1年以上ぶりの実家の話。
どうせなら年を越す前にスッキリしたくて
頑張ってブログに残すことにします。
こういう話をブログに書くのって
実はものすごいエネルギーが必要で…
ちなみに今も動悸がします。
だから前回から続きがなかなか書けなくて。
そしてブログからも遠ざかっていました。
勢いで年内中に書けるかな…
とりあえず頑張る。
まとめると…
・我が家は父が生きている時から私に対してとっても意地悪だった
(本人達はこれを『躾』という言葉で済ますと思う)
・幼少期は乳歯がほぼ虫歯だった
・理容業だけど、髪は短く刈られて、ドライヤーを使ったこともなかった
・とにかく『手伝え!お姉ちゃんのくせに!』と。掃除も洗濯もご飯の支度も頑張ったけど、褒められた記憶はない。それどころか、『本当に何もしない!』と役立たず扱い。ちなみに妹や弟が家の事を手伝っているのを見たことがない
・5年生の時に父が心筋梗塞で亡くなり、父に会えないよりも、厄介な家族を長女の私に押し付けられたみたいで、それが悲しかった
・弟や妹、特に弟が忘れ物をするのは私がちゃんと世話をしなかったからだとよく怒られた。妹が勉強できないのも私のせいだった
・宿題をしていたら、『お前は長女のくせに本当に役に立たない!』と一度包丁を向けられたことがある
・高校に進学することが気に入らない母からは中3の時からお小遣いはもらえなかった。高校に進学する条件として『奨学金』を貸与すること。高校時代は月に入る奨学金の半分を自分のおこづかいとして、半分は貯金。その後は短大の受験料とか引っ越し代は全部自分で払った
・私が高校に進学してはいけない理由は、全てお金がかかるから。妹や弟は勉強が出来ないから高校に進学するしかないけど、あんたは勉強が出来るから高校に行かなくても何とでもなるでしょ!と説教された
・行きたい進学校があったけど、通学代がかかる!と却下。高校も一校しか受験できなかった
・栄養士の資格を取る短大に進みたかったけど(手に職をつけろ!と言われたから)、いざ希望すると、『そんな給食センターにしか就職できないような資格にお金は出せない!』と猛反対(結局英語科にすすむ)
・それでも苦労をかけたのかな?と母の日とかに毎年贈り物をしていたけど、お礼をいわれるどころか、贈った物に対して文句しか言われてない。対して私は誕生日プレゼントをもらったことは一切ない
・結婚には反対されなかったけど、結婚式を挙げようと思っていた日取りが母と合わなかった。でも親戚が多かったから『元は取りたい!』から結婚式はして欲しいと言われた。もちろんお祝いは一切なし。意味が分からなかったから、結局結婚式はしなかった
・昔から私の学校の行事には来てくれたことはない(あんたの○○式のせいで仕事を休まなきゃいけない!と機嫌が悪くなるから、毎回来なくて良いと言っていた。かといって、母の姉達の旅行とか妹との旅行では仕事を休む
・双子を出産した際の手伝いも一切なし。それどころか、私が双子を妊娠して自分が手伝わないことを周りに責められるのが許せない!と散々文句を言われた
等々、書き出したら止まらなくなる(^^;
(詳しくは1年以上前の『実家の話』を参照)
ことの発端は、3年前の2月。関東が大雪の日にかかってきた半狂乱の母からの電話
県道拡張に伴い、実家を移動して建て替えることが決まっていたんだけど、弟と共同名義にしているのに、弟からの書類の提出がなく、弟に何かあったかもしれないから、弟のところに行って欲しい!
ちなみに弟は昔からそういう人。母からは溺愛されてきたおかげで王様な性格。そしてやる気もなし。昔から家のことで何かあると母は弟を頼りたくて、書類が必要な手続きなんかもあったけど、いつも締め切りを守ったことがなく
周りを困らせてきた
ちなみにその日は本当に大雪で、電車の運行も本数を少なくして、用事がない場合は家にいるように!とのニュースが流れているから、私が弟のところに行くのは無理だと言ったら、『じゃあどうすんのよ!!!』と。
騒動を心配した三女も一緒に調べてくれたけど、どう考えても手はない。もちろん弟が私からの電話に出ることはない。SNSもやっていなそう…弟のところは私の住んでいる場所から電車で1時間半以上。母は関東は全て一緒で隣町くらいの距離としか考えていないから、どれだけ私が無理だと言っても譲らない
色々と提案したけど、私達からの電話に出ないのなら、弟と仲の良い同級生のはとこと連絡を取るのは?と言うと、身内の恥だ!と却下
絶対に私に弟を探しに行け!という母。何なら、家が新しくならないのは私のせいだ!!くらいの勢いで
なんとか話を切って受話器を置いた時から、私の中で何かが切れました
もう、いいかな…と
そもそも、何かを手伝ってもらったこともないってことは、この先連絡を取らないくても、実は困らない。むしろ、母のわがままに振り回されることもないし、毎回会うたびに嫌な想いをして気分が悪くなることもない
それまでは、一応月に一回くらいは電話をしていたけど、その時から本当に何かが吹っ切れて、連絡を取るのを止めた
そして、その年の5月…突然母から電話がかかってきた。家を建て直すことになったから、私の荷物を取りに来ないと、そのまま捨てるぞ!と。
遡ること7年前、私だけ3泊4日で実家に帰った時に、当時から家を建て直す話を聞いていたから、私の荷物は段ボールで7個、ちゃんとまとめて押し入れに置いておいた。その時に母に伝え、母も新居に運ぶと言ったはず
そんなに急な話なら、その段ボールを送ってくれてもいいのに!と思ったけど、それは郵送費がかかるから嫌だという。それなら着払いでも…というと
なぜ自分が私の為にそんな手間なことをしなきゃいけないのか!?とにかく捨てるから!の一点張り。急に言われても仕事を調整できなくて
で、急遽カナダに行く前の三女と休みが取れた夫に実家に行ってもらうことになりました
思い出の品々はなんとか守られた
ちなみに、家を新築できることになったということは、弟と連絡が取れた!?
で、そのことを聞いてみたけど、言葉を濁して教えてくれない。結局私は蚊帳の外。まぁ大事なものが守られたから、それでいいけど
新しい家は元々の実家があった場所から徒歩5分の畑があった場所に建てられていたそう。母は狭くなったと不満気だったらしいけど、十分広かったと
母からは、仏様を移動する際に一人だと何だから、私達に居て欲しいと言われ…長女と二女と私でスケジュールを調整し、3人で1泊2日で8月に実家に行くことになりました
って、8月なら、今すぐに私の荷物を移動させる意味があったのか?!
ただ来て欲しかったのか?!いや、そういうことを考える人ではない。とにかく、私の荷物が新居には邪魔だったんだろう…
8月。当時二女はまだ『でっかいどう』勤務。空港で待ち合せて、レンタカーを借りて3人で実家に向かったのでした
続く…
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