回転寿司の真相シリーズ238皿目 第3部/回転寿司に行くなら店を選ぼう編
ROUND14 回転寿司の歴史とスタイルの変遷
1990年代後半の回転寿司店はファミリー層や若者が増え熾烈な競争に
バブルは簡単に崩壊し、急激な不況を向かえました。1990年代半ば(平成初期)にかけて、新規分野の異種業の飲食チェーン店が、いち早く店舗の運営システムや流通の仕組み構築して、回転寿司業界に続々と新規参入を図ります。それ以前には回転寿司を軽視し(バカにしていた)、一線を隔していた和食チューン店や水産加工業者・鮮魚卸売業者なども、生き残りを掛け独自に参入が活発化します。
さらには、魚を扱うプロの人達の進出が本格化します。一方、一般寿司店も経営が立ち行かず、次々と“廻る寿司”に変わっていきました。この頃から、持ち帰り寿司も盛んになります。このようにバブルの災いが転じて?飲食業界のシフト再編成や専門業者の展開が、回転寿司の品質アップや拡大に進んでいったのです。中年オヤジが対象だったものが、この頃からファミリー層や若者がお客様のターゲットとして変化していきます。
店も綺麗で清潔さが求められ、自ずと安くてまずいから、うまくて安い流れができ上がっていきました。見違えるほど回転寿司はネタ質や店舗もアップされ、サービスも向上しました。それだけに数段のレベルアップによる、熾烈な回転寿司店の競争が激しくなっていくのです。ほぼこの頃に、現在に通じるノウハウが確立したと言われています。よりコストダウンが求められたことから、残念なことに偽装魚(本物魚に似た食感の外国産の別魚)への切り替えが進みます。
酷い実態は全ての回転寿司店を示すものではありませんが
多くの店で横行しているのも事実です。