少数派シリーズ/政治情勢 森友・加計学園疑惑10
近畿財務局元職員手記1 「本省(財務省)の了解なしに森友学園との交渉ありえない」
■自殺した赤木さんの妻は相澤氏に手記を託し夫の後を追うつもりだった
投稿者前説/文春記事:『すべて佐川局長の指示です』森友問題自殺財務省職員の遺書明らかに~の投稿・2回目です。遺書といっしょに残された手記A4判7枚分、今号はこの存在と全文公開に至った経緯を挟みながら、2018年、自殺(享年54歳)した近畿財務局職員の赤木俊夫氏の手記を載せます(手記1回目は途中まで掲載)。当ブログでは遺書・手記の紹介とともに、週刊文春の記事における、赤木さんの妻(仮名:昌子さん)から相談を受けた大阪日日新聞記者の相澤冬樹氏を介した経緯も加えております。「昌子さんは、相澤氏に手記を託し夫の後を追うつもりだった。そんな昌子さんの気持ちが大きく変わったのは、財務省と近畿財務局の誠意のない態度だった」。これらの内容など下記の週刊文春にて相澤冬樹氏が書き綴った文章を、当ブログ投稿者が抜粋・編集しご案内致します。
相澤冬樹氏 履歴
東京大学法学部卒 NHKに記者職で入局 2016年大阪放送局司法キャップ
森友学園問題を大スクープ しかしNHKの政権寄り隠蔽体質によって2018年左遷・退職
現・大阪日日新聞論説委員・記者 移籍して森友疑惑の解明を続行
著書「安倍官邸 VS.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由」
■週刊文春:相澤氏の行動を通じた財務省と近畿財務局との経緯(抜粋)
彼(赤木氏)が何かを書き遺したようだという話は、当時からあった。しかし厳しい情報統制が敷かれて詳しい内容は分からず、死を選ぶ事情は闇に隠れたまま、世間から忘れられていた。私(相澤氏)がこの「手記」を初めて目にしたのは、赤木さんが亡くなって半年余りがたった2018年11月27日、大阪・梅田の喫茶店だった。赤木さんの妻・昌子さんが、NHKで森友事件を取材していた私が記者を外されNHKを辞めたことをどこかの記事で知り、会いたいという話だった。私は(今まで)、昌子さんを取材したことはなかった。NHK時代に同僚記者から、(昌子さんが)「取材を避けている」と聞いていた。
昌子さんは挨拶を交わして間もなく、カバンから数枚の紙を取り出した。「これ、見たいですよね?」 それが俊夫さんの手記だった。興奮を抑えられない私は、声に出して文書を読みながら、「この部分、すごいですねえ。こんなことが書いてありますよ」。ざっと読んだだけで、内容の重大性はよく分かった。「コピー・写真・メモも駄目、目で見て覚えて下さい」と昌子さんは手記をしまうと、「これは記事にしないで下さいね。相澤さんに裏切られたら私は死にます」と言い残して去った。だいぶ後にご本人から聞いたのだが、実は私に会うまでは、夫が遺した手記を私に託して、そのまま夫の後を追うつもりだったそうだ。ところが興奮する私の様子を見て、手記を託すのをやめ、同時に命を絶つのもやめたのだ。
私が、自書「安倍官邸vsNHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由」を出すことで、週刊文春に関連記事を書くことになっていた。文春編集部は、赤木さんの「手記」の話を聞いて色めき立った。しかし「出したら死ぬ」と昌子さんが話していたものを、無断で出す訳にはいかない。それから1年4か月後の今年(2020年)、3月7日に三回忌の法要が無事終わった。この間、財務省と近畿財務局は、昌子さんに誠意のない態度を繰り返した。亡き夫の職場を大切に思っていた昌子さんの気持ちも、大きく変化した。こうして昌子さんは、「手記」の公開を決意するに至った。そして、俊夫さんが死に追い込まれた状況、死後に昌子さんが味わった苦しみと悲しみを多くの方に知って頂きたい。
鉄槌を!
■森友学園への国有地売却 赤木俊夫・近畿財務局元職員の手記 その1
ポイント1 「財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いている」
ポイント2 「近畿財務局は本省(財務省)の了解なしに森友学園との交渉ありえない」
投稿者お詫び/遺書ともいえる「手記」を抜粋するのは冒涜ですが、ブログ編集の点から鑑み、ご本人と奥様(当然、面識はない) そしてご覧の皆様へ、何卒、ご容赦願います。
*上記のタイトルや「その1」・ポイント等の表示は、投稿者によるものです。
手記 その1
▽投稿者補足
1.この手記は、毎日新聞2020.3.19付の記事を基にしています。
2.下線は、原文でも下線が引かれていた箇所です。
3.平成29年=2017年
4.赤木さんは森友学園との交渉時は別担当で出席しておらず、
尻拭いだけさせられたことは極めて気の毒です。
赤木氏の妻が呼びかけた再調査を求めるインターネット署名と寄附 ←署名にご協力を!
前号/9・文春記事「すべて佐川局長の指示です」森友問題自殺財務省職員の遺書明らかに
近畿財務局元職員手記1 「本省(財務省)の了解なしに森友学園との交渉ありえない」
■自殺した赤木さんの妻は相澤氏に手記を託し夫の後を追うつもりだった
投稿者前説/文春記事:『すべて佐川局長の指示です』森友問題自殺財務省職員の遺書明らかに~の投稿・2回目です。遺書といっしょに残された手記A4判7枚分、今号はこの存在と全文公開に至った経緯を挟みながら、2018年、自殺(享年54歳)した近畿財務局職員の赤木俊夫氏の手記を載せます(手記1回目は途中まで掲載)。当ブログでは遺書・手記の紹介とともに、週刊文春の記事における、赤木さんの妻(仮名:昌子さん)から相談を受けた大阪日日新聞記者の相澤冬樹氏を介した経緯も加えております。「昌子さんは、相澤氏に手記を託し夫の後を追うつもりだった。そんな昌子さんの気持ちが大きく変わったのは、財務省と近畿財務局の誠意のない態度だった」。これらの内容など下記の週刊文春にて相澤冬樹氏が書き綴った文章を、当ブログ投稿者が抜粋・編集しご案内致します。
相澤冬樹氏 履歴
東京大学法学部卒 NHKに記者職で入局 2016年大阪放送局司法キャップ
森友学園問題を大スクープ しかしNHKの政権寄り隠蔽体質によって2018年左遷・退職
現・大阪日日新聞論説委員・記者 移籍して森友疑惑の解明を続行
著書「安倍官邸 VS.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由」
■週刊文春:相澤氏の行動を通じた財務省と近畿財務局との経緯(抜粋)
彼(赤木氏)が何かを書き遺したようだという話は、当時からあった。しかし厳しい情報統制が敷かれて詳しい内容は分からず、死を選ぶ事情は闇に隠れたまま、世間から忘れられていた。私(相澤氏)がこの「手記」を初めて目にしたのは、赤木さんが亡くなって半年余りがたった2018年11月27日、大阪・梅田の喫茶店だった。赤木さんの妻・昌子さんが、NHKで森友事件を取材していた私が記者を外されNHKを辞めたことをどこかの記事で知り、会いたいという話だった。私は(今まで)、昌子さんを取材したことはなかった。NHK時代に同僚記者から、(昌子さんが)「取材を避けている」と聞いていた。
昌子さんは挨拶を交わして間もなく、カバンから数枚の紙を取り出した。「これ、見たいですよね?」 それが俊夫さんの手記だった。興奮を抑えられない私は、声に出して文書を読みながら、「この部分、すごいですねえ。こんなことが書いてありますよ」。ざっと読んだだけで、内容の重大性はよく分かった。「コピー・写真・メモも駄目、目で見て覚えて下さい」と昌子さんは手記をしまうと、「これは記事にしないで下さいね。相澤さんに裏切られたら私は死にます」と言い残して去った。だいぶ後にご本人から聞いたのだが、実は私に会うまでは、夫が遺した手記を私に託して、そのまま夫の後を追うつもりだったそうだ。ところが興奮する私の様子を見て、手記を託すのをやめ、同時に命を絶つのもやめたのだ。
私が、自書「安倍官邸vsNHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由」を出すことで、週刊文春に関連記事を書くことになっていた。文春編集部は、赤木さんの「手記」の話を聞いて色めき立った。しかし「出したら死ぬ」と昌子さんが話していたものを、無断で出す訳にはいかない。それから1年4か月後の今年(2020年)、3月7日に三回忌の法要が無事終わった。この間、財務省と近畿財務局は、昌子さんに誠意のない態度を繰り返した。亡き夫の職場を大切に思っていた昌子さんの気持ちも、大きく変化した。こうして昌子さんは、「手記」の公開を決意するに至った。そして、俊夫さんが死に追い込まれた状況、死後に昌子さんが味わった苦しみと悲しみを多くの方に知って頂きたい。
鉄槌を!
■森友学園への国有地売却 赤木俊夫・近畿財務局元職員の手記 その1
ポイント1 「財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いている」
ポイント2 「近畿財務局は本省(財務省)の了解なしに森友学園との交渉ありえない」
投稿者お詫び/遺書ともいえる「手記」を抜粋するのは冒涜ですが、ブログ編集の点から鑑み、ご本人と奥様(当然、面識はない) そしてご覧の皆様へ、何卒、ご容赦願います。
*上記のタイトルや「その1」・ポイント等の表示は、投稿者によるものです。
遺 書これは財務省近畿財務局の上席国有財務管理官だった赤木俊夫さんが亡くなる直前、ノートに書き残した文章(遺書)です。
森友問題 佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それにNOを誰れもいわない これが財務官僚王国 最後は下部がしっぽを切られる。 なんて世の中だ、手がふるえる、恐い 命 大切な命 終止府 (原文ママ)
手記 その1
手記 平成30年2月<次号に続く>
はじめに
私は、昨年(平成29年)2月から7月までの半年間、これまで経験したことがないほど異例な事案を担当し、その対応に、連日の深夜作業や休日出勤を余儀なくされ、その結果、強度なストレスが蓄積し、心身に支障が生じ、平成29年7月から病気休暇(休職)に至りました。これまで経験したことがない異例な事案とは、今も世間を賑わせている「森友学園への国有地売却問題」(以下「本件事案」という)です。本件事案は、今も事案を長期化・複雑化させているのは、財務省が国会等で真実に反する虚偽の答弁を貫いていることが最大の原因でありますし、この対応に心身ともに痛み苦しんでいます。この手記は、本件事案に関する真実を書き記しておく必要があると考え、作成したものです。以下に、本件事案に関する真実等の詳細を書き記します。
1 森友学園問題
私は、今も連日のように国会やマスコミで政治問題として取り上げられ、世間を騒がせている「森友学園への国有地売却問題」(以下「本件事案」という)を、昨年(平成29年)2月から担当していました。本件事案が社会問題化することとなった端緒は、平成29年2月9日、朝日新聞がこの問題を取り上げたことです。(朝日新聞が取り上げた日の前日の平成29年2月8日、豊中市議が国を相手に、森友学園に売却した国有地の売買金額の公表を求める訴えを提起) 近畿財務局が、豊中市に所在する国有地を学校法人森友学園(以下「学園」という)に売却(売買契約締結)したのは平成28年6月30日です。私は、この時点では、本件事案を担当しておりませんので、学園との売買契約に向けた金額の交渉に関して、どのような経緯があったのかについてはその事案を承知していません。
2 全ては本省主導
本件事案の財務省(以下「本省」という)の担当窓口は、理財局国有財産審理室(主に担当のA補佐、担当係長等です)。 <省略> 通常、本件事案に関わらず、財務局が現場として対応中の個別の事案は、動きがあった都度、本省と情報共有するために報告するのが通常のルール(仕事のやり方)です。本件事案は、この通常のルールに加えて、国有地の管理処分等業務の長い歴史の中で、強烈な個性を持ち国会議員や有力者と思われる人物に接触するなどのあらゆる行動をとるような特異な相手方で、これほどまで長期間、国会で取り上げられ、今もなお収束する見込みがない前代未聞の事案です。
そのため、社会問題化する以前から、当時の担当者は、事案の動きがあった際、その都度本省の担当課に応接記録(面談等交渉記録)などの資料を提出して報告しています。したがって、近畿財務局が、本省の了解なしに勝手に学園と交渉を進めることはありえないのです。本省は近畿財務局から事案の動きの都度、報告を受けているので、詳細な事実関係を十分に承知しているのです。
▽投稿者補足
1.この手記は、毎日新聞2020.3.19付の記事を基にしています。
2.下線は、原文でも下線が引かれていた箇所です。
3.平成29年=2017年
4.赤木さんは森友学園との交渉時は別担当で出席しておらず、
尻拭いだけさせられたことは極めて気の毒です。
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前号/9・文春記事「すべて佐川局長の指示です」森友問題自殺財務省職員の遺書明らかに