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ダイハツ工業◇「大」阪の「発」動機(エンジン)会社としてミゼット・タントを発売/社名・商品名のイワレ

2022年06月24日 | 社名・商品名のイワレ
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ダイハツ工業|「大」阪の「発」動機(エンジン)会社としてミゼット・タントを発売

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◆1950年代には大村崑氏を起用した軽三輪トラック「ミゼット」が大ヒット
日本を代表する軽自動車メーカー「ダイハツ工業」。昔から大阪府池田市に本社を置く。国内新車販売台数では常に上位に入る「タント」など、生活に身近な小型車を生み出し続けている。会社の起源は1907(M40)年。輸入に頼っていたエンジンを国産化しようと、大阪高等工業学校(現・大阪大工学部)の学者らが大阪市に立ち上げた会社がルーツだ。「大阪の発動機(エンジン)製造会社」からとった「大」と「発」の略称が現在の社名の由来になった。設計図もない中、大阪駅近くの工場で輸入品の実物を参考に国産エンジンの開発につなげた。当初は主に船舶向けや農業用のディーゼルエンジンを手がけていたが、1930(S5)年に「ダイハツ号」と名付けた小型三輪自動車を独自開発。エンジンメーカーから自動車メーカーに生まれ変わる転機となった。

戦後、創立50周年の57(S32)年には軽三輪トラック「ミゼット」を発売し、商店主らを中心に10万台を超える大ヒットを記録。Midgetとは、英語で「超小型のもの」という意味の単語。ミゼット!ミゼット!と連呼する人気コメディアンの大村崑さんらが登場するテレビCMが話題を呼び、お茶の間に浸透した。一方で、60年代以降は海外メーカーとの競争にさらされ、67年にトヨタ自動車との業務提携に踏み切り、2016年には完全子会社となった。なお投稿者の亡き父が個人で商売していたので、子供の頃にミゼットに乗った。今では考えられないが、初期のミゼットはオートバイのような棒状のハンドルだった。

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