8月、長女と二女と地元の空港で待ち合わせをし
レンタカーを借りて実家に向かいました。
仏様を移す際に人が多い方が良いって前に母が言っていたから、三人で予定を合わせて。
当時、長女も二女もシフト制の仕事。3カ月も前から予定を相談して一泊二日の予定だったんだけど、母はなぜか私達が二泊三日するものだと脳内変換していて
なぜ一泊二日なのか!?と怒る始末。短すぎる!と。
社会人になってからの予定を合わせるのって、
そんな簡単じゃないんだけど。
昼過ぎには実家に着いたけど、お寺に行くそぶりがなく…
じゃあ明日かな?なんて思い聞いたら
まだそんな予定はないとのこと。
要は、私主導で日程を決められるのが、本当にいやらしく…
何の為に3人でわざわざ予定を合わせて帰って来たのか…
そして実家は、全く片付いておらず…
今まで本当に何をしてきたのか…
私だったら、毎日段ボール一箱分!と決めて片付けるけど
本当に全く何もまとめられていなくて。県から話が来た7年前から全く進んでいなくて。
車がなきゃ不便だろうと、レンタカーまで借りてみたんだけど。
特にそれに対してはなんとも思っておらず、もちろん『ありがとう』の一言もなく。まぁ私だけの判断だったんだけど。
せっかく人手があるんだから、片付けるけど?と言うと
母曰く、何を捨てていいか分からないから、
新しい家で生活してみて、足りないものを元の実家から少しずつ運んで
生活しながら、何を捨てるか判断したい!と。
いやいや、どう考えても、何十年も使っていない食器とか溢れているでしょ?
そんなの、新しく生活してみないと分からないでしょ!!!
だから、私達3人が来たところで、片付けられるものはないとのこと
どこかに寄付するから捨てないで!と母が言っていた
昔の私の服も、もちろんまだそのまま。
あまり古いものだと引き取ってもらえないよ!と話しても、全く耳に入っていなかった…
そもそも5月に私の荷物を送ってもらう必要もないくらい、全く片付けられていなかった…
新しい家は、確かに元の実家よりは狭いけど、リビングも母の部屋も十分に広かった
せっかく車もあるし、何か運ぶけど?と言ったら、ようやく母が了承してくれたのは、布団袋3つ分に入ったタオルや毛布類。
双子の幼稚園のお泊り保育用に、実家の押し入れにしまってある薄手のタオルケットを1枚分けて欲しい!とお願いをしたら、『みんなが泊まりに来た時に、足りなくなったらどうするの!!!』と烈火のごとく怒られたことがあり…結果的には送ってくれたけど、子ども達が産まれてから、母にお願いをしたのはその1回きりです。
ちなみに母の『みんな』と言うのは、母の姉達の事で、私達の事ではない。
母は9人兄弟の7番目で、弟が2人。兄が1人。姉が5人いて、姉達とはすごく仲が良い。ただ、仲が良いのは母だけで、私は実際にその姉達に会ったことがあるのは1回だけ。名前も知らない。従兄弟もたくさんいるみたいだけど、会ったことない従兄弟もいるし、そもそも伯母達の名前も知らない…(^^;
あの時にあんなに私に怒ったのに、タオルケットとか、まだこんなに家にあったんだ!!!と、それはそれは驚きました。
タオル類はあっという間に運び終わり、
他にやることはないのか?と聞いたら、弟の荷物を運んで欲しいと言う
弟とは連絡が取れているのかどうか、教えては貰えず。
他にやることもないし、3人で運んだんだけど…
その時にふと思った。
何でうちの娘達は、一度も会ったこともない叔父の為にこんなに動いているんだろうか…
出産後のお祝いも一切なし。そんな弟の荷物を、おばあちゃんの為になんで運んでいるんだろう…本来であれば、弟自身がやるべきことなんだけど(怒)
もし、私が今亡くなったとしたら、うちの母なら、娘達に弟の世話を頼みかねない、そんな気さえしてきた
新しい家を建てるために、県からいくらお金が出たのかは知らない。聞いたとしても怒られるだけ。それを弟と分けたのかどうかも教えてくれない。
ただ、新しい家には新しい家電があり、鍋なんかも買い揃えてあって。
5月に三女と夫が実家を訪ねた時に、母はお寺に28万円寄付までしたと話していたみたいで。
三女がカナダへ行く前だったけど、もちろん餞別等は一切なし。
今までに私に対してもお祝い等は一銭もなかったから、三女へ何かくれるとは思っていなかったけど、お寺にそんなに寄付するのに、孫には何にもないんだな!と、ふと思ってしまった。
もちろん、孫にお金を出すのが当たり前だとは思っていないんだけど。
私には誕生日プレゼントは一度もなく、娘達には小学校までは本が送られてきたけど、途中でめんどくさくなったみたいで、その後誕生日プレゼントは無しになった。お年玉は高校生まで年に1回1人5000円。
実家は貧乏だって娘達には話していたから、年に1回でもありがたいと思っていたと思うし。
新しい家の2階はとても広い弟用の部屋と、客間。
客間の押し入れ、空いてるじゃん!と思ったけど、そこは『みんな』が来た時用の布団とか入れたいんだろうな!と。
新しい家はもう住める環境にあったけど、もちろん私達が泊まらせてもらえることはなく。
長女がボソッと『おばあちゃんって、片付けられない人だったんだね…』と。
夕方、車に乗せて母の買い物に付き合い、古い実家に泊まり、次の日にお墓参りをして、その後に夫の実家に寄って、帰ってきました。
本当は、引っ越しが完了するまでは
何回か引っ越しの手伝いに行くつもりだったんだけど…
どうせ私の話なんか聞かないし、聞きたくもないだろうし…
念願の新しい家が建ったんだから、もう好きにするといいよ!と
その一泊二日で完全に色々と気持ちが切れてしまいました。
もう本当にこいつらと関わるのはいいや…と
そこから、引っ越しがどうなったのかは知りません。
物が溢れた実家が結局どうなったのかも。
母からも連絡が来ることはなかったし。
12月に、毎年お茶とかを送っていたから、一応母に電話したら、
母はもう要らない!と。
その2年前まで、毎年頼んでもいないのに、長芋を大量に送ってきていて。
本当にそんなに要らなくて、毎年少しで良いっていうのに、母の中では長芋を送る!ということが譲れなくて。お金がかかるって文句言うなら、そもそもそんなに長芋を買わなきゃいい話で。毎年毎年、要らないって言っているのに大量に送ってくる宅急便を強く強く断ったら、それが相当に面白くなかったらしく、だから私からの贈り物も要らない!と。(よく分からない理論)
その電話の時に、一応新しい住所を聞きました。
聞かなきゃ住所も教えてくれない…やっぱりもういいや!!!
で、そこから母には連絡していません。
母からも連絡が来ないし。
親と関係を断っている人の話をたま~に聞くけど
別に好きで断っているわけではなく、そこに至るまでには相当な事が絶対にあったはずだと私は思っています。
私は母の事が本当に好きじゃなかった。
子どもを産んだとしても、母性が無い人って絶対にいると思う。
(まぁ私だけに対してだけど)
性善説じゃないけど、親=ちゃんと子どもの世話してきたから、親孝行が当たり前って、私個人的にはそれは違うと思っています。
そもそも私は母の何に感謝すべきなのか…
産んでもらったことって人生をかけて感謝しなきゃいけないことなのか…
家を出されなかったことだけでも、すごくありがたいことなのか…
何もしてもらえず、自分でやってきたから、一人暮らしを始めた時には困らなかったけど、何もしてもらえなかったことに、そこまで感謝をしなきゃいけないことなのか…
54年生きてきたけど、やっぱり母の事は理解できませんでした。
子育てをして初めて親のありがたみが分かるってみんな言うけど
私は子育てをしてきて、私が育ってきた環境が普通ではなかったと分かってしまった。
もし母が1000万を遺して亡くなったとして、私にも受け取る権利はあるのかもしれないけど、
母は私が受け取ることは絶対に許さないとはず。
そう考えた時に、今後介護云々になった時に、今までの母に感謝して看てあげられる?!いや、出来ないと思った。
なので、私が今後実家に帰ることはもうないと思う。
機会をみて、法的な手続きもちゃんとしようと思っています。
弟や妹が、私の娘達に影響を及ぼさないためにも。
社会人になった娘達は、たまにランチに付き合ってくれたり
一緒にフェスに行ったり…
でもそれって当たり前じゃない、母と私の関係からみたら、奇跡に近いこと。
私は娘達に迷惑がかからないように歳が取れたらと思っています。
いとちゃん、今まで何もしてくれなかった親のために色々してきたのだから、もう切っていいですよ。
いとちゃんは自分の娘達を大事にしてください。
もちろん大事にしてきたことは、私もわかってます。
だからこそ、自立してそれぞれ頑張っているんだと思います😊
これからは親のことは考えないで、自分の楽しみのため、今の家族を大事にしてね。
良いお年をお迎えください。