少数派シリーズ/東京オリンピックの危うさVOL.117
ROUND8 コロナ禍・猛暑下の東京五輪開催の過ち検証編 9
中島岳志教授◇東京五輪を終えた日本は坂口安吾の「堕ちる道を堕ちきる」ほかない
■2020東京五輪は日本の衰退を可視化したイベントとして語り継がれるだろう
毎日新聞の記事/東京オリンピックが閉幕した。1年延期したうえで無観客開催となったにもかかわらず、期間中は新型コロナウイルスの感染が拡大した。開会式直前に関係者の過去の問題発言が次々明らかになるなどのトラブルにも見舞われた。五輪強行があらわにしたこの国の現実を見つめ直し、今後の五輪と日本を考える。まずは、あまりに問題だらけの大会でも、全力を尽くされたアスリートの方々に、敬意を表したい。そのうえで、今やるべきではない五輪をやってしまったとしか言いようがない。あと1年延期すべきだった。今大会の反省を踏まえて、五輪のあり方は根底から問い直されねばならない。1964年の東京大会が戦後復興と高度成長の象徴ならば、今回は日本の衰退を可視化したイベントとして語り継がれるだろう。新型コロナウイルス禍への政府の対応のまずさはもちろんのこと、エンブレム問題や国立競技場問題、関係者による数々の問題発言……と、トラブルや不祥事にまみれた大会だった。
開会式を見て「日本が誇れるものは、私の子ども時代のテレビゲームくらいしかないのか」とため息をついた。「日本はもはや先進国ではない」と全世界に発信したことが、今大会最大のポイントかもしれない。この間、五輪を通じてコロナ禍についての誤ったメッセージが次々と発せられ、感染者数を拡大させた。飲食店関係者は「五輪を開くのに、なぜ営業を自粛しなければならないのか」。若い声を聞けば「五輪をやるのだから、みんなで飲んでも大丈夫だ」。五輪が「気を緩めてもいい」という宣伝になった。テレビも新聞も、五輪報道に枠を取られた分、コロナ関連のニュースが目立たなくなった。結果が容易に予測できたのに引き返さず、思い込みと楽観論に頼った。まるで、新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨(ほうこう)」だ。今後3日間は天候が荒れると初日でわかっていたのに、いったん始めてしまったことだからと前進し続けた。猪瀬直樹元東京都知事は、著書「昭和16年夏の敗戦」で太平洋戦争開戦直前に日本の敗戦を予測した人々を描いている。その猪瀬氏がなぜ五輪開催を叫び続けたのか。<途中省略>
■坂口安吾「堕落論」にならえば堕ちきった先で自分たちの姿を直視し歩み直すしかない
商業的にも破綻した。真夏の炎天下で開かれる理由が米国テレビ局の意向だということは周知の事実だが、米国での五輪視聴率は、前回リオデジャネイロ大会よりも大幅に落ちている。また、SDGs(持続可能な開発目標)が広く受け入れられている時代に、五輪を機にした大規模都市開発を進めようとするのも倒錯だ。現状の五輪は、利権なり開発なり国威高揚なり、スポーツ以外が主目的になっている。これならば、もう二度と開くべきではない。既に決まっている2032年のオーストラリア・ブリスベン大会の後は、毎回、五輪発祥の地ギリシャでやればいい。各国持ち回りをやめれば、少なくとも利権化はある程度防げよう。そうなれば、私たちは素直にアスリートの活躍を喜べるようになるはずだ。最後に、今後の日本について。坂口安吾の「堕落論」にならえば、「堕(お)ちる道を堕ちきる」ほかない。堕ちきった先で、自分たちの姿を直視し、歩み直すしかない。
▽中島岳志氏 プロフィール
1975年生まれ、京都大大学院博士課程修了、博士(地域研究)、専門は近代日本政治思想・南アジア地域研究、著書に「親鸞と日本主義」「『リベラル保守』宣言」「保守と立憲」など。
投稿タイトル付けは、新聞の原題・原文に基づいて投稿者が行ったものです。
■投稿者の文章|久米宏氏が「東京五輪が終わっても開催に反対する」と言った意味は?
過去、日本の政治や方向性は、無責任な政治家やいい加減な国民によって導かれてきた歴史がある。今回の五輪招致・開催もまた然りだ。前回の1964年の東京五輪後には、大不況が襲ってきた。現在、国の借金が1000兆円あるというが、皮肉にも前回大会時の膨大なインフラがきっかけとなり、借り始めて雪だるま式に増えたのだ。今回も”祭りのあと”の借金、コロナ禍の経済不況による多額の費用が重なり、相当、深刻だそうだ。五輪を楽しんだ人も開催に反対人も、「平等」に負担していかねばならない。投稿者世代はいずれ早めに死ぬが、問題は若い方(特に都民)が半世紀に渡る長い間、数兆円とも言われる直接・間接の赤字分、さらには五輪に乗じた無駄な10兆円規模の社会インフラ分もを負っていかねばならない。もう日本も、お祭りや目立つことばかりにお金を掛ける、いわば”田舎臭さ”から脱皮すべき。景気浮揚と銘打った政策が成功したことは少ない。五輪閉幕と思ったら4年後は、EXPO2025・これも2度目の大阪万博だ。大金を掛けて何の意義・意味があるのか。東京五輪の二の舞にならぬよう、返上したら? 若い方に託したいのは、ご自分世代の育児・社会保障、やがて訪れる老後のために、税は有効に使うことを学んで欲しい。久米宏氏は少なくとも数年以上前から、東京五輪が終わっても開催に反対すると仰っていた。こうした意味を含んでのことだろう。投稿者も同感で、国民の多くが事前に”宴の後”を考えるべきだったのだ。
次号/選手村の自動運転バスがパラ柔道視覚障害選手をはねる事故が発生・無念の負傷欠場
前号/作家・真山仁氏◇コロナ禍の東京五輪開催とは「自国民の命を犠牲・安売りした政府」のこと
ROUND8 コロナ禍・猛暑下の東京五輪開催の過ち検証編 9
中島岳志教授◇東京五輪を終えた日本は坂口安吾の「堕ちる道を堕ちきる」ほかない
■2020東京五輪は日本の衰退を可視化したイベントとして語り継がれるだろう
毎日新聞の記事/東京オリンピックが閉幕した。1年延期したうえで無観客開催となったにもかかわらず、期間中は新型コロナウイルスの感染が拡大した。開会式直前に関係者の過去の問題発言が次々明らかになるなどのトラブルにも見舞われた。五輪強行があらわにしたこの国の現実を見つめ直し、今後の五輪と日本を考える。まずは、あまりに問題だらけの大会でも、全力を尽くされたアスリートの方々に、敬意を表したい。そのうえで、今やるべきではない五輪をやってしまったとしか言いようがない。あと1年延期すべきだった。今大会の反省を踏まえて、五輪のあり方は根底から問い直されねばならない。1964年の東京大会が戦後復興と高度成長の象徴ならば、今回は日本の衰退を可視化したイベントとして語り継がれるだろう。新型コロナウイルス禍への政府の対応のまずさはもちろんのこと、エンブレム問題や国立競技場問題、関係者による数々の問題発言……と、トラブルや不祥事にまみれた大会だった。
開会式を見て「日本が誇れるものは、私の子ども時代のテレビゲームくらいしかないのか」とため息をついた。「日本はもはや先進国ではない」と全世界に発信したことが、今大会最大のポイントかもしれない。この間、五輪を通じてコロナ禍についての誤ったメッセージが次々と発せられ、感染者数を拡大させた。飲食店関係者は「五輪を開くのに、なぜ営業を自粛しなければならないのか」。若い声を聞けば「五輪をやるのだから、みんなで飲んでも大丈夫だ」。五輪が「気を緩めてもいい」という宣伝になった。テレビも新聞も、五輪報道に枠を取られた分、コロナ関連のニュースが目立たなくなった。結果が容易に予測できたのに引き返さず、思い込みと楽観論に頼った。まるで、新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨(ほうこう)」だ。今後3日間は天候が荒れると初日でわかっていたのに、いったん始めてしまったことだからと前進し続けた。猪瀬直樹元東京都知事は、著書「昭和16年夏の敗戦」で太平洋戦争開戦直前に日本の敗戦を予測した人々を描いている。その猪瀬氏がなぜ五輪開催を叫び続けたのか。<途中省略>
■坂口安吾「堕落論」にならえば堕ちきった先で自分たちの姿を直視し歩み直すしかない
商業的にも破綻した。真夏の炎天下で開かれる理由が米国テレビ局の意向だということは周知の事実だが、米国での五輪視聴率は、前回リオデジャネイロ大会よりも大幅に落ちている。また、SDGs(持続可能な開発目標)が広く受け入れられている時代に、五輪を機にした大規模都市開発を進めようとするのも倒錯だ。現状の五輪は、利権なり開発なり国威高揚なり、スポーツ以外が主目的になっている。これならば、もう二度と開くべきではない。既に決まっている2032年のオーストラリア・ブリスベン大会の後は、毎回、五輪発祥の地ギリシャでやればいい。各国持ち回りをやめれば、少なくとも利権化はある程度防げよう。そうなれば、私たちは素直にアスリートの活躍を喜べるようになるはずだ。最後に、今後の日本について。坂口安吾の「堕落論」にならえば、「堕(お)ちる道を堕ちきる」ほかない。堕ちきった先で、自分たちの姿を直視し、歩み直すしかない。
▽中島岳志氏 プロフィール
1975年生まれ、京都大大学院博士課程修了、博士(地域研究)、専門は近代日本政治思想・南アジア地域研究、著書に「親鸞と日本主義」「『リベラル保守』宣言」「保守と立憲」など。
投稿タイトル付けは、新聞の原題・原文に基づいて投稿者が行ったものです。
■投稿者の文章|久米宏氏が「東京五輪が終わっても開催に反対する」と言った意味は?
過去、日本の政治や方向性は、無責任な政治家やいい加減な国民によって導かれてきた歴史がある。今回の五輪招致・開催もまた然りだ。前回の1964年の東京五輪後には、大不況が襲ってきた。現在、国の借金が1000兆円あるというが、皮肉にも前回大会時の膨大なインフラがきっかけとなり、借り始めて雪だるま式に増えたのだ。今回も”祭りのあと”の借金、コロナ禍の経済不況による多額の費用が重なり、相当、深刻だそうだ。五輪を楽しんだ人も開催に反対人も、「平等」に負担していかねばならない。投稿者世代はいずれ早めに死ぬが、問題は若い方(特に都民)が半世紀に渡る長い間、数兆円とも言われる直接・間接の赤字分、さらには五輪に乗じた無駄な10兆円規模の社会インフラ分もを負っていかねばならない。もう日本も、お祭りや目立つことばかりにお金を掛ける、いわば”田舎臭さ”から脱皮すべき。景気浮揚と銘打った政策が成功したことは少ない。五輪閉幕と思ったら4年後は、EXPO2025・これも2度目の大阪万博だ。大金を掛けて何の意義・意味があるのか。東京五輪の二の舞にならぬよう、返上したら? 若い方に託したいのは、ご自分世代の育児・社会保障、やがて訪れる老後のために、税は有効に使うことを学んで欲しい。久米宏氏は少なくとも数年以上前から、東京五輪が終わっても開催に反対すると仰っていた。こうした意味を含んでのことだろう。投稿者も同感で、国民の多くが事前に”宴の後”を考えるべきだったのだ。
次号/選手村の自動運転バスがパラ柔道視覚障害選手をはねる事故が発生・無念の負傷欠場
前号/作家・真山仁氏◇コロナ禍の東京五輪開催とは「自国民の命を犠牲・安売りした政府」のこと