江戸しぐさシリーズ第17話
三脱の教え/身分制度にこだわらない付き合い
今も昔も町人の町・浅草
■三脱の教え
江戸時代には「士農工商」という身分制度がありましたが、江戸も後期になると経済発展から町人の力が強くなり、反対に武家の権威が落ちてきました。200年も平和な世の中が続くと、武士の仕事は少なくなり生活に難渋していったのです。武士は階級によって着る物や礼儀が決められ、何人も奉公人を雇わなくてならなかったので大変だったようです。
そんな社会になったので、身分制度が立ち行かなくなりました。銭湯では裸の付き合いで武士と町人が普通にしゃべり、塾や講の場でも武士と町人が同じ机を並べて研鑚しました。武士が威張り踏ん反り返る姿は、もうなかったようです。こういう場所では、互いに「年齢」 「職業」 「身分」は何も聞かなかったのです。
これを「三脱の教え」と言い、人間として対等に付き合おうという姿勢を示しました。一方、町人は経済的に力を付け江戸後期の文化の発展を担い、また縁日・芝居・読書などいろいろ楽しんだようです。こうして身分制度は、見掛け上のものになっていきました。
▽不粋オヤジの独りゴト
世の中には会社を定年退職しても、大手のどこどこ会社の部長をやってましたと、元・肩書きを吹聴する奴がいます。ブログでも、過去の華々しい履歴を披露(プロフィール掲載)するバカも結構いるんですね。考えてみればブログやSNSは、“年齢・職業・身分”を問わない現代の「三脱の教え」かも知れません。
ところで不粋オヤジの「三脱の教え」は、髪が脱(抜)け、金が脱け(お金が無くなる)、妻や子供が脱け(相手にしてもらえない?)、“三脱の責め”に喘いでいる。それじゃ、駄目ジャン!
江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。
三脱の教え/身分制度にこだわらない付き合い
今も昔も町人の町・浅草
■三脱の教え
江戸時代には「士農工商」という身分制度がありましたが、江戸も後期になると経済発展から町人の力が強くなり、反対に武家の権威が落ちてきました。200年も平和な世の中が続くと、武士の仕事は少なくなり生活に難渋していったのです。武士は階級によって着る物や礼儀が決められ、何人も奉公人を雇わなくてならなかったので大変だったようです。
そんな社会になったので、身分制度が立ち行かなくなりました。銭湯では裸の付き合いで武士と町人が普通にしゃべり、塾や講の場でも武士と町人が同じ机を並べて研鑚しました。武士が威張り踏ん反り返る姿は、もうなかったようです。こういう場所では、互いに「年齢」 「職業」 「身分」は何も聞かなかったのです。
これを「三脱の教え」と言い、人間として対等に付き合おうという姿勢を示しました。一方、町人は経済的に力を付け江戸後期の文化の発展を担い、また縁日・芝居・読書などいろいろ楽しんだようです。こうして身分制度は、見掛け上のものになっていきました。
▽不粋オヤジの独りゴト
世の中には会社を定年退職しても、大手のどこどこ会社の部長をやってましたと、元・肩書きを吹聴する奴がいます。ブログでも、過去の華々しい履歴を披露(プロフィール掲載)するバカも結構いるんですね。考えてみればブログやSNSは、“年齢・職業・身分”を問わない現代の「三脱の教え」かも知れません。
ところで不粋オヤジの「三脱の教え」は、髪が脱(抜)け、金が脱け(お金が無くなる)、妻や子供が脱け(相手にしてもらえない?)、“三脱の責め”に喘いでいる。それじゃ、駄目ジャン!
江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。