ひびのあれこれ・・・写真家の快適生活研究

各種媒体で活動する写真家の毎日。高円寺で『カフェ分福』をオープンするまでの奮闘記、イベント情報などをお伝えします。

紅葉取材@京都

2007年11月23日 | Weblog
23日訪問:一乗寺界隈、詩仙堂、圓光寺、曼殊院
(写真は青蓮院)
曼殊院の裏にある関西セミナーハウスに宿泊した甲斐あって、狙い通り早朝の静かな一乗寺界隈を独り占め。曼殊院前は葉が赤く色づいていく途中で、色彩が豊か。ここ数日冷え込みが厳しくなったお蔭で一気に紅葉が進んだようだ。
開門1時間前に詩仙堂到着。あまりにも早いのですぐ近くにある神社へお参り。30分前に並び始める。さすがにトップバッター。しかしほぼ時を同じくしてカメラマンが次々現れる。やはり本気の人は早朝勝負。開門、皆オトナなので秩序正しく進む。そしてその庭の紅葉の見事なこと!あまりにも美しく一瞬撮影を忘れて見とれてしまう。サツキの刈込のすぐ奥に紅葉した木々が連なって見えるように配置されている。それにしても、カメラマンのマナーがすばらしかった。お互いに邪魔しないように気遣いながらの撮影で気持ちが良い。
<詩仙堂>
京都市左京区一乗寺門口町27
拝観時間:9:00~17:00
作庭家:石川丈山
作庭時期:1641(寛永18)年~
詩仙堂は、徳川武将であった石川丈山が1641年この地に隠棲した際に建てられた。造営当初は、起伏に富んだ土地に建てられたため、「凹凸彙(おうとつか)」と名付けられた。詩仙堂と呼ばれるようになったのは、狩野探幽画の中国三十六詩仙の肖像画と丈山自筆の各詩仙の詩を部屋の四壁に掲げたことによる。ちなみに、現在は曹洞宗大本山永平寺の末寺となっている。丈山は、武将としてのみならず、桂離宮や本願寺枳殻邸の庭の補習にも関わり、作庭家としても知られていたようだ。書院南庭は、砂地の大海にサツキの刈込が島々を想起させ、背後は庭園下段のモミジを借景としている。紅葉の時期はモミジの赤が眼前に迫るように構成されている。詩仙堂の東、「洗蒙瀑(せんもうばく)」から流れ出る水は庭園内を静かなせせらぎとなって巡り、丈山考案の僧都(そうづ)の音色が静けさを増幅させるかのように時折響きわたる。庭園下段は百の花を配したという意で「百花塢(ひゃっかのう)」と呼ばれ、丈山の時代のものではなく後年拡張された庭。四季折々の花々を楽しむことができ、書院前のシンプルな庭と好対照を見せる。

次に圓光寺、十牛の庭へ。既に人で溢れ返っている。団体客も到着済み。以前晩春に訪れた時はひとりぽっちだったのに。紅葉が持つ人の集約力、恐るべし。水琴窟の音は喧騒で掻き消され気味、というか気が付く人もまばら。
<圓光寺>
京都市左京区一乗寺小谷町13
拝観時間:9:00~16:30
作庭者:不明
作庭時期:江戸時代
1601(慶長6)年、徳川家康が足利学校の僧である三要元佶(閑室)を招き伏見に建立した圓光寺学校がその起源。後に相国寺山内に移り、更に1667(寛文7)年、現在の地に移された。本堂前の水琴窟は、玉をころがすような軽やかな音色。紅葉の季節は多くの参拝客で賑わうが、季節外れには訪れる人も少なく静けさが一層深まる。書院前の「十牛の庭」は、洛北最古の池「栖龍池」のある回遊式庭園。その名は「十牛の図(じゅうぎゅうのず)」にちなんだもので、牛を捕まえる過程から悟りへの10の段階を説いた教えを庭に置き換えて造られた。

今回最後の訪問地である曼殊院へ。人は多いが書院から庭を眺めるので比較的邪魔にならない。しかし、紅葉は5分程度。
紅葉は確かに美しいが、庭の魅力をじっくり楽しむには邪魔になる。皆、紅葉ばかりを褒め称え庭の意匠には無頓着でもったいない。特に曼殊院は「小さな桂離宮」と称されるだけあって建物の意匠も見事、じっくり見れば見るほど発見があって見応え満点。
<曼殊院>
京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
拝観時間:9:00~16:30
作庭家:良尚法親王説が有力
作庭時期:1656(明暦2)年~
曼殊院は、代々皇室一門が入寺される天台宗の門跡寺院。桂離宮の創建者八条宮智仁親王の息子である良尚法親王が天台座主となり、明暦2年に入寺。親王自ら作庭されたといわれている。書院は、桂離宮の書院群と類似しているため、「小さな桂離宮」ともいわれている。江戸時代初期の代表的書院建築である。庭園は、大書院と小書院の南側に広がる、遠州好みの枯山水。小書院前にはアカマツを植えた亀島、大書院前には樹齢約400年のゴヨウマツが目を引く鶴島が置かれている。ゴヨウマツの根元には曼殊院燈籠(或いはクルス燈籠)と呼ばれるキリシタン燈籠がある。庭園の東南奥に、一際目立つ滝石が配され、そこから白砂の流れが海となり庭園全体に広がっていき、そこに島々が浮かんでいるようなデザインになっている。石橋に用いられている巨石は長さ2メートルはあろうかという紀州石で、その青みがかった色彩が島々を覆う苔の緑と調和している。さらに、小書院北東奥には、遠州好みと伝えられる茶室「八窓軒」がある。茶室前には方形の手水鉢がしつらえられた蹲踞があり、南庭とは異なる露地の趣が楽しめる。禅的な力強さと王朝風の高雅な雰囲気が見事に一体となった庭園は、江戸時代初期の代表的書院建築である建築物とともに見応えがある。重森三玲氏とその子息である重森完途氏が著した「日本庭園史体系」で、完途氏は「和歌の持っているリズムが感じられる文学的な庭園といってもよい」と述べている。

午後の混雑を避けて帰京。しかし懸案事項だった右膝の痛みがひどくなり、落語をキャンセル、東京駅から救急で東京医大へ。水が溜まって膝頭が見えない状態、1.5倍に腫れ上がっている。どうりでしゃがめないわけだ。すぐに抜いてもらって応急処置。しかし原因が判らず気持ちが悪い。

紅葉取材@京都

2007年11月19日 | Weblog
19日訪問:南禅寺、金地院、天授庵、南禅院、永観堂、無鄰庵、圓徳院
(写真は南禅院)
7時に宿を出発。蹴上から散策しながら南禅寺を目指す。風情のある界隈。境内は地元の人たちがのんびり。水路閣のレンガは山科産だというおじいさんが撮影スポットを教えてくれる。水路閣をくぐって坂道を上り最勝院へ。濡れた延段に光が射して輝いている。境内のダルマ形の石がチャーミング。8:40の拝観時間前に団体客が数組現れる。団体とやや距離を置いて拝観。北庭の紅葉7~8分で美しい。狩野派による虎の襖絵も見事。

<南禅寺>
瑞龍山太平興国南禅禅寺(臨済宗南禅寺派大本山)
京都市左京区南禅寺福地町86
拝観時間:8:40~17:00
作庭者:小堀遠州、賢庭
作庭時期:江戸時代
南禅寺の地には、もともと亀山天皇が1263年に造営した離宮「禅林寺殿」があった。1274年に退位した亀山天皇は、1291年に法皇となり、無関普門(大明国師)を開山の祖として離宮を寺に改め、龍安山禅林禅寺と名付けた。これが南禅寺の起こり。方丈南庭は「虎の子渡しの庭」と呼ばれ、徳川幕府のブレーンであり南禅寺住職であった金地院崇殿に依頼された小堀遠州により作庭、賢庭により石組みがなされたとされる。西欧技術を学んだ遠州らしく、方丈南庭は東西方向に遠近感が強調されたパースペクティブの手法が取り入れられている。ちなみに、虎の子は中国の説話で、虎が三頭の子を産むと一頭は「彪(ヒョウ)」という鬼子になり、母虎がいないと他の子を食べてしまう。そこで、母虎が川を渡る時は、まず彪を対岸に渡し、次に一頭を渡して彪を連れ戻し、再び一頭を渡し、最後に彪とともに渡るというもの。方丈の西には「真如庭」とよばれる、白砂と石のみで構成される枯山水庭園がある。この石はどの方向から眺めても心の字を表しているとされている。さらに、方丈の北側には、衆生の世界を表現した「六道庭」がある。

~以下、詳細は後程~

宿泊:吉水旅館@円山公園

紅葉取材@京都

2007年11月18日 | Weblog
18日訪問:光悦寺、源光庵、しょうざん、大徳寺龍源院、龍安寺、仁和寺
(写真は光悦寺/光悦寺垣・・・元々は猪除けだった)
詳細は後程

(光悦寺門前延段)
宿泊:ホテルハーヴェスト@丸太町4番出口すぐ

清澄庭園

2007年11月15日 | Weblog
清澄庭園の紅葉。長瀞峡にかかる橋の周辺は見事に色づいていました。この日は中の島は芝刈りのため通行止め。水鳥がたくさん飛来していて、それらに餌をあげる入園者の姿がほのぼのとしたムード。園内は巨岩名石が数多く配され、紀州青石で造られた枯滝石組なども見られる。
清澄庭園:江東区清澄3-3-9 開園時間:9時~17時(入園は16:30まで)一説には紀伊國屋文左衛門の屋敷跡とされる。享保年間に下総国、関宿城主久世大和守の下屋敷となり庭園のもとが形成される。明治11年に岩崎弥太郎がこの邸地の造園を進め、明治24年に当時を代表する回遊式林泉庭園として完成された。当時池泉には隅田川の水が引かれ(現在は雨水)、松島や鶴島など大小の島々や磯渡りが配され、池辺には岩崎家が自社の汽船で全国から集めた奇岩が配されている。






庭園を見終わって14:30、お腹が空いたが時間が中途半端。仕方がないので清澄白河駅A3出口出てすぐ左にあるカフェに入る。アメリカンカジュアルな雰囲気で、メニューはエスニック系中心。ここのチキンとエビ入りグリーンカレーは高得点。具だくさん、ボリューム満点、かなりスパイシーだが深味があって、スープカレーのようにサラサラしたルー。裏を返したくなる店。
先日の撮影のアガリを新宿御苑ホリウチカラーでピックアップし、整理、切り出ししたのちホームページ打ち合わせ。さらにコンランショップのクリスマスセールへ出かけ、新しいソファと作業テーブルを探すが値段もサイズも適当なものが見当たらず、徒労に終わる。

小石川後楽園

2007年11月14日 | Weblog
午前中は撮影。ガーデン雑誌の特集のため神宮前のカフェ「フラヌール」へ。間口は小さいが3階建になっていて、アーティスティックな印象。いつもホットケーキが看板メニューのコージーな喫茶店「CASA」に行く時前を通っているのに全然気が付かなかった。この店の正面にある小鳥屋ばかり気にしていたからか?この日もニワトリが鳴いていた。
撮影後は小石川後楽園へ紅葉の具合をチェックしに出かける。
色は予想された通りあまりよくない。モミジはまだ緑色。ごくごく一部の広葉樹が色づいている程度。しかし西湖堤防がある池の水面は落葉で覆われている。ということは、このまま色づかずに枯れてしまう可能性もあるということか?寒桜がまだ花を残しているが、もう終わりかけだった。
小石川後楽園:文京区後楽1-6-6。最寄駅は地下鉄大江戸線飯田橋駅徒歩2分。開園時間9:00~17:00(入園は16:30まで)。





夕食は西荻窪の中央線沿線カラー強烈な定食屋へ。駅北口を出てすぐ右に入り、病院を左に見ながら歩くこと1~2分、右手にある小奇麗な店。料理はおいしいが常連がいるとものすごく居心地が悪い。メイン一種類選ぶと、新米コシヒカリのご飯とお味噌汁、お漬物と温泉卵、三種類から一品選べる小鉢がついてくる。私はサバの竜田揚げに小鉢はサーモンとスッキーニのマリネ。ここのサバ竜田揚げは定番メニューだがとてもおいしい。サクッとした歯応えだが、サバは柔らかくジューシーに仕上がっている。山盛りの大根おろしが嬉しい。価格はセットで1000~1300円ぐらい。近所だったら毎日でも通いたい店。

六義園

2007年11月13日 | Weblog
六義園へ紅葉チェックに出かける。
駒込は非常に馴染みの薄い町だが、以前撮影で訪れた際に駐禁を取られた痛い思い出がある。
染井門は閉鎖されているので、本郷通りを抜けて正門へ。途中の雑貨店「仄仄(ほのぼの)」は温かみのある雑貨とナチュラル感のある衣類を扱っているかわいいお店。インポート系のボタンやリボン、アップリケなどが手芸欲をくすぐる。
昼頃に入園したが、お年寄りやグループ観光客で結構混雑している。しかし紅葉はイマイチ。一部広葉樹のみ若干色づいているもののモミジは青々としている。吹上茶屋で抹茶をいただく。秋らしい和菓子とともにほっと一息。石組みは江戸の大名庭園らしく豪放な印象だった。






六義園:文京区本駒込6-13-3。南北線「駒込駅」2番出口徒歩7分。開園9:00~17:00(入園は16:30まで)。

旧古河庭園

2007年11月12日 | Weblog
旧古河庭園へ。JR駒込駅から、近いかなと思いきや徒歩15分くらいか?結構遠い。
園内に入るとまずイギリス人建築家ジョサイア・コンドル氏設計によるルネッサンス風洋館が目に入る。そしてバラのいい香り!花は終わりかけだが、その華やかな香りはもう少し楽しめそう。西欧式の庭を抜け、日本庭園へ。こちらは明治~大正初期の植治作庭の池泉回遊式の庭園だが、巨石で構成された橋が見事。紅葉は広葉樹とモミジがごく一部。こじんまりしているが苑路から眺める景色が変化に富んでいて面白い。茶室で裏千家のお茶をいただく。秋らしいシメジと柿をかたどったお菓子。お茶はおいしかったが茶室からの景色はあまりよくない。
旧古河庭園:


本日の夕飯は森下駅すぐの「みの家」。みの家といえばさくら鍋。風情を感じさせる建物、玄関を入ると下足番のおじさんが出迎えてくれる。靴を預けると、古びた木の札を渡される。20cmはあろうかというこの札の大きさがいい。6時に出かけたのだが、既に先客で60%ぐらいの入り。畳敷きの大広間に、長いテーブルが2列。その広間を取り囲むように廊下が配されている。まずはスタンダードのさくら鍋と馬刺し、そして漬物。小型の平なべに具が満載された状態でテーブルに届けられる。具は馬肉と麩、ネギとしらたき。オプションで焼き豆腐とエノキ茸も追加出来ると聞き、エノキを追加。具が全部入った状態で火を入れるので、出来上がりのタイミングが一気に訪れるので忙しい。甘辛い味噌(八丁味噌か?)の味が濃厚、出来上がったものは生卵でいただく。最後に、この卵を鍋にかけてとじたものを白いご飯にかけていただくといいらしい。次にさくら鍋のロースを追加。追加分はお皿に盛られて出てくるので、自分たちのペースで食べられる。そして肉もロースだけあって柔らかい。ケトバシだけあって、味わうというよりも勢いで食べる感じ。最初は馬刺や一品料理を楽しみ、落ち着いたところでさくら鍋ロースとオプション具材を注文し、〆に卵とじご飯がベストか。