたのかと思って密かに喜んだ。

私が『着付け』を始めたから、買ってくれたんだと。


それを聞いた後の最初の長期休みに帰ると…

買った着物を見せられて、自慢された。

何てことない、母自身の着物だった。

そこで目が覚めた。

そうだよね、私の着物のわけないよね、母って、そういう人だよね!


その一年後くらいに、急に振袖を買ったと言った。

母の着物を買った業者に、私と妹がいることがバレ

女の子がいるのに、成人式も終わっているのに、振袖もないの?と言われたみたいで。

それで、断れなくて買ったそうだ。

振袖は1枚。私のものでも妹のものでもない。母のもの。

買ったから着ないともったいない!とうるさい。

今更着ろと言われても…

でもその後、同級生の結婚式があって、着る機会が訪れた。

私が着たのはその1回きり。

着たらクリーニングして、母に返した。私のじゃないからね。


母が買って私に自慢した着物、その後どうしたんだろうか…

まさに箪笥の肥やしだと思った。



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