G.G.の徒然山遊録

岐阜各務原市周辺の低山の山行記録、折々の雑感、書評などの雑文を記し、山に関する情報を提供します。

最後の清里旅行:諏訪大社下社、富岡製糸所、清里の今昔、紅葉の白駒の池

2016-10-17 | 旅行・紀行

10月1日~4日、三泊四日の最後の清里旅行に行ってきたので簡単な紀行文をしたため思い出の縁としたい。
 最後の意味は長年、毎年のように訪れていた清里、正確に言えば八ヶ岳、東山麓の大泉高原にある会員制ホテルの利用を今回で中止することとしたからである。

10月1日(土):薄曇り
何回も通った所で、今更、観光したい所も思いつかなったが、諏訪大社下社(秋宮と春宮の2社あり)が未訪問であるのを思い出し見学することにした。ついでに最近、人気がある「万治の石仏」も見学することにした。諏訪大社下社は想像していたよりも荘厳、重厚な社であった。
  秋宮の神楽殿が堂々としているのが特に印象的であった。銅製の巨大な狛犬は日本一、しめ縄は出雲大社のそれよりも長いそうである。
 
本殿も立派な彫刻が施された重厚な社であった。
 
 次に、車で移動し、春宮を訪れた。周囲を森に囲まれ一層荘厳な雰囲気が漂っていた。
本殿の左右に御柱祭で有名な柱(左側が1番、右側が4番、3番、4番は本殿の後ろで見えない)が見えている。こちらの本殿の彫刻も立派である。

 春宮の向かって、左側の階段を降りると急流の砥川が流れている。赤い橋を渡り右岸を5分位遡ると「万治の石仏」が鎮座している広場に着く。観光客と比べるとその巨大さが分かろう。

 参拝の仕方が変わっている。「よろずおさまりますよに」念じ、石仏を時計回りに3周するのである。変わった「おまじない」である。

10月2日(日):晴れ
 少し足を延ばして、2014年6月に世界文化遺産に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」の見学に出かける。なお、遺産群には製糸場以外に3ヶ所の施設が含まれているが、訪れたのは富岡製糸場だけである。
 佐久甲州街道を北上し、佐久ICで上信越自動車道に入り途中、横川SAで昼食を摂る。
横川SAでは妙義山が真正面に見え大迫力である。鋭い岩峰が屹立しハイカーを寄せつけない異様な山容である。日本三大奇景の一つであるのも頷ける。

ここで、もう一つ忘れてならないのが昼食に食した荻野屋の「峠の釜めし」である。因みに、日本一人気のある駅弁だそうである。
 富岡ICで降りる。町中の駐車場が分からず富岡駅前の公共施設の駐車場に止める。
10分位で富岡製糸場に着く。日曜日とあって、観光客で賑わっていた。
入場料は1000円である。

200円を払い、ガイドに付いて工場内を案内してもらう。付いたガイドが良く、説明は巧みで、良い勉強をさせてもらった。
 フランスはリヨンからの技術者などの指導の下、当工場は明治5年(1972年)に操業を始め、以後115年間も操業し続けたそうである。
 建屋は当時のままだそうであるが近代的で、現代の工場と較べても遜色ないのに驚く。
一個の繭は何と1300m~1500mもの驚異的な長さの糸を吐き出すそうである。それを何本か撚り合わせながら機械が巻き取って絹糸を作ったそうである。
 当時の工女の労働条件は7.5時間労働/日で休みは1回/週だったそうで、現代の労働条件以上の厚遇に驚く。
 下の写真はレンガ作りの置繭所(三階建ての繭貯蔵庫、国宝)で、デザインも今様で斬新である。

下の写真は繰糸所(長さ140mと長大な建屋で繭から糸を紡ぐ。国宝)の外観で採光のため、大きなガラス窓が採用されている。昔のガラスは手作りで表面が平面でないく、手作りの暖かさ伝わってくる。
 
下の写真は繰糸所の内部で、自動繰糸機(繭から糸を巻き取る機械)がズラッと並んでいて壮観である。因みに、機械は往時のものではないが、ビニールシートで大切に保護され今でも使えそうである。

 帰路は高速でなく、佐久市まで国道R254を走ってみた。沿線に大きな町もなくゆっくりとドライブできた。途中、道の駅「しもにた」に立ち寄る。ネギとコンニャクの産地で有名であるが、生憎、ネギの生産は冬だけだそうで入手できなかった。 

10月3日(月):小雨
山梨県の広域が雨のため、遠出はせず、近傍を観光する。
 最初に元俳優の柳生博さんが経営を始めた八ヶ岳倶楽部を訪れる。洗練された商品が並んでいて見るだけでも楽しい。雑木林の中に洗練されたギャラリーがあり、何時も気鋭の作家の作品が展示されていて、一見の価値がある。
 小雨に濡れた林の中のギャラリーの佇まいがロマンティックな雰囲気を醸し出したのが印象的であった。

 次に清里名所の清泉寮を訪れた。天気良ければ秩父山塊、南ア、八ヶ岳などの山々が展望できる所であるが生憎の雨で展望はゼロであった。
ここの売店のソフトクリームが有名である。一度食したら、その濃厚な味の虜になるようである。
又、売店の土産物も洗練されていて楽しいショッピングが楽しめる。セレクトショップでは珍しいアメリカ製の小物が多数置かれていて、女性客に人気があるようである。
 ここのレストランのアットホームな雰囲気が大好きである。往時は夜も営業していて、賑やかであったがが、今は清里の退潮に伴い、客足が減少し、ランチだけの営業である。往時の面影そのままに、広々した木造の食堂で、ウエイターがサービスしてくれるのが嬉しい。

 次に小海線の清里駅付近の商店街を訪れてみた。1980年代には若いギャルが溢れていたファンシーな商店街が今や、殆どの店がシャッターを下ろしゴーストタウン化していた。
この景色は何処の駅前通りも同様であるが、往時の清里の賑わい、喧騒を思うと、その変化が極端で、一体全体「あれは何だったんだ」、「夢・幻だったのではないか」と言う感慨が大である。
 因みに、何回か訪れた北沢ガラス美術館も2012年に閉館となり、廃墟化は商店街だけでないのが寂寥感に拍車をかける。 

10月4日(火):晴れ
 朝起きて部屋のカーテンを明けると、久し振りに南アの雄姿が眼前に展開していた。
左から鳳凰三山、中央に北岳、右に甲斐駒ヶ岳の峰々が別れを惜しんでいるようである。
 
 帰宅の日であるが、帰るだけでは能がないので、途中、松原湖を見物し、その後、白駒の池の紅葉見物することにする。
 数年前に松原湖を訪れた時は銀杏が真っ黄色に黄葉し、銀杏を沢山拾ったのを思い出し、訪れてみたが、湖畔に人影はなく、白鳥の乗り物が虚しく係留されているだけであった。

 湖畔を過ぎ、R480の九十九折の道を上がって行き、メルヘン街道と呼ばれるR299との合流点にある売店に立ち寄る。ここは浅間山のビューポイントで人気の場所である。
下の方は雲がかかっていたが浅間山の雄姿が望め、別れを惜しむ。

 麦草峠近くの、駐車場は平日であるのに白駒の池観光客のバス、マイカーで満杯であった。丁度、紅葉が見頃とあって、休日ならば長時間の待機を強いられたことであろう。
駐車場から遊歩道は直ぐに原生林に入る。天気が良いせいか昼なお暗い原生林の雰囲気がないのが物足りない。

それでも、局所的には苔むした樹木、倒木などがあり、他所では見られない苔の森の風景が展開し、日本三大原生林の雰囲気を十分に味わえよう。
 

 遊歩道を20分位歩くと、白駒の池に着く。丁度、昼食時間であり白駒荘の周辺はハイカー、観光客で大賑わいであった。
湖面に紅葉の赤が反射し美しい景色が目を楽しませてくれる。過去、3回この池を訪れているが、始めて紅葉の見頃に遭遇した幸運を喜ぶ。

 二人だけの記念写真を撮ってもらう積りであったが人が一杯で、他の観光客も写り込んでしまったが、却って観光地の雰囲気がある良い記念写真になったようである。

 昼食は山小屋、白駒荘で野菜カレーを食す。大きな葉っぱが入っていた珍しいカレーだが、中々美味であった。座敷は中二階位の高さがあり湖面の眺めもよくゆったりと、楽しい一時を過ごせた。

 白駒の池を後にし、駐車場に戻り、売店を覗き、絵はがきなどを求めて予定の観光は無事終了である。
蓼科別荘地を通り抜け、茅野市街地でガソリンを補給し、諏訪ICで中央高速に乗り一路帰路に着き、5時半頃、無事に帰宅する。

旅の総括:
今回の清里旅行が最後になるであろうとの先入観があり、愛惜の念を持って、各所の風景、風物に接したためかとても印象的な旅となった。私の年齢を考えると再びこの地を訪れることはなかろうと思うと名残惜しい清里である。

諏訪大社は濃色蒼然とした荘厳で、神々しい佇まいで、日本の原風景を見る思いがした。
■世界文化遺産の富岡製糸場は、明治初期に於ける先人の工業化への情熱を今に伝えている遺構で必見の価値がある。
■80年代に起きた異常な清里ブームで、清里駅周辺は若者をターゲットにしたメルヘンチックで、ファンシーな店が軒を連ねていたが、今や殆どの店がシャッターを降ろし廃墟になろうとしている。あの喧騒は「何だったんだろう」との感慨が強い。
■標高2115mの高所にある紅葉の白駒の池の美しさ、池に至るまでの原生林、苔の森の神秘的な風景は筆舌に尽くしがたい素晴らしさである。観光客が多数押し寄せているので、自然破壊が懸念される。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿