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ミャンマー内外で未だにミャンマーとビルマの2つの呼び方をするのはなぜ?/少数派

2019年04月09日 | 東アジア・海外の知識
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/東アジア・海外の知識
Part5 ヨーロッパ・中東・その他海外
ミャンマー内外で未だにミャンマーとビルマの2つの呼び方をするのはなぜ?

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ミャンマー・シェダゴンパゴダ

「ミャンマー(Myanmar)」国内では、今も「ビルマ(Burma)」と呼ぶことが多いようです。日本でも中年以上の方は、「ビルマの竪琴」(竹山道雄著)など、ビルマのほうが馴染みがあるのではないでしょうか!実は、1948年の独立以来、ビルマ語の正式国名は、ずっと「ミャンマー」だったのです。

2つの呼び方があるのは、国民が話し言葉はビルマ・書き言葉はミャンマーを使っているからです。どちらの言い方でも、こだわっていないようです。そういえば極東のあのちっぽけな国も、ニホン・ニッポンと言っているようで、ミャンマー・ビルマもその程度の違いのようです。

但し1989年当時、軍政が英語表記をビルマからミャンマーに改めました。ビルマは100年以上続いた英国植民地時代の名称であり、軍政は“植民地時代の清算”をした形です。その際、首都のラングーンをヤンゴンに変更するなど、英国統治下の地名も変えました(現在は300Km北のネピドーに遷都)。

ミャンマー表記を、日本や国連はこれにならいました。しかしミャンマーの民主化勢力や米英の国とメディアは、反軍政の立場からビルマと呼び続けきました。でも2011年の民政移行後は、ミャンマー表示を強めているようです。アウンサンスーチー氏を始め、今も世界各国から注目されている『ミャンマー』です。

Sankoub
ミャンマーの弾圧・国際社会の結束した対応急げ、日本はより積極的役割を

Ntopkeiji

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