少数派シリーズ/東京オリンピックの危うさVOL.115
ROUND8 コロナ禍・猛暑下の東京五輪開催の過ち検証編 7
吉見俊哉教授◇64年五輪神話の呪縛・開会式の出来は経てきた失敗の連鎖を象徴する
■MIKIKO演出なら「日本に未来への力がある」と世界に認めさせることができた
毎日新聞の記事を活用しました/2021年東京五輪開会式は、この五輪が経てきた失敗の連鎖を象徴する出来だった。借り物だらけの焦点の定まらないパッチワークで、衝撃力も心を衝(つ)くメッセージも欠けていた。状況がまるで違うのは百も承知だが、9年前のロンドン五輪開会式の華麗な演出と比較すれば、その落差は目を覆いたくなるほどだ。もちろん、開会式直前の二つのスキャンダル、作曲担当の小山田圭吾の障害のある同級生への過去のいじめ発覚による辞任、また演出担当の小林賢太郎がホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)をコントで揶揄(やゆ)していたことによる解任が、この式典の国際的評価を大きく押し下げたことは明白だ。しかし、問題は以前から深刻化していたようだ。すでに3月、演出の統括責任者になった電通出身の佐々木宏がタレントの渡辺直美の容姿を侮辱する演出プランを提案していたことが明らかになり辞任している。
その少し前、振付師のMIKIKOが突然演出の責任者を降ろされるという不可思議な事態も報じられている。開閉会式の当初の演出チームは、野村萬斎、椎名林檎、MIKIKOといった明らかに才気に満ちた面々だったが、昨年末に解散した。しかも、『週刊文春』によると、MIKIKOが構想していた演出計画は、大友克洋の漫画『AKIRA』のネオ東京と今の東京、そして地球の今を重ねるものであったらしい。それが実現していれば、五輪開催の賛否はさておき、政治や経済は劣化していても、文化だけはまだ日本に未来への力があると世界に認めさせることができたであろう。しかし実際の開会式では、上空に浮かぶドローンによる「地球」は中国での流行の後追いだし、世界のスターたちが歌うジョン・レノンの「イマジン」に至っては、昨年3月、世界を励まそうと著名な歌手や俳優がこの歌を動画でリレーした試みの二番煎じでしかない。
■目の当たりにした日本の組織文化が自由な創造性を理解できず排除してしまうこと
結局、五輪をめぐり私たちが目の当たりにしてきたのは、日本の組織文化が自由な創造性とは何かを理解できず、それを枠に嵌(は)め、飼い殺し、排除してしまうことだった。私はこの根本に、1964年の東京五輪神話の強迫観念的な呪縛があると考えている。今回も、日本選手団の紅白コスチュームから長嶋茂雄や王貞治を引っ張り出した聖火リレーまで、60年代の陳腐な反復が観察された。そしてこの固執は、コロナ禍で開催する五輪について国会で問われた菅義偉首相が、高校生で経験した64年五輪の輝かしさを長々と語ったときに再確認された。世界がパンデミックで苦しんでいる中、日本の首相が国会で口にできた五輪開催の意義は、64年五輪の思い出話だったのだ。
この呪縛は、日本社会を未来に踏み出せなくさせる落とし穴である。今回の開会式でも、「一緒に」という言葉と共に、「より速く、より高く、より強く」というスローガンが強調された。60年代、私たちはそうやって経済成長をひた走った。だがこれは成長型社会の価値である。その価値への固執が、別の価値への目を封じる。21世紀、私たちは成長から循環へ、「速く、高く、強く」から「愉(たの)しく、しなやかに、末永く」への価値の地球的転換を経験している。そうした大転換の中で五輪を位置づけ直すには、まず64年五輪の神話を断固否定しなければいけなかったはずだ。中途半端にサブカルチャーを取り込んでも、結局は成長型社会の中でしか「五輪」を想像できないのなら、「TOKYO2020」など生まれて来ようがなかったのである。
▽プロフィール 吉見俊哉氏
1957年、東京都生まれ。社会学・文化研究・メディア研究。東京大大学院教授・元東京大副学長。著書に『東京復興ならず』『五輪と戦後』など。
投稿タイトル付けは、新聞の原題・原文に基づいて投稿者が行ったものです。
■投稿者の文章|64年五輪の歴史上の成功体験が組織委に胡坐をかかせ緊張感がなかった
投稿者は2013年の招致決定から8年間、言わば東京五輪に対して政府と組織委員会だけを注視してきた。組織委の現場には1964年当時に携わった人はいないけど、前回大会を成功させた歴史上の成功体験・安堵感が強く、初期段階から胡坐をかいて極めて緊張感がないことを危惧していた。それこそ私はイベントや競技に関わっていない全くの素人だが、数々の問題が起こる度に、エエ~? 組織委は今までそんなことさえ考えていなかったのと呆れた。 組織委は政治家崩れ(元政治家)・官僚崩れ(元役人・官僚)が大多数を占める集団であり、それだけにイベント屋化した電通に丸投げ。これでは責任の所在が分からず、上手くいかないだろうと思った。案の定、直前になっての騒動は見苦しかった。外から見ていても、理念が感じられず情熱も希薄だった。様々な問題を起こしたが、コロナ禍だから大きく問題が見えてこなかっただけ。通常時の大会だったら、大混乱・支障を来したと考える。楽しんだ方も多かったと聞くが、復興五輪・世界との交流は言葉だけで、やはり根本的な開催の意義はなかったと考える。
次号/作家・真山仁氏◇コロナ禍の東京五輪開催とは「自国民の命を犠牲・安売りした政府」のこと
前号/東京五輪開催は感染抑止へ誤ったメッセージ発信になった・強行が命の危機を加速させる
ROUND8 コロナ禍・猛暑下の東京五輪開催の過ち検証編 7
吉見俊哉教授◇64年五輪神話の呪縛・開会式の出来は経てきた失敗の連鎖を象徴する
■MIKIKO演出なら「日本に未来への力がある」と世界に認めさせることができた
毎日新聞の記事を活用しました/2021年東京五輪開会式は、この五輪が経てきた失敗の連鎖を象徴する出来だった。借り物だらけの焦点の定まらないパッチワークで、衝撃力も心を衝(つ)くメッセージも欠けていた。状況がまるで違うのは百も承知だが、9年前のロンドン五輪開会式の華麗な演出と比較すれば、その落差は目を覆いたくなるほどだ。もちろん、開会式直前の二つのスキャンダル、作曲担当の小山田圭吾の障害のある同級生への過去のいじめ発覚による辞任、また演出担当の小林賢太郎がホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)をコントで揶揄(やゆ)していたことによる解任が、この式典の国際的評価を大きく押し下げたことは明白だ。しかし、問題は以前から深刻化していたようだ。すでに3月、演出の統括責任者になった電通出身の佐々木宏がタレントの渡辺直美の容姿を侮辱する演出プランを提案していたことが明らかになり辞任している。
その少し前、振付師のMIKIKOが突然演出の責任者を降ろされるという不可思議な事態も報じられている。開閉会式の当初の演出チームは、野村萬斎、椎名林檎、MIKIKOといった明らかに才気に満ちた面々だったが、昨年末に解散した。しかも、『週刊文春』によると、MIKIKOが構想していた演出計画は、大友克洋の漫画『AKIRA』のネオ東京と今の東京、そして地球の今を重ねるものであったらしい。それが実現していれば、五輪開催の賛否はさておき、政治や経済は劣化していても、文化だけはまだ日本に未来への力があると世界に認めさせることができたであろう。しかし実際の開会式では、上空に浮かぶドローンによる「地球」は中国での流行の後追いだし、世界のスターたちが歌うジョン・レノンの「イマジン」に至っては、昨年3月、世界を励まそうと著名な歌手や俳優がこの歌を動画でリレーした試みの二番煎じでしかない。
■目の当たりにした日本の組織文化が自由な創造性を理解できず排除してしまうこと
結局、五輪をめぐり私たちが目の当たりにしてきたのは、日本の組織文化が自由な創造性とは何かを理解できず、それを枠に嵌(は)め、飼い殺し、排除してしまうことだった。私はこの根本に、1964年の東京五輪神話の強迫観念的な呪縛があると考えている。今回も、日本選手団の紅白コスチュームから長嶋茂雄や王貞治を引っ張り出した聖火リレーまで、60年代の陳腐な反復が観察された。そしてこの固執は、コロナ禍で開催する五輪について国会で問われた菅義偉首相が、高校生で経験した64年五輪の輝かしさを長々と語ったときに再確認された。世界がパンデミックで苦しんでいる中、日本の首相が国会で口にできた五輪開催の意義は、64年五輪の思い出話だったのだ。
この呪縛は、日本社会を未来に踏み出せなくさせる落とし穴である。今回の開会式でも、「一緒に」という言葉と共に、「より速く、より高く、より強く」というスローガンが強調された。60年代、私たちはそうやって経済成長をひた走った。だがこれは成長型社会の価値である。その価値への固執が、別の価値への目を封じる。21世紀、私たちは成長から循環へ、「速く、高く、強く」から「愉(たの)しく、しなやかに、末永く」への価値の地球的転換を経験している。そうした大転換の中で五輪を位置づけ直すには、まず64年五輪の神話を断固否定しなければいけなかったはずだ。中途半端にサブカルチャーを取り込んでも、結局は成長型社会の中でしか「五輪」を想像できないのなら、「TOKYO2020」など生まれて来ようがなかったのである。
▽プロフィール 吉見俊哉氏
1957年、東京都生まれ。社会学・文化研究・メディア研究。東京大大学院教授・元東京大副学長。著書に『東京復興ならず』『五輪と戦後』など。
投稿タイトル付けは、新聞の原題・原文に基づいて投稿者が行ったものです。
■投稿者の文章|64年五輪の歴史上の成功体験が組織委に胡坐をかかせ緊張感がなかった
投稿者は2013年の招致決定から8年間、言わば東京五輪に対して政府と組織委員会だけを注視してきた。組織委の現場には1964年当時に携わった人はいないけど、前回大会を成功させた歴史上の成功体験・安堵感が強く、初期段階から胡坐をかいて極めて緊張感がないことを危惧していた。それこそ私はイベントや競技に関わっていない全くの素人だが、数々の問題が起こる度に、エエ~? 組織委は今までそんなことさえ考えていなかったのと呆れた。 組織委は政治家崩れ(元政治家)・官僚崩れ(元役人・官僚)が大多数を占める集団であり、それだけにイベント屋化した電通に丸投げ。これでは責任の所在が分からず、上手くいかないだろうと思った。案の定、直前になっての騒動は見苦しかった。外から見ていても、理念が感じられず情熱も希薄だった。様々な問題を起こしたが、コロナ禍だから大きく問題が見えてこなかっただけ。通常時の大会だったら、大混乱・支障を来したと考える。楽しんだ方も多かったと聞くが、復興五輪・世界との交流は言葉だけで、やはり根本的な開催の意義はなかったと考える。
次号/作家・真山仁氏◇コロナ禍の東京五輪開催とは「自国民の命を犠牲・安売りした政府」のこと
前号/東京五輪開催は感染抑止へ誤ったメッセージ発信になった・強行が命の危機を加速させる