回転寿司の真相シリーズ235皿目 第3部/回転寿司に行くなら店を選ぼう編
ROUND14 回転寿司の歴史とスタイルの変遷
1970年代前半の回転寿司は全国展開時にネタや衛生が悪く全く不評
1970年以降・S40年代後半は、大阪万博の反響から全国に続々と回転寿司店が増えていきました。やはり、物珍しさが先行したようです。東日本と西日本のフランチャイズ店が増えましたが、到底、お客様が満足するレベルではありませんでした。ただ安いだけで、ネタが透き通るぐらい薄くてまずく、質が悪い上に衛生上も問題が山積だらけでした。年配者に聞くと、当時は回転寿司に行ったというと馬鹿にされ、恥ずかしかったそうです。
現在は、回転寿司と一般寿司は別のものとして分野がはっきり分かれています。当時は一般寿司の延長と捉えていたため、お客は違いに驚き酷評が続いたのです。店も狭く汚くて、言わば酔っ払い相手の商売だったのです。ご年配の方は、当時の上司や先輩から寿司屋に行こうと誘われ、一般店に行くと思いきや回転寿司の不味さにガッカリした方も多いはずです。全国進出から最初の10数年は、試行錯誤・試練の日々が続きました。1970年代が最大のピンチで、ここで業界が挫折していたら今日の回転寿司は存在しません。
コンベア機能も不十分で皿がコーナーではスムーズに回らなかったリ、当時はお茶を入れた湯飲みが皿といっしょに回っていました。その後、自動給茶装置付き寿司コンベア機などが開発されました。それでもお茶を直接タンクに入れ、そこから現在のような客席の蛇口に送る給茶装置だったので、時間経過とともにお茶が温くなり、色や味が変質してしまうものでした。今日の湯飲みにお茶パックを入れる給湯システムは、1980年代(S60年代)まで待つ必要がありました。
酷い実態は全ての回転寿司店を示すものではありませんが
多くの店で横行しているのも事実です。