少数派シリーズ/政治情勢
国葬6|高千穂大・五野井郁夫教授「安部首相は日本の名誉となったことがあるのか」
■五野井郁夫教授「国葬は憲法19条個人の内心の自由・20条の政教分離に反す」
しんぶん赤旗を活用しております/高千穂大・五野井郁夫教授の文章です。安倍元首相は、外交でいえば、ロシアから「北方4島」返還どころか、2島返還すらできず、その間にロシアは憲法改正をしてしまい、領土割譲が禁じられました。アベノミクスの「異次元の金融緩和」で今の弱い円=円安のもとをつくりました。実質賃金をさげてしまい、日本を「三等国」にしてしまいました。OECD(経済協力開発機構)諸国の中でもさまざまな分野で低迷しています。ジェンダーギャップ、生産性、教育予算。安倍政権の8年8カ月で、何か日本にとって名誉となったことがあるんでしょうか。三木武夫元首相の衆院内閣合同葬(1988年)で1億2千万円かかりました。近年の中曽根康弘元首相の葬儀は、2億円程度かかりました。2億円あれば、例えば子ども食堂への支援などに税金を使うべきです。本当に国のことを安んじるのであれば、国の宝は子どもです。死者ではありません。もちろん安倍氏を“礼賛”する人はいるでしょうが、少なくとも国葬となれば、国をあげて礼賛を“強制”することにつながります。決して許されません。
さらに、国葬をするということは、憲法19条の内心の自由に反する危険性があります。安倍氏は、明らかにイデオロギー的な人で政党の党首までやった人です。そういう人を「弔う」ことを“強いる”のは内心の自由に相当踏み込んでいます。その意味では、吉田茂元首相を国葬としたことも問題だと思います。前例があるからといって「良し」とする必要はありません。自由と民主主義の国として重要なのは、「弔い」について国に従う必要はないということです。国がだれの「弔い」をするか否かを決めること自体が間違っています。このように国論の分断も招くため、政策的にも大いに問題です。もう一つ懸念があります。憲法20条の政教分離です。自民党の改憲草案では「政教分離」を削除しています。神道は宗教ではなく「国柄」だと言う人たちもいます。国葬を、事実上の宗教的儀式を「国柄」だと押し切り、既成事実化しようとする懸念もあります。
■東海大・永山茂樹教授「安倍首相を神格化・遺志である9条改憲を正当化することが狙い」
東海大・永山茂樹教授の文章です。安倍晋三元首相の国葬は、日本国憲法19条が保障する個人の「思想・良心の自由」に反するものです。19条は心の中の自由を保障したもので、特定の心の持ち方を国から強制されたり、もしくは禁止されたりしないというのが一番大事な部分です。国が主催して特定個人を対象とする国葬を行うことは、そういった心の中の自由を害するおそれがあり、19条と両立しえないと考えます。また、自身の思想や良心に反する行為を強制されないということも「思想・良心の自由」に含まれます。この問題で記憶に新しいのは、2年前に行われた中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬です。合同葬に当たり、文部科学省が全国の国立大などに弔意を示すよう求める通知を出しました。この通知には、事実上の強制力がありました。今回の国葬でも同じ問題があります。いま政治をかたるとき、いちいち「ご冥福をお祈りします、が」と枕詞(まくらことば)をつけなくてはいけない、という空気があります。そういう空気の中でおこなわれる国葬は、必ずや、国民の思想・良心の自由を害するものとなるでしょう。
明治憲法のもとで、国葬は、国葬令という命令に基づいて行われました。皇族以外で国葬の対象となったのは、天皇の側近や軍隊のトップです。つまり身分制度と軍事主義の二つが国葬のベースにありました。身分制度を廃止し、軍事主義を否定した日本国憲法とは相いれないものです。哀悼の意をあらわすなら、国葬とは違った形式をとるべきです。安倍氏襲撃事件から間髪をいれず、岸田文雄首相は国葬を行うと言い出しました。故・安倍氏を神格化することで、彼の「遺志」である9条改憲を正当化し、故人をふくむ多くの自民党議員が旧統一協会(世界平和統一家庭連合)と密接な関係にあるという重大な問題を隠蔽(いんぺい)する狙いがあるのでしょう。自民・カルト団体の癒着、「モリカケ」「桜」に代表される政治の私物化問題を、国葬を利用してうやむやにすることは許されません。
※日本共産党は「統一協会」と表示している。もともと「世界基督教統一神霊協会」が韓国で設立。2015年に「世界平和統一家族連合」に変更された。見解は、霊感商法や集団結婚式などで社会的批判を浴びてきたカルト集団であることに変わりないため。そもそも宗教団体とは見ていないので、「教会」ではなく「協会」としている。
■昔・安倍首相「こんな人たちに負ける訳にはいかない!」今・庶民「こんな首相を国葬にする訳にはいかない!」
前号ではメディア全ての世論調査において、国葬反対の声が大きく上回った。憲法違反、莫大な税金を使うなどが叫ばれている。それにしても、これほど国民が反対するのはなぜか、投稿者なりに考えてみた。それは昔、ブログに書いたことで、2017年7月の都議選に安倍首相が応援演説に来たシーンだった。反自民派聴衆のヤジや批判に切れて、「こんな人たちに負ける訳にはいかない!」と絶叫したことだ。自民党の応援と言えども、首相の身だ。選挙では競うが、国を代表する首相なら国民全体のための政治をすべきだ。しかし安倍首相は、常に国民を「敵」と「味方」とに分ける政治手法を用いた。味方には税金を湯水のように使い、経済界・金持ち・外国にはいい顔をした。目に余るほどの、公私混同の政治の私物化。トランプ大統領に尻尾を振り、1機100億円以上の最先端高性能戦闘機F-35を百数十機、1.5兆円の買い物をした。一方、反体勢の庶民の「こんな人たち」には、増税(消費税など)し社会保障をぶった切った。国民の大半には、厳しい仕打ちをする政策。結果、国・国民を二分してしまったのだ。だから国民が、国葬に反感を持つのだろう。「こんな人たち」の率直な気持ちは、『こんな首相を国葬にする訳にはいかない!』
次号/国葬7|自民党村上誠一郎議員「なぜ安倍氏だけ国葬?」「安倍氏を称賛するだけでいいのか」
前号/国葬5|全メディアの世論調査において「国葬反対」が大幅に上回る驚きの事態に
国葬6|高千穂大・五野井郁夫教授「安部首相は日本の名誉となったことがあるのか」
■五野井郁夫教授「国葬は憲法19条個人の内心の自由・20条の政教分離に反す」
しんぶん赤旗を活用しております/高千穂大・五野井郁夫教授の文章です。安倍元首相は、外交でいえば、ロシアから「北方4島」返還どころか、2島返還すらできず、その間にロシアは憲法改正をしてしまい、領土割譲が禁じられました。アベノミクスの「異次元の金融緩和」で今の弱い円=円安のもとをつくりました。実質賃金をさげてしまい、日本を「三等国」にしてしまいました。OECD(経済協力開発機構)諸国の中でもさまざまな分野で低迷しています。ジェンダーギャップ、生産性、教育予算。安倍政権の8年8カ月で、何か日本にとって名誉となったことがあるんでしょうか。三木武夫元首相の衆院内閣合同葬(1988年)で1億2千万円かかりました。近年の中曽根康弘元首相の葬儀は、2億円程度かかりました。2億円あれば、例えば子ども食堂への支援などに税金を使うべきです。本当に国のことを安んじるのであれば、国の宝は子どもです。死者ではありません。もちろん安倍氏を“礼賛”する人はいるでしょうが、少なくとも国葬となれば、国をあげて礼賛を“強制”することにつながります。決して許されません。
さらに、国葬をするということは、憲法19条の内心の自由に反する危険性があります。安倍氏は、明らかにイデオロギー的な人で政党の党首までやった人です。そういう人を「弔う」ことを“強いる”のは内心の自由に相当踏み込んでいます。その意味では、吉田茂元首相を国葬としたことも問題だと思います。前例があるからといって「良し」とする必要はありません。自由と民主主義の国として重要なのは、「弔い」について国に従う必要はないということです。国がだれの「弔い」をするか否かを決めること自体が間違っています。このように国論の分断も招くため、政策的にも大いに問題です。もう一つ懸念があります。憲法20条の政教分離です。自民党の改憲草案では「政教分離」を削除しています。神道は宗教ではなく「国柄」だと言う人たちもいます。国葬を、事実上の宗教的儀式を「国柄」だと押し切り、既成事実化しようとする懸念もあります。
■東海大・永山茂樹教授「安倍首相を神格化・遺志である9条改憲を正当化することが狙い」
東海大・永山茂樹教授の文章です。安倍晋三元首相の国葬は、日本国憲法19条が保障する個人の「思想・良心の自由」に反するものです。19条は心の中の自由を保障したもので、特定の心の持ち方を国から強制されたり、もしくは禁止されたりしないというのが一番大事な部分です。国が主催して特定個人を対象とする国葬を行うことは、そういった心の中の自由を害するおそれがあり、19条と両立しえないと考えます。また、自身の思想や良心に反する行為を強制されないということも「思想・良心の自由」に含まれます。この問題で記憶に新しいのは、2年前に行われた中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬です。合同葬に当たり、文部科学省が全国の国立大などに弔意を示すよう求める通知を出しました。この通知には、事実上の強制力がありました。今回の国葬でも同じ問題があります。いま政治をかたるとき、いちいち「ご冥福をお祈りします、が」と枕詞(まくらことば)をつけなくてはいけない、という空気があります。そういう空気の中でおこなわれる国葬は、必ずや、国民の思想・良心の自由を害するものとなるでしょう。
明治憲法のもとで、国葬は、国葬令という命令に基づいて行われました。皇族以外で国葬の対象となったのは、天皇の側近や軍隊のトップです。つまり身分制度と軍事主義の二つが国葬のベースにありました。身分制度を廃止し、軍事主義を否定した日本国憲法とは相いれないものです。哀悼の意をあらわすなら、国葬とは違った形式をとるべきです。安倍氏襲撃事件から間髪をいれず、岸田文雄首相は国葬を行うと言い出しました。故・安倍氏を神格化することで、彼の「遺志」である9条改憲を正当化し、故人をふくむ多くの自民党議員が旧統一協会(世界平和統一家庭連合)と密接な関係にあるという重大な問題を隠蔽(いんぺい)する狙いがあるのでしょう。自民・カルト団体の癒着、「モリカケ」「桜」に代表される政治の私物化問題を、国葬を利用してうやむやにすることは許されません。
※日本共産党は「統一協会」と表示している。もともと「世界基督教統一神霊協会」が韓国で設立。2015年に「世界平和統一家族連合」に変更された。見解は、霊感商法や集団結婚式などで社会的批判を浴びてきたカルト集団であることに変わりないため。そもそも宗教団体とは見ていないので、「教会」ではなく「協会」としている。
■昔・安倍首相「こんな人たちに負ける訳にはいかない!」今・庶民「こんな首相を国葬にする訳にはいかない!」
前号ではメディア全ての世論調査において、国葬反対の声が大きく上回った。憲法違反、莫大な税金を使うなどが叫ばれている。それにしても、これほど国民が反対するのはなぜか、投稿者なりに考えてみた。それは昔、ブログに書いたことで、2017年7月の都議選に安倍首相が応援演説に来たシーンだった。反自民派聴衆のヤジや批判に切れて、「こんな人たちに負ける訳にはいかない!」と絶叫したことだ。自民党の応援と言えども、首相の身だ。選挙では競うが、国を代表する首相なら国民全体のための政治をすべきだ。しかし安倍首相は、常に国民を「敵」と「味方」とに分ける政治手法を用いた。味方には税金を湯水のように使い、経済界・金持ち・外国にはいい顔をした。目に余るほどの、公私混同の政治の私物化。トランプ大統領に尻尾を振り、1機100億円以上の最先端高性能戦闘機F-35を百数十機、1.5兆円の買い物をした。一方、反体勢の庶民の「こんな人たち」には、増税(消費税など)し社会保障をぶった切った。国民の大半には、厳しい仕打ちをする政策。結果、国・国民を二分してしまったのだ。だから国民が、国葬に反感を持つのだろう。「こんな人たち」の率直な気持ちは、『こんな首相を国葬にする訳にはいかない!』
次号/国葬7|自民党村上誠一郎議員「なぜ安倍氏だけ国葬?」「安倍氏を称賛するだけでいいのか」
前号/国葬5|全メディアの世論調査において「国葬反対」が大幅に上回る驚きの事態に