小ロット・ハイクオリティーのニッチなお茶作り
岩永製茶園 門内智子さん
約束の日、不慣れな土地の運転で右往左往していた私を見つけ、遠くから大きく両手を振って迎えてくださった智子さん。時はまさしく一番茶製造の繁忙期。共同工場はフル稼働で、取材には最も不適切なタイミング。しかも今年は霜害と早い梅雨の到来で製茶出来る時間は非常に限られている。時間との戦い、その言葉通り、ご挨拶も出来ないまま工場をご案内いただく。ほどなく紅茶の乾燥が終わり、一刻の猶予もなく速やかに作業は進行、一段落してご自宅の作業場へご一緒させていただいた。
ご自宅のすぐ隣に岩永製茶園の自社工場はある。先程の薄暗い共同工場でうなり声を上げる大型機械と比べると、レトロでこじんまりした機器が明るい工場内に設えられ、お父様の遺品の道具類が天井から床から埋め尽くしている。ちょっとした博物館のような、ほっとする雰囲気だ。
「そろそろ整理しなくちゃいけないんだけど・・・」と言いながら、温かい眼差しで工場内を見渡す智子さんは、幼少期から工場で過ごす時間が好きだった。ここにはお父様との思い出が詰まっている。ラジオの事業で成功したお祖父様が土地を購入し、始めた農業。五ケ瀬川のほとり、なだらかな傾斜地に広がる土地は、きっと思い描いた通りの豊かで美しい農村の風景だっただろう。お茶作りは昭和30年代にお父様がスタート、新規参入で孤立感もあった。しかし、その逆境がお茶作りのバネとなり、釜炒り茶の製茶品評会で農林水産大臣賞を受賞される。
「父は言葉で説明するより、見て学べタイプ。ただ、『やるならちゃんとやれ』と言われました」
高校時代に故郷を離れた智子さん、まさか自分が家業を継ぐとは思っていなかった。しかし、お父様が亡くなり、美しい茶畑とこだわりの茶作りを続けることに。子供の頃から慣れ親しんだお茶作りとはいえ、女性一人で茶園を管理し、全ての作業をこなすことは並大抵ではない重労働だ。有機栽培の場合、化学肥料に比べて10倍の量の肥料を必要とする。20キロの肥料を背負って畑に播くのだが、疲労が続くと持ち上げた拍子に頭から被ってしまい、心が折れそうになることもしばしば。そんな智子さんが2015年に取り組み始めたのが紅茶作りだ。流通経路も原料もよく分からない海外製の紅茶に不安を抱き、安心して飲める紅茶を作りたい、そんな思いがきっかけだった。最初の2年間は商品化せず、釜炒り茶を購入したお客様に配っていたが、次第に「おいしいから販売すれば良いのでは」と周囲から言われるように。とはいえ、自分が作った紅茶の価値基準を持たなかった智子さん。ならば「客観的に専門家に評価してもらおう」と、2017年国産紅茶グランプリに出品したところ、いきなり金賞を受賞する。
「受賞がきっかけで自信を持つことが出来たと同時に、環境が大きく変化しました」
お父様が亡くなり、男社会の茶業界でお茶作りに取り組む智子さんに対して、茶園の管理からお茶の製造、販売までこなせるのだろうかと心配する声も聞かれた。しかし、受賞をきっかけに智子さんを支えてくれる仲間にも恵まれるようになった。結果、2020年のプレミアムティーコンテストでは最高峰の5つ星を受賞。少ないロットで品質にこだわった紅茶作りは智子さんと相性抜群だった。
お父様の味を継いで作り続けている釜炒り茶、そしてシングルオリジンで丁寧に作られる個性豊かな紅茶、さらに今後は白茶や萎凋香が際立つ半発酵茶にも取り組んでみたいと話す智子さんに、美しい茶畑の景色が見渡せるテラスで自作の白茶を淹れていただいた。カメラを向けると、お茶作りに向き合う工場での厳しい表情とは好対照の、はにかんだ笑顔が柔らかい印象だ。繊細さと芯の強さが共存する智子さんにしか作れない気品ある香り高いお茶は、唯一無二の味わいで人々を魅了してやまない。
岩永製茶園 門内智子さん
約束の日、不慣れな土地の運転で右往左往していた私を見つけ、遠くから大きく両手を振って迎えてくださった智子さん。時はまさしく一番茶製造の繁忙期。共同工場はフル稼働で、取材には最も不適切なタイミング。しかも今年は霜害と早い梅雨の到来で製茶出来る時間は非常に限られている。時間との戦い、その言葉通り、ご挨拶も出来ないまま工場をご案内いただく。ほどなく紅茶の乾燥が終わり、一刻の猶予もなく速やかに作業は進行、一段落してご自宅の作業場へご一緒させていただいた。
ご自宅のすぐ隣に岩永製茶園の自社工場はある。先程の薄暗い共同工場でうなり声を上げる大型機械と比べると、レトロでこじんまりした機器が明るい工場内に設えられ、お父様の遺品の道具類が天井から床から埋め尽くしている。ちょっとした博物館のような、ほっとする雰囲気だ。
「そろそろ整理しなくちゃいけないんだけど・・・」と言いながら、温かい眼差しで工場内を見渡す智子さんは、幼少期から工場で過ごす時間が好きだった。ここにはお父様との思い出が詰まっている。ラジオの事業で成功したお祖父様が土地を購入し、始めた農業。五ケ瀬川のほとり、なだらかな傾斜地に広がる土地は、きっと思い描いた通りの豊かで美しい農村の風景だっただろう。お茶作りは昭和30年代にお父様がスタート、新規参入で孤立感もあった。しかし、その逆境がお茶作りのバネとなり、釜炒り茶の製茶品評会で農林水産大臣賞を受賞される。
「父は言葉で説明するより、見て学べタイプ。ただ、『やるならちゃんとやれ』と言われました」
高校時代に故郷を離れた智子さん、まさか自分が家業を継ぐとは思っていなかった。しかし、お父様が亡くなり、美しい茶畑とこだわりの茶作りを続けることに。子供の頃から慣れ親しんだお茶作りとはいえ、女性一人で茶園を管理し、全ての作業をこなすことは並大抵ではない重労働だ。有機栽培の場合、化学肥料に比べて10倍の量の肥料を必要とする。20キロの肥料を背負って畑に播くのだが、疲労が続くと持ち上げた拍子に頭から被ってしまい、心が折れそうになることもしばしば。そんな智子さんが2015年に取り組み始めたのが紅茶作りだ。流通経路も原料もよく分からない海外製の紅茶に不安を抱き、安心して飲める紅茶を作りたい、そんな思いがきっかけだった。最初の2年間は商品化せず、釜炒り茶を購入したお客様に配っていたが、次第に「おいしいから販売すれば良いのでは」と周囲から言われるように。とはいえ、自分が作った紅茶の価値基準を持たなかった智子さん。ならば「客観的に専門家に評価してもらおう」と、2017年国産紅茶グランプリに出品したところ、いきなり金賞を受賞する。
「受賞がきっかけで自信を持つことが出来たと同時に、環境が大きく変化しました」
お父様が亡くなり、男社会の茶業界でお茶作りに取り組む智子さんに対して、茶園の管理からお茶の製造、販売までこなせるのだろうかと心配する声も聞かれた。しかし、受賞をきっかけに智子さんを支えてくれる仲間にも恵まれるようになった。結果、2020年のプレミアムティーコンテストでは最高峰の5つ星を受賞。少ないロットで品質にこだわった紅茶作りは智子さんと相性抜群だった。
お父様の味を継いで作り続けている釜炒り茶、そしてシングルオリジンで丁寧に作られる個性豊かな紅茶、さらに今後は白茶や萎凋香が際立つ半発酵茶にも取り組んでみたいと話す智子さんに、美しい茶畑の景色が見渡せるテラスで自作の白茶を淹れていただいた。カメラを向けると、お茶作りに向き合う工場での厳しい表情とは好対照の、はにかんだ笑顔が柔らかい印象だ。繊細さと芯の強さが共存する智子さんにしか作れない気品ある香り高いお茶は、唯一無二の味わいで人々を魅了してやまない。