愛の輝きとつぶやき

写真、アート(絵画、書、詩)日記

天皇陛下の知られざる日々のお仕事

2015-05-18 21:49:22 | 言葉と言霊

天皇陛下の知られざる日々のお仕事

昨今は、天皇陛下の目に見える形でのお仕事をご存じの方も多いと思います。

年始に皇居のバルコニーから一般参賀に訪れた人々に手を振られているお姿。

「歌会始の儀式」で御製を詠まれている御様子。

「勲章親授式」において受賞者に勲章を手渡されるお姿。

海外へのご訪問、全国戦没者追悼式などの式典、福祉施設や災害地へのお見舞いも

ご公務に一環です。こうした「国事行為」や公務に関する書類は一年に1000件を

超え、陛下はそのすべてに目を通し、署名なさっております。

改めて日々の知られざるお仕事などを調べてみました。

稲作民族の日本は、太陽信仰の天照大御神を中心とする国生み神話を残しました。

その天孫初代の神武天皇から今上天皇陛下まで、天津日嗣(あまつひつぎ)は絶えることなく、

続いてまいりました。この世界最古の皇統の連続性はなぜ保たれているのでしょう。

皇室が武力や権力で国民に臨んだり、国民と対立したことは歴史上一度もありません。

天皇の住居は、城郭を必要とせず、御所という普通の住居にすぎません。

 

天皇の日々のお仕事の中心は、

天照大御神を祀る”賢所(かしこどころ)”、

歴代の天皇を祀る”皇霊殿”と、

日本の神々を祀る”神殿”の宮中三殿に、国民を代表して、

朝な夕なに国家の安泰と国民の幸福、世界平和を祈る神官の行事です。

神社がすべて平屋建てで、国民と同じレベルに鎮座しているように、

皇居の宮殿もすべて平屋建てで出来ております。

国民の上に立って、高みから命令を下すということもありません。

「朕(ちん)思うに」ではじまる勅語は、命令ではなくすべて「詔(みことのり)」で、

「私はかく思うが、国民の皆さまはどう思いますか」と問いかけておられるのです。

この一事でも、天皇は外国の独裁的な皇帝とも、キングともまったく違う、

日本最高の神官であることが分かります。

 

日本は自然の恵みが豊かなので、自然に順応してこれに感謝し、勤勉に働き、

神を祀っていれば、国民は幸せに暮らせたのです。

したがって、神を祀ることが政治の政(まつ)りごとと同じで、祭政一致の国柄を

つくってきたのです。そのため、

天皇の第一のお仕事は、第八十四代順徳天皇の『禁秘抄』(きんぴしょう)に

述べられているごとく「神事を先にし、他事を後にす」ことでした。

昭和天皇もこのことを述べておられました。

天皇の第二のお仕事は、日本の文化と伝統を守り、これを後代に誤りなく伝えることでした。

天皇は暦をつくり、時代転換を期する元号大権を持っておられました。

このため、歴代天皇は例外なく学問文芸を好まれ、当代一流の文化人でもあらせられました。

 

明治天皇は、10万に及ぶ優れた御製を残されなした。

”朝みどり  澄みわたりたる大空の  広きをおのが 心ともがな”

”国民の  うへやすかれとおもふのみ  わが世にたえぬ 思いなりけり”

どれ一つとっても武人の心は片鱗もなく、文人に徹しておられた事が窺われます。

 

天皇はすべての国民に慈愛を持って臨まれ、その貫く精神は「仁」の一字で示されています。

民の煙のにぎわいを願った仁徳天皇に代表され、

明治天皇の御名は、「睦仁」、大正天皇は「嘉仁」、昭和天皇は「裕仁」、

今生天皇は「明仁」、皇太子は「徳仁」であらせられることでも明らかです。

 


明治天皇の御製その④

2015-05-17 20:59:02 | 言葉と言霊

明治天皇の御製その④

 

よもの海 みなはらからと 思ふ世に

          など波風の たちさわぐらむ

現代語訳

世界中の人類はみな兄弟だと思っているのに、

なぜこれほどの争いの波や風がたちさわぐのでしょうか。

 

 

言の葉も 学びかはして はらからと

           かたみにむつぶ 四方のくに人

お互いの国の言葉を学び合って、世界中の国の人たちは、

まるで兄弟のように親しくしています。

 

 

ひさかたの 空はへだても なかりけり

          地(つち)なる国は 境あれども

地上には国境というものがありますが、空には何も境も分け隔てもありません。

地上も空のように隔てることなく睦み合う、平和な世界であってもらいたいもの

です。

 *

明治天皇は世界平和への想いをたくさんの歌にこめておられます。

近隣諸国との領土問題などや中東での紛争が止むことがありません。

地球は一つ、その中で兄弟である人類がいつまでいがみ合っているので

しょうか。今、地球維新という新しい人類の夜明けが始まっています。

日本人の真心を通して、世界に愛と平和の光を送りましょう。

 

 


明治天皇の御製その③

2015-05-16 16:05:59 | 言葉と言霊

明治天皇の御製その③

 

萬代の 国のしづめと 大空に

        あふぐは富士の たかねなりけり

 

現代語訳

千代に八千代にますます発展する日本の国の鎮護(しづめ)として、

常に大空に仰ぐのは、富士山の気高い姿です。

 

日本人の心ともいうべき「富士山」の姿を詠まれたものです。

富士山はまさに「日本の鎮護(ちんご)」といえる霊山です。

この国の信仰においては、山をご神体とする山岳信仰があります。

富士山は浅間神社が有名で、木花咲耶姫の命を祀っているお宮です。

このように自然の中に神が宿っているという信仰は、日本では太古からあり、

自然のエナジーを感じとる能力は、当時だれにもあったのです。

「目に見えないものへの敬い」を持っていたのです。

今、その感性を取り戻すときです。

 

日本人の心のよりどころ富士山が噴火するか否か、それはいつか、などその動きが

現在、気になることですが、私たちの心の状態、つまり波動は自然現象と

密接に繋がっています。自然界で起きることは、実は私たちの心の映しでもあるのです。

 

日本は元々とても精神性の高い国であります。

日の本=やまとの国に生まれた私たちは、自然災害をただ恐れたり不安に思うのではなく、

また感情的に心を乱すことなく、鎮める心のほうへ、思い=波動を変えていくことができます。

常に心の準備と現実的な準備をおこたりなく、大難を小難に換える意識が大切です。

 

 

 

 


明治天皇の御製その②

2015-05-15 22:31:53 | 言葉と言霊

明治天皇の御製その②

 

言の葉に あまる誠は おのづから

       人のおもわに あらはれにけり 

現代語訳

言葉に言い尽くせないほどの真実の心は、

言葉にできなくても自然と人の顔の表情に表れているものです。

 

自分が物質主義的な価値観で相手を見定める限り、相手からも同じようにみなされます。

たとえどんなに顔立ちが綺麗であっても、そこに誠がなければ計算高さが表情にあらわれるものです。

恋愛やあらゆる人間関係は、お互いの未熟さを映し合い、出し合いながら磨き合っています。

たとえ未来がどうなるか分からなくても、今という一瞬一瞬に誠をこめて過ごして生きていれば、

そこには魂がこもります。

そこにこめた誠は「目に見えないもの」ですが、元来日本人がもっている精神性だと

思います。

常に誠実で奥ゆかしい姿は、どこかで見てくれている存在がおります。

 


見えない世界を信じる

2015-05-14 21:21:05 | 今に生きる

物事は見えない世界を信じることから始まります。

目に見えない世界を信じない人が何か困難なことに直面すると、すぐにお祈りしたりお願い

したりしますが、意味がないことと言わざるを得ません。

また、易や占いに凝って自分の思考や行動を自ら狭めている人もいます。

自己に内在する神がいるのに外に頼ってばかりで、中心の自分が定まっていません。

我欲のままに生きていることに早く気づいて、もっと積極的に生きるべきでなないでしょうか。

自分の才能、能力、体力、気力を世の中のお役に立つようにしていくということです。

どんな方にも短所、長所はありますが、長所を伸ばしていく方向で進んでいくと苦労も

苦にならなくなるというものです。

他者のお役に立つように謙虚に努力していくと、自然にお祈りや願掛けなどしなくても

必要なことは叶えられるのではないでしょうか。

 

どんな人にも実在する神(守護神・守護霊、指導霊を含む)はおります。

それらの神は、意味があって試練を与えます。それを克服すれば、その行為を決して

見捨てないで導いてくれる存在です。

世の中は決して自分の思うようにはいきません。「こんなふうにはなりたくない」と

誰もが思っていますが、起きる時には起きるものです。

出来事には良くも悪くもすべてが守護霊が与えたものばかりではなく、

自分が自分で招いたということもあります。

しかし、すべて偶然のない世界ですから、その運悪く与えられた状況にも、

「意味」があります。不幸にして与えられた逆境は、冷静に乗り超えなければなりません。

逃げたり、避けたりしていては、何度も試練がやってきます。

はたまた絶望して自殺などしては、楽になるどころか何十倍それ以上の地獄の苦しみが

待っているそうです。また来世でやり直しさせられます。

 

人間は神に近づくべく魂の修業をするために、この世にでてくるといいます。

「目に見えない世界」の存在をを信じ、「見えない世界からいつも見ている存在がある」

ということを信じることです。

人間は、見えない世界からこの世にやってきた存在なのですから。

私は、経験を通してこのことを学びました。