江戸しぐさシリーズ第18話
会釈の眼差し/相手を尊重し自分の気持ちを表す目です
■会釈の眼差し
山歩きやハイキングなどですれ違う時には、自然に「こんにちは」と挨拶を交します。でも町に戻った途端、知らない人とは何も声を掛けません。またお互いの顔を見ることもありません。まあそれが普通ですが… しかし江戸では見ず知らずの他人でもすれ違う時は、お互いに目と目を見合わせて、軽くうなずく程度に挨拶を交わしそうです。それが「会釈の眼差(まなざ)し」です。
その根底には、人間は全て仏の化身という考え方があったからです。仏様に挨拶するように、見ず知らず同士でも目で挨拶するのは何の不思議はありません。目で挨拶するのは、顔を柔和にさせる効果があります。自然と和やかな顔になるのです。そうしたら、殺伐とした空気は生まれません。一人では生きては行けないという基本的なことを、江戸の人々は知っていたのです。相手の身分に関係なく会釈することが、江戸人のプライドであり礼儀だったのです。
▽不粋オヤジの独りゴト
普段、道の真ん中では、さすがのこのオヤジも知らない人には挨拶や声を掛けません。逆に、イチャモンを付けられてしまうかも知れません。でも病院や区役所などの一定の目的で来た人との中では、横切る時や座ったりする時は周囲の人には軽く会釈しています。
年配者は、その意味が分かるので同じように軽く応えてくれます。しかし今の若者ときたら、会釈どころか突然人の前を横切ったり、ぶつかろうと知らん振りです。若者でも、親の躾が良い子はこういう場では実に温和な振る舞いをします。多くの若者はくだらないことに空気を読まなくてもいいから、こうしたことへの配慮が欲しいものです。
江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。
会釈の眼差し/相手を尊重し自分の気持ちを表す目です
■会釈の眼差し
山歩きやハイキングなどですれ違う時には、自然に「こんにちは」と挨拶を交します。でも町に戻った途端、知らない人とは何も声を掛けません。またお互いの顔を見ることもありません。まあそれが普通ですが… しかし江戸では見ず知らずの他人でもすれ違う時は、お互いに目と目を見合わせて、軽くうなずく程度に挨拶を交わしそうです。それが「会釈の眼差(まなざ)し」です。
その根底には、人間は全て仏の化身という考え方があったからです。仏様に挨拶するように、見ず知らず同士でも目で挨拶するのは何の不思議はありません。目で挨拶するのは、顔を柔和にさせる効果があります。自然と和やかな顔になるのです。そうしたら、殺伐とした空気は生まれません。一人では生きては行けないという基本的なことを、江戸の人々は知っていたのです。相手の身分に関係なく会釈することが、江戸人のプライドであり礼儀だったのです。
▽不粋オヤジの独りゴト
普段、道の真ん中では、さすがのこのオヤジも知らない人には挨拶や声を掛けません。逆に、イチャモンを付けられてしまうかも知れません。でも病院や区役所などの一定の目的で来た人との中では、横切る時や座ったりする時は周囲の人には軽く会釈しています。
年配者は、その意味が分かるので同じように軽く応えてくれます。しかし今の若者ときたら、会釈どころか突然人の前を横切ったり、ぶつかろうと知らん振りです。若者でも、親の躾が良い子はこういう場では実に温和な振る舞いをします。多くの若者はくだらないことに空気を読まなくてもいいから、こうしたことへの配慮が欲しいものです。
江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。