少数派シリーズ/東京オリンピックの危うさVOL.32
ROUND3 新国立競技場 (ザハ・キールアーチ)編8
ザハ案・新国立競技場問題の発端はデザイン選定時の安藤忠雄氏の強引さにあった
オリンピック募金切手のご案内・第5次(馬術) 1963年発行
ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。記事は2015年7月、旧ブログに投稿したものです。ザハ氏デザインによる新国立競技場案は、白紙撤回されました。アスリートファーストの尊重は微塵もなく、政治家・経済界・五輪関係者などは己の思惑・利益・保身のために、東京オリンピックの悪用が目に余ります。年月が経過しても、ブログにてその検証や事実を残しておく必要があると考えます。
■新国立競技場の建て替えに際するコンペの条件
新国立競技場問題における政治家の介入、文科省・JSC(スポーツ振興センター)の無能ぶりに呆れました。しかしそもそもの発端は、デザインの応募基準の曖昧さ、デザインと予算の乖離、デザイン選定のコンペの在り方(安藤忠雄氏の強引さ)に問題があったと判断します。そこで調べた結果、分かる限りデザイン選定コンペの経緯をお伝え致します。
JSCより提示された、新競技場に対する4つの設計条件と2つの応募条件
<設計条件>
(1)8万人の観客を収容
(2)2019年のラグビーW杯の開催に間に合わせる
(3)スポーツ以外にも利用できる可動式の屋根設置
(4)総工費は1,300億円
<応募条件>
①国際的な建築賞の受賞経験があること
②15,000人以上のスタジアム設計実績があること
■デザイン選定コンペの経緯~最終的には安藤審査委員長が決定
国立競技場は、東京オリンピック招致前から建て直しの計画がされていました。2012/10に1次審査が行われ全応募46作品から11作品に、そして翌月の2次審査で3作品に絞り込みました。作品画像がご紹介できないのでイメージが湧きにくいのでしょうが、残った3作品は、①ザハ案 ②オーストラリア人デザイン(スケルトン調) ③日本人デザイン(神宮の森との調和)でした。
最終審査は意見が分かれたため、審査員各自が1位と思うデザインを投票した結果、10人の審査員はザハ4票、オーストラリア3票、日本3票の僅差でした。ダントツ者がいないため、ポイント制(1位3点・2位2点・3位1点)による“プレーオフ投票”したところ、何と3作品全てが19ポイントの同点になってしまったのです。恐らく一部の順位に、記入しない審査員がいたと見られます。またザハ案は、1位に上げる審査員と最下位(3位)にした審査員に、大きく2分したそうです。
そこで審査委員長の安藤忠雄氏の判断に委ねられ、ザハ案が圧倒的に良いと主張する委員長の権限で決定したものです。審査の途中で、数人の建築家からザハ案では「工期やコストが掛かる意見」が出ていたそうですが、無視されてしまいました。以上が、デザイン選定コンペの経緯です。
■安藤氏に予算や職業意識があれば新国立競技場問題は起きなかった
2013/3、ザハ氏を招いたコンペ表彰式の挨拶で、安藤氏は「無理を承知の部分もある」と発言。その後も「デザインを選んだと同時に、ザハという人間を選んだ。この人を外さないことが必要」と語ったそうです。これ自体が審査委員長として、権限を越える強引な態度、選定コンペの趣旨を逸脱するものです。ここまで言ったにも関わらず、その後予算の膨大化が問題になった直後の記者会見では、「審査委員会は、デザインを選ぶところまで。コストの議論はしていない。こんな巨額になるとは、僕のほうがビックリしている。」と開き直りました。
記者に無責任さを突っ込まれると、「こんな大きいもの作ったことがありませんからね」と言い出す始末。自己弁護すればするほど、安藤氏は「自分が無能」であることを曝け出してしまいました。審査中に、他の建築家から「工期やコストが掛かる意見」が出ていたことを知っていた訳です。また安藤氏は建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞し、数々の作品を生んだ実績がある人間です。そうであるならば、ザハ案は作りにくい・予算が掛かることは百も承知のはずです。「ザハという人間を選んだ」という発言は、“アンビルトの女王”~巨額・“建てられなかった事案”が多いことも知っていたはずです。政治家・オリンピック関係者の態度と同様に、発言が二転三転しており、責任逃れ・責任の押し付けは見苦しいと思います。
責任ある建築家なら、審査の時点で言われなくても職業意識を働かせ、自らコスト性や建築の可能性(作りやすさ)を確認したでしょう。彼にもう少し「予算の意識」 「職業意識」があれば、確実に予算の範囲内で作れる案を選び、その後の新国立競技場問題は起きなかったと判断します。なお現代の最先端を行く建築家は、「21世紀のデザインは『自然と共生』を考えるのが潮流だ」としています。にも関わらず、今になっても「自然を超越する」対象として捉える、20世紀的モダニズムの典型的なデザインをするザハ氏、それを選んだ日本の建築家の体質が古いとしています。
ROUND3 新国立競技場 (ザハ・キールアーチ)編8
ザハ案・新国立競技場問題の発端はデザイン選定時の安藤忠雄氏の強引さにあった
オリンピック募金切手のご案内・第5次(馬術) 1963年発行
ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。記事は2015年7月、旧ブログに投稿したものです。ザハ氏デザインによる新国立競技場案は、白紙撤回されました。アスリートファーストの尊重は微塵もなく、政治家・経済界・五輪関係者などは己の思惑・利益・保身のために、東京オリンピックの悪用が目に余ります。年月が経過しても、ブログにてその検証や事実を残しておく必要があると考えます。
■新国立競技場の建て替えに際するコンペの条件
新国立競技場問題における政治家の介入、文科省・JSC(スポーツ振興センター)の無能ぶりに呆れました。しかしそもそもの発端は、デザインの応募基準の曖昧さ、デザインと予算の乖離、デザイン選定のコンペの在り方(安藤忠雄氏の強引さ)に問題があったと判断します。そこで調べた結果、分かる限りデザイン選定コンペの経緯をお伝え致します。
JSCより提示された、新競技場に対する4つの設計条件と2つの応募条件
<設計条件>
(1)8万人の観客を収容
(2)2019年のラグビーW杯の開催に間に合わせる
(3)スポーツ以外にも利用できる可動式の屋根設置
(4)総工費は1,300億円
<応募条件>
①国際的な建築賞の受賞経験があること
②15,000人以上のスタジアム設計実績があること
■デザイン選定コンペの経緯~最終的には安藤審査委員長が決定
国立競技場は、東京オリンピック招致前から建て直しの計画がされていました。2012/10に1次審査が行われ全応募46作品から11作品に、そして翌月の2次審査で3作品に絞り込みました。作品画像がご紹介できないのでイメージが湧きにくいのでしょうが、残った3作品は、①ザハ案 ②オーストラリア人デザイン(スケルトン調) ③日本人デザイン(神宮の森との調和)でした。
最終審査は意見が分かれたため、審査員各自が1位と思うデザインを投票した結果、10人の審査員はザハ4票、オーストラリア3票、日本3票の僅差でした。ダントツ者がいないため、ポイント制(1位3点・2位2点・3位1点)による“プレーオフ投票”したところ、何と3作品全てが19ポイントの同点になってしまったのです。恐らく一部の順位に、記入しない審査員がいたと見られます。またザハ案は、1位に上げる審査員と最下位(3位)にした審査員に、大きく2分したそうです。
そこで審査委員長の安藤忠雄氏の判断に委ねられ、ザハ案が圧倒的に良いと主張する委員長の権限で決定したものです。審査の途中で、数人の建築家からザハ案では「工期やコストが掛かる意見」が出ていたそうですが、無視されてしまいました。以上が、デザイン選定コンペの経緯です。
■安藤氏に予算や職業意識があれば新国立競技場問題は起きなかった
2013/3、ザハ氏を招いたコンペ表彰式の挨拶で、安藤氏は「無理を承知の部分もある」と発言。その後も「デザインを選んだと同時に、ザハという人間を選んだ。この人を外さないことが必要」と語ったそうです。これ自体が審査委員長として、権限を越える強引な態度、選定コンペの趣旨を逸脱するものです。ここまで言ったにも関わらず、その後予算の膨大化が問題になった直後の記者会見では、「審査委員会は、デザインを選ぶところまで。コストの議論はしていない。こんな巨額になるとは、僕のほうがビックリしている。」と開き直りました。
記者に無責任さを突っ込まれると、「こんな大きいもの作ったことがありませんからね」と言い出す始末。自己弁護すればするほど、安藤氏は「自分が無能」であることを曝け出してしまいました。審査中に、他の建築家から「工期やコストが掛かる意見」が出ていたことを知っていた訳です。また安藤氏は建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞し、数々の作品を生んだ実績がある人間です。そうであるならば、ザハ案は作りにくい・予算が掛かることは百も承知のはずです。「ザハという人間を選んだ」という発言は、“アンビルトの女王”~巨額・“建てられなかった事案”が多いことも知っていたはずです。政治家・オリンピック関係者の態度と同様に、発言が二転三転しており、責任逃れ・責任の押し付けは見苦しいと思います。
責任ある建築家なら、審査の時点で言われなくても職業意識を働かせ、自らコスト性や建築の可能性(作りやすさ)を確認したでしょう。彼にもう少し「予算の意識」 「職業意識」があれば、確実に予算の範囲内で作れる案を選び、その後の新国立競技場問題は起きなかったと判断します。なお現代の最先端を行く建築家は、「21世紀のデザインは『自然と共生』を考えるのが潮流だ」としています。にも関わらず、今になっても「自然を超越する」対象として捉える、20世紀的モダニズムの典型的なデザインをするザハ氏、それを選んだ日本の建築家の体質が古いとしています。