ひびのあれこれ・・・写真家の快適生活研究

各種媒体で活動する写真家の毎日。高円寺で『カフェ分福』をオープンするまでの奮闘記、イベント情報などをお伝えします。

『和の香の物語』を聞く会@築地うおがし銘茶

2010年05月27日 | Weblog
憧れながらも、何となく敷居が高く尻込みしていた香道の世界。
築地のうおがし銘茶さんで、「香十」社長稲坂良弘さんの「聞香」の会があると偶然知り、これも何かの思し召し・・・、とすかさず申し込み、いよいよ今日が当日。
劇作家でもある稲坂さん。お話が上手で聞き惚れる。香りの世界をゆるゆる繙きながら、同時に歴史、宗教、文化と話題がどんどん広がっていく。とても書き尽くせないほど内容の濃い2時間だった。

仏教伝来が538年、その時に香文化のベースが一緒に伝わったそうだ。
儀式の前に香木を焚き上げ、空間と心身を浄める。そして煙に祈りをのせて天に届ける。
香の伝来以前は、穢れを浄めるために水が使われていた。

香木は日本には存在しない。西方未知の世界から遠路遥々シルクロードを渡ってきた。当時の人々は、そのエキゾチックな香りにどれほどの神秘を感じたことだろう。
香によりもたらされる鎮静、安眠、安らぎ、さらにときめきや興奮。こういった効果を、昔の人々は経験的に心得ていたようだ。
例えば戦国時代、戦場に出陣する前に兜を香で焚きこめる習慣があったそうだが、これも鎮静効果をねらったのではないか、ということ。
討った敵の首から、かぐわしい香が漂ってくるというのも、なんとも妖しく凄まじさを感じる。

香りの文化は時代の権力者たちが握っていた。
奈良は天皇、豪族たち、そして平安時代は天皇、貴族たち。この時代、香りはまだ「遊び」の世界に留まっていた。
鎌倉時代に武家政権が生まれ、鎌倉へと幕府が遷り、この時代は公家的文化と武家的文化は乖離した状態。
それが、室町時代になり、武家が京の都に乗り込んでくることで、公家と武家の文化が融合する。
公家文化では、「和」を尊び、規範を定めることなく皆で時間、空間を共有することを楽しむ。例えば蹴鞠のような遊びが、公家文化を象徴している。
武家文化では、いつ戦場で命を落とすかもしれない、「一期一会」の精神で、ルールや作法を大切にし、決着をつける。
この2つが合わさってこそ、芸道が生まれ、発展することが出来たのだ!

なるほど~、香道の歴史的・文化的側面を知ると、ますます香りに興味が湧いてくる。
お茶と同じというか、「茶人=香人」で密接に繋がっている世界で、入口としてはとても充実した内容だった。

ちなみに、湿度の高いこれからの季節は、白檀の香りが爽やか感をもたらしてくれるのでオススメだそうだ。
実際、梅雨時にお香の売上げが一番伸びるそうな(笑)。






満腹

2010年05月26日 | Weblog
今日は八王子へ、立川談春独演会に出かける。
17時に自宅を出発、永福から中央道を利用して八王子を目指す、が!永福入口からなんだか混んでる・・・、中央道集中工事の影響で、延々渋滞。八王子に着いた頃には既に19時10分前。危ないところだった。
演目は『粗忽の使者』と『妾馬』。八五郎一代記、だ。
前座で上がった春樹の『牛ほめ』はとてもよい出来だと思う。何より進歩のスピードにビックリだ。

終演後、混雑覚悟で乗った中央道だったが拍子抜けするぐらいスムーズ。さすがに21時半過ぎともなると交通量もガタ落ち。夕食は西荻窪の「たべごと屋NORABO」へ。ふんだんに野菜が食べられるおいしい和食屋さん。単品で注文すると量が多くて持て余すので、色々食べたい場合はコースがおすすめ。次々とテーブルに並ぶ彩り美しい野菜料理は、それぞれに創意工夫が感じられて食べていて楽しい気分になれる。大人気店なので食事時はかなり混雑するが、閉店間際はねらい時。
ちなみに、お隣の天然酵母のパン屋さん、「エンツコ堂」もと~ってもおいしい。こちらも人気店で、あっという間に品切れ続出。とはいえ開店時間はまだ焼き上がっていない商品があったりして、タイミングが難しい。店内にたちこめるパンのよい香り、癒されます。

海外送金って・・・

2010年05月25日 | Weblog
印画紙ADOXがいよいよ品薄になり、日本で唯一購入出来るコスモスでさえ在庫を抱えない方針で受注していて手に入りにくいので、仲間を募ってカリフォルニアの"フリースタイル"という総合写真ショップに直接発注することにした。
十数年前にサンダースのイーゼルとローゼンシュトックの引伸しレンズを購入して以来の直接購入なので、やや緊張しながらホームページへ。さすがにすっかり様変わりしているが、とても機能的でサクサク手続き終了・・・、とはいえ現地ですらADOX在庫切れで7月入荷予定だけど(その後担当者から入荷した、とのメール連絡があり、予定より大幅にスムーズに入手可能に!)。何はともあれ発注完了、ようやく肩の荷が下りて一安心と思いきや、セールスの担当者からメールが・・・。初めての取引の場合、250ドル以上の買い物はクレジットカードがセキュリティの問題で使えないので、銀行振込にしてくれろ、と。「初めてじゃないんです、前に買い物したんです」と食い下がってはみたものの、「記録がない」と一蹴されて、従わざるを得ない状況に。ショック~。
海外送金=面倒くさいと鼻から決めてかかっていた私。ところが肩透かし喰らったかと思うほど簡単。世の中は確実に進化している。今回利用したのはゆうちょ銀行。規定の書類を予め入手(これは自分でもよくやったと褒めてあげたいところ)し、記入捺印して窓口に(海外送金取扱銀行については、ゆうちょホームページでチェック)。10万円以下の場合は通帳と印鑑があればOK。手数料は2500円、ただし先方の指定銀行によって、さらに手数料が加算される。"フリースタイル"の場合はウェル・ファーゴ銀行なので、10ドルの手数料が加算される。本日のレートで手数料しめて3500円弱。昔と比べれば雲泥の差でびっくり!色々勉強になった。
一度この手続きを踏んでおけば、今後フリースタイルでの買い物もカード決済でラクチンに、手数料云々が無くなればさらにリーズナブルに。個人輸入代理店でも営んでみようかしら・・・。

『鰐』by ドストエフスキー

2010年05月24日 | Weblog
『鰐』ドストエフスキー ユーモア小説集
沼野充義訳
講談社文芸文庫

「われわれは皆、ゴーゴリの『外套』から出てきた」という言葉が、ドストエフスキーの言ったこととされて確証もないまま一人歩きしてしまった、と『鰐』の翻訳家沼野充義氏は言う。自意識、それも極端で無根拠で本人すら持て余してしまう過度のもの、それはどうしたって第三者の失笑を誘う。深く掘り下げて突き詰めて考えれば考えるほど、自意識は自己の内側で空回りし、見当違いの方向へと突き進み、自らに捕われて身動きが取れなくなってしまう。ただ、本人はしごく真面目に、自己の正当性を信じて疑わない、というより、疑ったが最後自己崩壊してしまう危険を薄々感じとり、その不安がますます卑屈な自意識を生む。主人公の世界と、現実世界のズレ。これは後藤明生が言うところの「楕円の世界」だ。1つの楕円に存在する、ふたつの中心。それぞれの面は重なっているが、中心Aと中心Bは決して交わらない。中心Aのルールは中心Bのルールと決して相容れることはない。それはまさにカフカの小説の構造=不条理だ。話を元に戻すと、「ゴーゴリの『外套』から出てきた」という言葉の意味するところは、ゴーゴリ作品に共通する悲劇→喜劇への異化作用という構造から、ドストエフスキーは自意識→ユーモアに変換しようとする試みを初期作品でおこなっていたのではないか、ということだ。初期作品と限定するまでもなく、『悪霊』でも『地下室の手記』でもそのような構造は随所に見られる。そう考えると、ゴーゴリの『外套』がドストエフスキーを生んだ、と解釈することはとても自然だし、その方が素敵だと思う。
『鰐』におさめられている4作品は、ほぼ前述の「自意識」と「ズレ」が主題の短編小説だ。プライドが高くって付き合いにくい隣人にプレゼントすると、気の利いた皮肉になって意趣返し出来るかも・・・、甘いかな。



心霊写真?

2010年05月14日 | Weblog
数年前、膝蓋骨変形症というやっかいな病気を発病し、何度も膝に水が溜まって困り果て、色々な治療を試した末に辿り着いたTマッサージ。
マッサージ、というよりは体の不具合を調整してくれる治療院だ。
そこの先生は盲目なのだが、指先で写真が見える。
デジタルはイマイチらしいけど、アナログの写真は凹凸で感じるらしい。
生命を持った生き物はエネルギーが伝わってくるそうだ。

写真展の前に、持ち合わせた数枚の写真を見てもらった(?)時のこと。
螺旋階段の写真を指でなぞりながら、「ここには何があるの?」と尋ねられた。
そこは階段の踊り場、窓から光が差し込んでいる。
素材の違いを指で感じているのかな~と判断し、「先生、そこは螺旋階段の踊り場ですよ。手すりが鉄で、そこだけ木の床面が見えてるんです」と答えた私に、「フ~ン」と先生。
「この写真はもう一回り大きくした方がいいんじゃないかな」というアドバイスをいただき、1サイズ大きく焼き直して展示した。

昨日、治療院を訪れた時に、心霊体験の話になった。
先生は目が見えていた頃から霊媒体質だったそうで、霊的なものと遭遇することしばしば。
ごく普通に、実態のあるものとしてはっきり見えるそうだ。
「心霊写真なんて、よくあるよね」、と先生。
カメラマン歴15年の私だが、心霊写真は撮ったことがない(シャッターが降りなくなったことはあるけれど)。
「残念ながら私はまだ撮ってないし、見たこともないですよ」と答えたら、
「そんなことないよ、この前見た階段の写真、あれ写ってるよ」だって・・・。
「あの踊り場のところね、あそこにいるんだよ。見えないかもしれないけどね。でも、悪い霊じゃないから大丈夫」ええぇっ???
そうだったんだ、全然気が付かなかった、というか、全く感じなかった。

ま、いても不思議ではない場所なんですけどね。

被写体の螺旋階段はオランダ、アムステルダムの「バイブル・ミュージアム」。
観光客は殆ど訪れることのないマイナーなスポットだが、ここの螺旋階段は建築雑誌の表紙を飾るくらい有名。
築100年は軽く越えるであろう歴史的建造物、ましてや展示物が聖書にかかわるものとくれば、霊的な存在がいても全く不思議ではない。
実際、気持ちの良い空間だし。
そう考えると、もしかしてあの写真も、この写真も・・・。
くわばらくわばら。

こどじ@新宿ゴールデン街

2010年05月13日 | Weblog
先日コスモスで開催した個展にご来場いただいた、フォトグラファーズ・ラボラトリーの平林達也さんの写真展が15日まで開催されている、ということで、写真界では伝説的な飲み屋「こどじ」へ初訪問。
新宿ゴールデン街、学生時代に誰もが1度は写真を撮りに来てしまう場所だ。ご多分に漏れず、私も十数年前に1度撮影にきた記憶があるが、当時と全く変わらないアンダーグラウンドな雰囲気だ。
DMの地図を頼りにこどじを目指す。お酒が飲めない性質なので、1人で初めて訪れる飲み屋にいきなり出かけるなんて、ちょっと無謀かな~とはうっすら感じてはいたものの、あっけなく店は見つかり狭い階段を勢い良く駆け上がり、若干怖じ気づいてそっとドアに耳を寄せると先客の話し声が漏れてくる。ええい、ままよ!とドアを開けると、カウンターはほぼ満席、そして平林さんを筆頭に知った顔が数人。お姉さんも新参者の私を温かく迎えてくださって、救われた~。
展示されている写真の点数はごく少ないが、写真集『成長の代価』と前回写真展のポートフォリオを拝見した。『成長の代価』は二重露光による武蔵野の自然と近代的町並みのイメージが過去と現在の対比として6x6の画面にまとめられ、とても興味深い。タイトルと写真がぴったりリンクしていて、写真そのものも面白いがコンセプトもストレートで現代的。平林さんのプロフィール&写真集については、こちらをご参照ください→http://www.shashinkogyo.co.jp/sk-betu/sk/seityou.html

『心臓抜き』by ボリス・ヴィアン

2010年05月10日 | Weblog
先日読み終わった、印象に残った本のご紹介。

『心臓抜き』ボリス・ヴィアン 1953年作
ハヤカワepi文庫より2001年発行 滝田文彦訳

精神科医の主人公(ジャックモール)が精神分析の実験台を求めて訪れた、片田舎のある村。
そこでは、老人の売買や動物や子供の虐待は日常的な光景となっている。
村の慣習を知らない精神科医は、「恥」という言葉をうっかり口にして、途端に殴り倒される。
恥の引受人でありまた恥辱にまみれた仕事をしている男(ラ・グロイール)は、代償として獲た金にあふれた生活をしているが、ラ・グロイールがどれだけ金を積んでも、村の人々は誰も商品を売ってくれない・・・。
精神科医は、3つ子を生んだ母親(クレマンチーヌ)と、妻に拒絶された夫(アンジェル)、そして使用人たちとともに生活している。
愛と居場所を失ったアンジェルは舟を作って出奔、母親となったクレマンチーヌは愛故のエンドレスマイナス思考に陥り、歩き始めた子供の行く末を案じて蹄鉄を嵌め、庭の木をことごとく倒し、最終的には鳥籠の中に閉じ込めてしまう。

人間社会の暗部を露出し、積極的に肯定する世界、そう考えると、「人間の業を肯定する」落語に通じるものがある。
ボリス・ヴィアンの場合、それが露悪趣味に陥らず、倫理的にもならず、シュールに、そこはかとなくユーモラスに、そしてファンタジックに描かれているところが素晴らしい。
色彩に満ちた繊細な、若干グロテスクな自然描写からは、映画を見ているように映像が浮かび上がってくる。
ゆっくりと、しかし確実に横滑りしていく思考のバランスに、乗り物酔いしたような軽い吐き気を感じた。

マルコ・ベロッキオとティム・バートン

2010年05月08日 | Weblog
今週は映画を2本見た。
どちらも(ある意味)気が狂ってる監督(もちろん賛辞)という意味でひと括りに。

マルコ・ベロッキオの「母の微笑(2002、伊)」は、気の狂い方の方向は異なるけれどオリヴェイラに近しいものを感じる。
没落貴族が聖家族として人生の"保証"を得ようとすったもんだする物語(超意訳)だが、宗教的シンボルに疎い私にはキーとなるカットの意味が読み取り切れない。
ただ、全編に漂う禍々しさや胡散臭さから、「宗教の先生(イレーネ)」の登場するシーンだけが完全に解放されている。
主人公(エルネスト)のアトリエに忍び込んだイレーネと、エルネストがすれ違うシーンの切なさ、ラスト間際で追いかけっこするシーンの無邪気さがとても印象的。
カットも絶妙で、いつまでも見ていたいと思わせる心地よさだった。

ティム・バートンの「アリス・イン・ワンダーランド」は、3Dではないバージョンを見た。
ディズニー映画だとは!遅まきながら劇場で初めて知った。
もったいぶったタメがなくって小気味よく展開。
ジョニー・デップは相変わらずチャーミング、チェシャ猫もいい味出してる。
悪の権化「赤の女王」と平和の象徴「白の女王」の境界の曖昧さがバートンらしく危うく描かれている。
娯楽映画として大いに楽しめた。



簡単手作りのお茶

2010年05月06日 | Weblog
一口にお茶と言っても色々ありますが、このお茶、何でしょう?
茶葉の形を見ると、半発酵茶のような雰囲気ですが・・・。
実はこれ、摘み取ったお茶の葉を蒸して自然乾燥させ、フライパンで乾煎りして作ったお茶です。
先日、「極茶人」という二つ名を持つ比留間さんhttp://hiruma-en.ddo.jp/index.htmlの手もみ茶作りを拝見した際、お茶を揉むための焙炉からこぼれてしまった茶葉を頂戴して作りました。
茶種はやぶきた、1週間ほど被覆した茶葉です。
蒸し時間が極端に短いので、まだ酸化酵素が失活しきっていない可能性があるなと思い、太陽光で萎凋させさらに室内で萎凋、最終的にフライパンで焙って乾燥させました。
味わいは凍頂ウーロン茶に近い清らかさがあり、香りは釜香が強く、残念ながら花の香りは感じられませんでした。
煎のきく、面白いお茶に仕上がったので、個人的には大満足。
中国には、お茶の芽を摘んでただ乾燥させただけのお茶もあります。
アイデア次第でまだまだ広がるお茶の世界、形に捕われず自由に楽しみたいものです。



茶 喫茶のたのしみ@出光美術館

2010年05月04日 | Weblog
日本の美を発見する企画第3段、『茶 喫茶のたのしみ』が出光美術館で開催中。
偶然通りがかり、小一時間持て余していた私としては計画していたかのようなグッドタイミング!ということで張り切って見学。

お茶の歴史に興味のある人ならば誰もが楽しめる展示だが、ずっと「見てみたい」と憧れていた牧谿の「平沙落雁図」、これはすばらしい。ご年配の男性が、この軸の前でじっと凝視している姿も印象的だったが、消えてしまいそうなぐらいの薄墨で描かれた雁の様子はまるで描き切られて絵の中に収められる事を拒んでいるように見える。画面が揺らいでいる・・・、凄い!

大名物の数々、そのものの凄さはお墨付きだが、展示の紹介文に来歴が書かれていて、これが面白い。例えば先述の「平沙落雁図」、東山御物→豊臣秀吉→上杉景勝→徳川秀忠→松平忠直と、早々たる顔ぶれの手から手へ受け継がれている。当時の茶室のしつらいに思いを巡らせて展示を眺めると、より愉しめる。

一休宗純の書「諸悪莫作、衆善奉行」も、思い切りがあって晴れ晴れしていて、とても気持が良い。

会期は6月6日まで。

出光美術館
千代田区丸の内3-1-1帝劇ビル9階
10:00~17:00(但し金曜日は19:00まで)
月曜日休館
入館料 大人1000円